第056話 前夜祭
新連載
白い結婚と言ったのは王子のあなたですよ?
こちら本日更新しています。
アルバート領、夜。
金糸を織り込んだ分厚いカーテンが外界を遮る広間では、重々しい静けさが漂っていた。
赤く輝くワインの液面が、ゆらゆらと揺れている。
「アイク様、私たちの勝利は確定したようなものですね」
リリアが微笑みながらグラスを掲げた。
その隣で、アイクも穏やかな笑みを浮かべる。
「ああ、リリア……お前は流石だ。抜け目がない」
ふたりは贅沢なソファに寄り添い、肩を重ね合わせながら優雅にワインを嗜んでいた。
──この夜、勝利の女神は彼らにほほ笑んでいるかのようだった。
アイクはワイングラスをくるくると回しながら、楽しげに言葉を継いだ。
「今頃、奴らは街を駆けずり回り、必死に誤解を解こうとしているだろうよ……」
赤いワインを一口飲み、口角を吊り上げる。
「だが──もう遅い」
そう言って、アイクはゆっくりと笑みを深めた。
「ガハハハハ!」
重低音のような笑い声が広間に響く。
父ゴードン公爵が、がっしりとした腕を組みながら声を上げた。
「エムリット領の娘も、腕が立つと噂には聞いていたがな──アイク、リリア。やはりお前らほどではなかったということだ!」
ゴードンは満足げに笑い、ワインをあおる。
アイクも苦笑しながらグラスを傾けた。
「あれだけ啖呵を切って、堂々と勝負を挑んできたものだが……」
アイクは、あの日のヴィエナを思い出していた。
気丈な瞳、堂々たる態度。
だが──それは、無残にも打ち砕かれたのだ。
「思い出すと……なんとも面白い話だな」
アイクは肩を震わせながら、愉快そうに笑った。
リリアも同じく、上品な微笑を浮かべてグラスを傾ける。
勝利は確実、すべては思い通りだった。
──コンコン。
小さなノック音が部屋に響く。
アイクがちらりと扉を見やると、従者が慌ただしく現れた。
「……大変です!」
従者の顔には焦りが滲んでいた。
アイクは眉をひそめるが、ゴードンが先に声を張り上げた。
「なんだ?食事を楽しんでいるところだ!今日は、勝利の前夜祭だぞ!」
ゴードンは手を大きく振り、従者を追い返そうとする。
だが、従者は引き下がらなかった。
震える声で続けた。
「ヴィエナ・エムリットとエドガー・ウェルナーのスキルシェアリングサービスが──息を吹き返しています!」
広間に沈黙が落ちた。
アイクが、手に持ったグラスを静かにテーブルへ置く。
「……なんだと?」
ゴードンがどす黒い声で唸った。
「どういうことだ、アイク!」
ゴードンが詰め寄る。
リリアも不安そうにアイクを見つめた。
アイクは、しかし眉をしかめながら、かぶりを振る。
「……いえ、そんなはずはない」
苦々しく呟く。
リリアと綿密に計画を立てた。
ヴィエナとエドガーの信用を地に落とし、再起不能に追い込んだはずだった。
「いったい、何が起きた……?」
従者は震えながら報告を続けた。
「コレスニック街で──彼らは無料でスキルシェアリングを始めています! “期間限定で無料体験”だと宣伝し……市民たちは再び彼らの元に集まり始めました!」
「無料、だと……?」
それは、完璧な一手だった。
金を取らず、ただで技術を分け与える──
それならば、どんなに悪意を吹き込まれようと、人々は離れない。
アイクの喉が音を立てた。
勝利を確信していた余裕が、急速に崩れていくのを感じた。
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コレスニック街。
夕闇の中、人々が行列を作っていた。
灯りに照らされ、笑顔を浮かべながら順番を待つ老若男女たち。
その光景を、ひとりの少女が眺めていた。
ヴィエナ・エムリット。
彼女は、控えめに、けれど確かな自信を込めた小さな笑みを浮かべていた。
隣では、エドガーが疲れた顔をしているが、目は輝いている。
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