世相の虚無
登場人物
丘坤…………美質な弓の名手。妖しの狻猊を僕に持つ。萬軍八極のひとり。
介象…………方士。干将、莫邪、眉間尺の三剣を佩びる。
元緒…………方士。介象の師であり、初代の介象。
藺離…………槍の手練者。妖しの火鼠を僕に持つ。萬軍八極のひとり。
欧陽坎…………矛の手練者。妖しの短狐を僕に持つ。萬軍八極のひとり。
巩岱…………細作。介象に仕える。
娄乾…………萬軍八極のひとりと思しき富豪。
韋震…………賊徒のような身形の若者。
尊盧…………妖し。黄色い瞳の武者。蚩尤に仕える九黎のひとり。
蚩尤…………邪神。
季平…………魯国の司徒。三公のひとり。三桓氏と呼ばれる。
叔孫豹…………魯国の司馬。三公のひとり。三桓氏と呼ばれる。
孟献…………魯国の司空。三公のひとり。三桓氏と呼ばれる。
陽虎…………三公に仕える魯国の若き重臣。
蒼頡…………妖し。剣の手練者。蚩尤に仕える九黎のひとり。
風沙…………妖し。美貌の持ち主。蚩尤に仕える九黎のひとり。
太皞…………妖し。老婆の姿。蚩尤に仕える九黎のひとり。
赫胥…………妖し。短槍の手練者。蚩尤に仕える九黎のひとり。
裴巽…………蚩尤に従う魯国の将軍。妖しの飛廉を僕に持つ。
夸父…………巨人の妖し。性質は狂暴。隻眼で緑の皮膚。
欲しい物は自分で奪え――。
手籠めにできなければ、その命を奪う。国の要職に就く者も、やっていることは賊徒と同じだった。
韋震は、抜け出せないような世相に虚無を抱くと、肩を落として踵を返した。
「居たぞ!」
韋震が捕吏に追われ始めたのは、それから間も無くしてからだった。
身に覚えがない訳ではない。しかし、捕まる訳にもいかなかった。城郭の中で捕吏たちを煙に巻くのは造作もないことだったが、次第に民草からの視線が変わってきた。
韋震の姿を認めると、悲鳴を上げて身を隠す。隠れた処から韋震に向けられた視線は、罪人でも見るようなそれだった。
無理もない。城郭の至る処には、韋震の人相と罪状が書かれた札が立てられていたのである。
「あ、彼奴だ! 旅籠の若女将を殺したのは、彼奴だ!」
「――――⁉」
韋震には、謂れのない咎が掛けられていた。
云わずもがな、若女将を殺めたのは、恰幅の良い太い白眉の高官だったが、賊徒風情の韋震に罪を擦り付けようとしているのは明白だった。
しかし、韋震を庇い、真実を口にしようとする者は誰人もいなかった。明日は我が身である。三桓氏に逆らうようでは、この国で生きていくことはできない。立札に描かれた者が犯人になるのだった。
白い雲と青い空が広がっていた。
韋震は、天に向かって唾棄すると、曲阜から逃れた。欲しい物は奪って腹を満たし、もしくは銭に変えた。世が腐っているのか、己が腐っているのか、韋震は途方に暮れた。
そのような折に遭遇したのが、介象の一行だった。
攫った女のことが気になっていた。何度も八芒星の黒い痣が脳裏に過った。
韋震は、上官の裴巽に宮廷内の要所を案内されていた。迂闊に入ってはいけない部屋が幾つもあるとのことだった。
時折、濃緑の肌をした隻眼の巨人と鉢合わせたが、どれも裴巽に道を譲っていた。
「――――⁉」
韋震は、その光景に言葉を失った。
だだっ広い部屋に床几が幾つも置かれている。それに縛り付けられた若い男たちが、絶叫を上げていた。もんどり打とうにも、縛り付けられた躰は自由を奪われている。その絶叫が止むと、男たち虚ろな眼付きで静かになった。
「驚いただろう。操人蟲という妖蟲を耳から入れ、忠実な兵を養成している。まだ若いというのに、憐れなことだ」
裴巽は、肩を落として嘆いた。
またしても脳裏に過ったのは、女の右手首にあった痣だった。




