1.神社の夜
高台の上にある神社の敷地は広く、都会の真ん中であるにも関わらず夜空がよく見えた。駐車場のフェンスから月をのぞきながら、紺色のピーコートに身を包んだ綾子がたばこを吸っていた。
綾子がたばこを始めたのはひと月ほど前のことになる。三ヶ月前、ふと16歳の自分にたばこが買えるのか試してみたくなり、コンビニに行った。レジの店員が向こうを向いて何かやっているうちに銘柄を確認し、「たばこのピアニッシモください」と言った。
年齢を確認されたら正直に16だと告げ、べろべろに酔っぱらってしまった姉に頼まれて買いにきたというつもりだった。追求されたときのために、ミネラルウォーターまでレジに持って行った。
結論から言うと、無駄な心配だった。三十台半ばに見える店員は綾子に「あのピンクのやつですね?」とだけ確認し、何の疑いもなくミネラルウォーターとたばこを袋に入れてくれた。面倒なことにならなくてほっとすると同時に、あまりにもあっさりと事が運んで拍子抜けしていた。もしかしたら未成年がたばこやお酒を買いに来ることは頻繁にあって、店員もいちいち年齢確認することを億劫に感じているのかもしれない、とも思った。
予想以上に簡単にたばこを買うことができたが、綾子は単に買えるかどうか試してみたかっただけだったので、買ったたばこを吸うか捨てるのかで迷った。学校の授業でたばこがあらゆる病の原因であり、喫煙者のみでなく周囲にも害が及ぶ、など、たばこがどんなに良くないものかの知識は十分に与えられていた。それでも綾子がたばこを吸ってみたのは、長生きすることへの執着が全くと言って良いほど無かったからかもしれない。一本目のピアニッシモに火が灯されたのはそれから二ヶ月後、綾子の誕生日だった。
学校で友達におめでとうを言われるまで、綾子は今日が自分の誕生日であることをすっかり忘れていた。昨晩までは覚えていたのに。朝の食卓で誰も口にしなかったからだろう。二、三日のうちか、早ければその日の夜になってから思い出したように「おめでとう」と言ってくれる。そして一週間か二週間経ったころにプレゼントが贈られる。誕生日を当日祝って貰えないということは、綾子にとって別段嘆くべきことではなかった。兄の誕生日は六月だからみんな覚えていて、私の誕生日は一月だから忘れられてしまうのだろう。その程度に捉えていた。深くは追求しない。やるせなくなるだけなのは、痛いほどよく分かっていた。
初めてたばこを吸ったのも、この神社だった。
むしゃくしゃしていたのかもしれない。
毎年のこととはいえ、やはり少し傷ついたのかもしれない。
そんなことはどうでも良かった。夜の誰もいない神社で夜空を見上げながらたばこを吸うことは、ひどく甘美で幸せなことのように思えた。躊躇わず一気に吸い込んだ煙のせいでむせ込んだが、冬の関東の晴れた星空の下、綾子は確かに幸せだった。つかの間にしろ、息苦しさから解放されたのだ。
短くなったたばこを携帯灰皿に入れ、綾子は「河野さん家」に向かった。
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