第048話 ソフィア
新連載の下記作品も読んで頂からと嬉しいです。
白い結婚と言ったのは王子ですよ?
「……ほんと、何度聴いても感動する演奏ね」
コンサートホールの出口付近。講演が終わり、観客たちが静かに会場を後にしていた。小さな歓声やささやき声が、静寂の中で反響している。
「ピアノだけじゃないんですって。バイオリンも、フルートも……全部トップの腕前らしいわよ」
「しかも美青年。音楽だけじゃなくて、見てるだけで癒されるなんて……もう反則だわ」
華やかなドレスをまとった淑女たちは、夢見心地のまま会話を交わしながらホールを後にしていく。
そんな観客の波をかき分けるように、エドガーは前を見据えて足早にステージ裏へと向かっていた。
「ソフィアさん!」
声を張り上げると、ちょうど楽屋から出てきた一人の青年が立ち止まった。
淡い茶髪、洗練された顔立ち、そして長身のすらりとした立ち姿。その姿は、まるで楽器の精霊のような雰囲気を漂わせていた。
彼こそ、音楽家ソフィア。
「……あなたは?」
静かで澄んだ声が返る。敵意も好意もない。ただ、演奏後の余韻を壊されたことへのわずかな警戒が感じられた。
「ウェルナー公爵家のエドガーと申します」
軽く一礼しながら名乗ると、ソフィアは少しだけ眉をひそめた。
「はぁ……」
その気のない返答に、エドガーは一瞬だけ言葉を選んだ後、はっきりと口にした。
「貴方に、協力のお願いをしに来ました」
その言葉に、ソフィアの表情が少しだけ強張った。
「すみません、私、これからピアノの練習があるので」
あくまで丁寧に、それでいて拒絶の色ははっきりと滲ませて、彼はその場を離れようと踵を返す。
「……あの!」
立ち去ろうとする背中に、エドガーは思わず声を上げた。
「あなたの演奏、本当に美しかったです。この美しさを、もっとたくさんの人に届けたいとは思いませんか?」
その問いに、ソフィアはぴたりと足を止めた。そして、くるりと振り返り、少し冷たい視線を向けた。
「……失礼ですね」
その声には、怒りよりも失望の色が濃かった。
「私の演奏を楽しみに来てくださる方々は、すでに沢山います。私は、届けていますよ」
エドガーは何も言い返せなかった。正論だ。彼の言葉は浅はかで、まるで今のソフィアの努力や誇りを否定するようにも受け取れるものだった。
「……」
エドガーは唇を噛み、ただ立ちすくむ。
その沈黙に、ソフィアは再び背を向けた。
だが──
「その通りです」
エドガーが小さく、しかしはっきりと声を出した。
「失礼なことを言ってしまいました。……だけど、聞いてください」
その言葉に、再びソフィアの足が止まる。
「ソフィアさん」
エドガーは、まっすぐにその背中を見つめたまま、深く息を吐いた。
「あなたの演奏は、本当に素敵で……その、芸術でした。僕には音楽の知識はありません。けれど、心が震えたんです。だから──」
ソフィアがゆっくりと振り返る。今度は完全に立ち止まっていた。
「だから僕は、ピアノに興味のない人にも聴いてもらいたい。そして好きになって欲しい。僕のように、これまで音楽に触れてこなかった人たちにも、あなたの演奏を知ってほしいんです」
その言葉に、ソフィアは眉をひそめた。
「……そんなこと、無理ですよ」
静かな声が返る。だがそこには、少しだけ迷いのような感情が混じっていた。
「興味のない人が、わざわざピアノの演奏を聴きに、この会場まで来るとでも?」
「無理じゃありません!」
エドガーの声が少し大きくなった。
「僕に任せてください。……貴方の音楽を、必要としている人がきっといます。まだ出会っていないだけです!」
その強い言葉に、ソフィアは目を見開いた。
沈黙が落ちる。
数秒の間、互いに視線を外さず立ち尽くしていた。
やがて、ソフィアはゆっくりと口を開いた。
「……そんなこと……どうやったら出来るんです?」
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