第073話 ・・・
「ナミュール様、どうするんですか?」
ヴィエナは両手を腰に当てて、じっとナミュールの顔を見上げた。部屋の中には重苦しい沈黙が漂っていた。
窓の外からは春の陽射しが差し込んでいるのに、二人の間には冬のような冷気があった。
「もし、アルメリア帝国と良好に進むのであれば、スクアード様と仲直りは出来ますか?」
その問いかけに、ナミュールは言葉を失ったように目を伏せた。しばしの沈黙のあと、小さく呟くように答える。
「それは……そうだろ」
「では今から謝りに行っちゃいましょう!」
ヴィエナの目が輝く。ナミュールが口を開いた瞬間、彼女は勢いよくその背中に両手を押し当てた。
「お、おい!待て、そんな急に……!何を話せばいいか……!」
ナミュールは軽く抵抗したが、ヴィエナの力に抗うほどの本気は感じられなかった。
「そう言ってたら、いつまでも謝れないですよ」
「……だが、なぜ俺から謝らないといけないんだ」
「ナミュール様の方がツンツンしてるからです」
ヴィエナはきっぱりと答える。ナミュールは口を開けたが、言い返す言葉が見つからず、ただ目を伏せた。
「スクアード様も、きっと仲良くしたいはずです」
廊下を歩いているうちに、彼らはスクアードの部屋の前にたどり着いた。木の扉がどこか重たく見える。ナミュールは足を止め、扉を見つめたまま動かなくなった。
手が動かない。
指先が震えていた。ノックする、それだけの動作が、やけに遠いものに思えた。
「……」
「コンコン!」
突然、軽やかな音が廊下に響いた。
「なっ……!」
ナミュールが振り返ると、ヴィエナが無邪気な顔で代わりにノックをしていた。
「ちょ、心の準備が……!」
逃げ腰になるナミュールを、ヴィエナはがっちりと片腕でつかんだ。
「スクアード様!ナミュール様から話があるみたいです!」
「おい、本当に言うな、それを!」
しかしヴィエナは微笑みを崩さず、そのままナミュールをぐいっと引きずり、部屋の中へと入っていった。
「どうしたんだ?」
ナミュールが、会議の時以外に部屋に来る事は滅多になく、スクアードは少し驚いた表情をしていた。
「ほら、ナミュール様」
ヴィエナはやさしく促した。ナミュールは下を向いたまま、無言のまま立ち尽くす。
空気が重い。なにより、気まずい。
それはまるで、自然と凍った南極の氷のように冷たく重い空気だ。
比喩ではない。本当にズッシリと重くそして冷たい。
ナミュールの緊張と、スクアードの警戒、そしてヴィエナの期待が混ざりあい、奇妙な静寂が部屋を満たしていた。
そして…ようやくナミュールが口を開いた。
ヴィエナは体感で隣町へ歩いていくほど、長い長い沈黙の時間を感じた。
「兄さん……母さんが亡くなって以降……本当に、すまなかった」
頭を深く下げる。床に届くほどの深さで。
ナミュールの肩が小刻みに震えていた。
顔を上げたその目には、大粒の涙があふれている。
そして彼は見た目にそぐわない意外な大声で叫んだ。
「俺は……母が守ったこの国を……守りたいんだ!」
その声は震えながらも真っ直ぐだった。心の奥底から湧き出る想いが、涙と共に言葉になっていた。
スクアードは一歩前へ出た。無言のまま、ナミュールの前に立つ。その手が、静かにナミュールの肩に置かれる。
「ナミュール……」
柔らかな声だった。まるで長い冬の終わりを告げる春風のように。
「母さんは、お前が何を選ぼうと、ずっと見てくれている。俺も、そうありたいと思ってた」
ナミュールの目が見開かれる。スクアードは微笑んだ。
「俺たちは、兄弟だ。家族が、国を守る。それが母の願いだった」
ナミュールの肩が震えた。ヴィエナはそっとその場から一歩下がる。二人の時間を邪魔してはいけない。
扉の外で、彼女はそっと微笑んだ。
今まで、微笑む事の少ない彼女が微笑んだのだ。
それほど、この仲直りは暖かく、そして平和への一歩であった。
これで、また一つ前に進めた。
春の陽が、開いた窓からふたりの兄弟をやさしく照らしていた。




