0.事前準備
一応ジャンルはホラーですが、ホラー要素は呪いに関してのみで、主人公の生い立ちや表面化しにくい程度の虐待問題に重点が置かれています。
―何もかも消してやりたい。私の存在を認めたくない。私と関係したすべてをなくしてしまいたい。
父親の日記を読んでしまったその日から、少女の心は決まっていた。
―いつか必ず、私の手で、すべてを断ち切ってみせる。偽物や嘘であるくらいなら、何もない方が良い。両親と同じ様に、こんなシロモノを生み出してしまうであろう私など、早く死んでしまえ。
綿の代わりに米を詰めたぬいぐるみに針を刺すという行為は、小柄で華奢なその少女にはいささか似つかわしくみえた。日本人離れした整った顔に虚ろな表情を浮かべ、一心不乱に針を突き刺す彼女は、どこか色気を漂わせていた。
―48本目。
少女は肩の力を抜き、ため息をついた。
―やっと完成した。
積み上げられた5つの縫い針のケースに残った針の数は2本。少女の母親の針山に、何年も前からそこにあった、当たり前の存在であるかのように紛れ込むことになるのだろう。
「当たり前」、とは河野忠弘が頻繁に使う言葉だった。父親の言う「当たり前」が必ずしも「外」で通用するものではないことに綾子が気づいたのは一体いつのことだったのだろうか。ふとしたことがきっかけで訳も分からぬまま家を追い出された日だったかもしれないし、高校の柔道部の兄に本気で殴られた話を綾子が中学のクラスメイトにしたときだったかもしれない。
とにかく、「昔」と並び「当たり前」は、忠弘の「お気に入りワード」のツー・トップの座を誇っていた(と、同時に綾子の「絶対に使いたくないワード」の上位にも入っていた)。そんな曖昧ではた迷惑な言葉は使いたくない、そう綾子は思っていた。
―あとは水槽に沈めて待つだけ。
オフホワイトの壁紙に、女の子らしい花柄のカーテンや赤い椅子が置かれた部屋の隅。埃っぽい床の上に、凶々しさをたたえた「ぬいぐるみ」が針を鈍く光らせながら横たわっていた。
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