第一章 デス・ストーリーは突然に その2
1.1 謎の超絶美人 後編
「尾暮さん、よろしければ、契約書にサインをお願いしたいのですが。それと給与などの説明も」
「そうですね、えーと、僕の部屋汚い……」
ですが、と続けようとしたが、超絶美人はハイヒールを脱ぎきちんと揃えて並べると、玄関から奥のワンルームへスタスタと平然と歩みを進める。
そして部屋の真ん中に置いてある座卓式ミニテーブルの前に正座で座りこんだ。アラトがさっきまでにらめっこしていたパソコンが置かれている小さなテーブルだ。
そのテーブルをはさみ、アラトもちょこんと座った。
(僕の部屋でこんな超絶美人と二人きり。しかもこんな間近で向かい合って、いいんでしょうか……)
ゴクリ、と生唾を飲み込む音が響いた。
正座している艶めかしい太腿と超々短いタイトスカートのコラボレーションが、この小さなテーブルの陰でいったいどのようなことになっているかなんて、ちょっとしか想像していないと一生懸命心の中で言い訳しながら目線を逸らす。いや、ホント、ほんのちょっとだけですからと。
「それでは尾暮さん、早速ですが雇用形態と給与についてご説明いたします。新規採用と言いましても、我社には3か月間の試用期間があります。試用期間中の給与は月200万円。有給休暇はありません。また、試用期間中に退職願いを出されると、契約違反となってしまいますのでご注意ください」
「わかりました」
急に冷静になって、月200万円という数字が全身の血をたぎらせる。
(に、200万? え、マジっすか。そんなにもらっていいんですか? 3か月で600万円。生活が潤うどころか、新車まで買えちゃう。いいんすか、いいんすか、そこまで大盤振る舞いで!)
「3か月後に試用期間が終了しますと、問題なければ正規雇用となります。もちろん、こちらからお断りすることもできます。ですが、前例としてはありません」
「わ、わかりました」
「尾暮さん側にも断る権利がありますので、その場合は、3か月後に申し出てください」
「はい」
「問題ないようでしたら、ここにサインを」
淡々と事務的に手続きを進めるその振る舞いは冷たいようにも感じるが、ほのかに微笑んでいるようにも見える。
まるで女性アナウンサーになる訓練でも受けているのだろうかと勘繰ってしまうほど彼女の表情は完璧だ。さぞ、毎朝鏡の前で表情を入念にチェックしているに違いない。
超絶美人は赤いジャケットからタブレットを取り出し、サインを促す。サインついでに、と言いながら、指紋と声紋、生体認証の網膜パターンまで記録されてしまった。
アラトは急に一抹の不安を覚え、念のために訊いてみることにした。
「月200万円ていうのは、私が払うのでなく、給与としてもらえるということでよろしいのでしょうか? すみません、なんか少し気になりまして」
「はい、間違いありません。日本の貨幣で200万円、給与として尾暮さんにお支払いいたします」
「すみません、なんか変なこと訊いちゃって」
「はい、大丈夫です」
大学の友達がいつもアラトに言うのだ。『アラト、お前、詐欺に気をつけろよ! ホント、危なっかしいからなぁ、お前って』と。それこそ100回ぐらい聞いたような気がする。
(これで大丈夫。ちゃんと確認したしぃ)
アラトは時折、えっ、そこ? そこなん? なんていう天の声が聞こえたように錯覚するけど、いつも単なる空耳なので気にしない。いや、気にしろや! と続くことも多いが、全て空耳なので問題なし。
アラトは顔の筋肉が緩んでニヤニヤしそうなのをこらえつつ、超絶美人を真正面から眺め続け、眼福に満足していた。
(えへへ、僕の人生、順風満帆! う~れしいなぁ、嬉しいなぁ~)
このあと超絶美人が雇用形態の説明をしばらく続けたが、突如確定した無職返上の喜びと超絶美人が無意識に作り出しているほんのちょっと扇情的な雰囲気とで、さっぱり頭に入ってこなかった。
「では、尾暮さん、早速ですが、本日からお仕事です」
「はいっ?」
「ご安心ください。スーツに着替える必要もありません。このまま我社のオフィスへ、わたくしと一緒に行くだけです」
「わかりました」
「では尾暮さん、参りましょう。それから、わたくしは尾暮さんの直接の上司になりますが、職場の先輩と受け止めていただければ、それで結構です。これからはシンジンさんと呼びますので、よろしくお願いします」
(い、いきなりシンジンさんか、まぁその通りですが……)
「僕は先輩のこと、どう呼べばいいですか?」
「ギリコと呼んでください」
「えっ? いや、それはさすがに無理かと……」
「いえ、問題ありません」
「じゃ、義理子先輩とかで、いかがでしょうか?」
「大丈夫、です」
(えっ、その返事の『大丈夫』は、『はい、大丈夫と呼んでください』という文脈にもなりそうだけど、まぁ、オッケーという解釈にしておきます。
超絶美人先輩。あ~、年齢きいてみたいなぁ~、ダメかなぁ~、オッケーって言ってほしいなぁ~)
アラトが所属していた硬式テニス部の先輩は、みんなアラトのことを『シンジン』と呼ぶけど、大学の友達はアラトを『イエローパーカー』と呼んでいる。なぜなら、年中着ている黄色パーカーがアラトのトレードマークになっているからだ。
ちなみに、黒縁メガネもアラトのトレードマークの一部だ。
そのトレードマークを着たまま、義理子先輩と一緒にワンルームアパートをあとにした。
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