第070話 スクアード王太子のせい
部屋の空気が凍りついていた。
ヴィエナの問いかけのあと、誰もが口を閉ざし、ただ互いの視線だけが交錯する。
(……しまった。もしかして、聞いてはいけないことだった?)
心臓がどくんと音を立てる。
咄嗟に「なかったことに」と願うも、もはや言葉は部屋に響いてしまっていた。
「……あなたね」
沈黙を破ったのは、メリッサ夫人だった。声色は柔らかいが、含まれる棘は明確だった。
ヴィエナは言葉を返す前に、スクアードが右手を軽く上げるのを見た。
「いいんだ。……ヴィエナ嬢も、これから国の運営に関わる以上、いずれ知ることになる」
その言葉に、メリッサは鼻先で笑う。
ヴィエナは口をつぐみ、視線だけをスクアードに向けた。
だが、答えたのはナミュールだった。
「原因は、兄さんが……アルメリア帝国からの縁談を断ったことだ」
「……え?」
「それが、マスタング皇太子の妹。つまり、アルメリア帝国の現皇帝、サルヴァドール陛下の娘だったんだよ」
ナミュールは淡々と言った。
だがその事実が持つ重みは、あまりにも大きかった。
「そ、そんな……たったそれだけで……?」
ヴィエナは言葉の重さを疑ってしまう。
「“たった”、では済まされないのが、王家同士の話さ」
そう補足したナミュールの声には、皮肉と諦めが滲んでいた。
「縁談を断ったことに激怒したサルヴァドール陛下は、報復として交易制限をかけるよう命じた。マスタング皇太子も賛同して、今の状況ってことだ」
スクアードは沈黙を保ったまま、重いまなざしで机を見つめていた。
(……この人、本当に悔いている)
ヴィエナには、その横顔が自責の念に満ちていることが分かった。
「つまり、王太子である兄さんが……民の生活を危機に陥れているというわけだ」
ナミュールの言葉は、皮肉でも誹謗でもない。ただ、事実を述べているだけだった。
(そんな、言い方……)
言いかけて、ヴィエナはスクアードの瞳と目が合う。
「……いや、ヴィエナ嬢。ナミュールの言う通りだ。私の判断が、国をこのような状況にしたことに違いはない」
スクアードの言葉に、誰も異を唱えなかった。
「このままでは、王太子でありながら国民を苦しめる存在となる。私こそが国を損なう要因になっているのだ」
その告白は、重かった。正直さが痛々しいほどだった。
(……なんてこと。簡単な政争や利権の話じゃない。感情と外交とが、密接に絡み合ってる……)
ヴィエナは、スクアードの苦悩を感じ取っていた。同時に、残酷な現実が突きつけられる。
(他の女性を紹介しても、サルヴァドール陛下の怒りは収まらない。むしろ、屈辱が上塗りされて火に油を注ぐだけ……)
どうすればいい? 解決策は?
そのとき、ナミュールがふたたび口を開く。
「……今、考えうる唯一の手段は、我が国から穀物を定期的に、無償で献上し続けることだ。それで、アルメリア側の怒りを鎮めるしかない」
「無償……で?」
「そうだ。穀物ならば、我が国にとっての主要な輸出資源でもあるし、多少削っても表面的な経済損失は小さい。だが……」
「でも、そんなことをしたら――」
ヴィエナは椅子から身を乗り出していた。
「確かに、騎士や軍関係の生活は安定するかもしれません。でも……その分、農民の人々に負担がかかってしまいます。収穫の配分が減れば、冬を越せない人たちも出てくるはずです!」
言い切ったと同時に、扇子の音が再び部屋に響いた。
「……なら、他に案は出せるの?」
メリッサの問いかけは、優雅な装いの下に冷酷さを忍ばせていた。
「あなたのその正論は耳に心地いいけれど、聞きたいのは現実的な『代替案』よ」
「……っ」
ヴィエナは言葉を失った。唇を噛む。
(……思いつかない。何も……)
喉元に引っかかる焦燥が、胸を締めつける。無力さが、骨の髄まで染み込んでいく。
沈黙が再び、会議室を支配した。




