80 真犯人
さらに羽黒祐介は解説を続けた。
「それでは、琴音さんが犯人ではないとして、琴音さんの証言を振り返りたいと思います。琴音さんは、事件当夜、赤沼家の本邸に訪れていました。その時、琴音さんは赤沼家の正門から入って、玄関に向かおうとしました。ところが、この時、玄関の周囲はまだだれも踏み入れていない処女雪に覆われていました。(第六十八回参照)そして、琴音さんが食堂で見た時計の時刻は九時二十分でした。つまり、琴音さんが玄関付近にいたのは少なくともその直前のことと思われます。そして、救急と警察に通報があったのは九時十分。すると、早苗さんが目撃したという怪人が玄関から出て行ったのは、おそらく九時ちょうどといったところになるでしょう。それでは、なぜ琴音さんが玄関を訪れた時、怪人の足跡はどこにもなかったのでしょうか」
誰も何も語らなかった。皆、沈黙して祐介の解説に聞き入っていた。
「もうひとつ付け加えますと、琴音さんは早苗さんの悲鳴も聞いてはいない。つまり、早苗さんが怪人を見つけた後に、琴音さんは赤沼家の本邸に訪れたのだと思います。その時に怪人の足跡はなかった。だとしたら、怪人は本当に雪に足跡を残さずに消えてしまったのでしょうか」
羽黒祐介は、皆の顔を見まわして、さらに付け加えた。
「不思議なことはそれだけではありません。わたしがかねてから疑問であったのは、そもそも犯人は、なぜ八時頃に犯行を犯して、九時に玄関に現れたのでしょうか。この一時間のタイムラグは何を意味するのでしょうか。犯人は重五郎さんを殺害した後にすぐに逃げ出さずに、なぜ一時間も待った後に帰ろうとしたのか。この不自然さは何でしょうか」
根来は、思わず息を呑んだ。
「もうひとつ不思議なことは、犯人はなぜわざわざ裏口から建物に入って、建物の中を通って、玄関から出ようとしたのでしょうか。逃走の為であれば、アトリエから建物の外側を通って門から出れば良い話ではないですか」
祐介は、赤沼家の人々の様子をじっくり見つめて、根来ははっとして叫んだ。
「そうか、犯人は犯行後、琴音さんの部屋の地下室に入って、凶器を底に隠したんだ……。その為に一時間もかかってしまった……」
「わたしもしばらく根来さんと同じ推理をしていました。しかし、この推理は犯人が逃走したものでないと成り立たないのです。この疑問に答える為の大前提として、これまでの、犯人は赤沼家の人間であるという推理にしたがって、犯人の目的は逃走ではないということになるのです。しかし、だとしたら尚更、早苗さんの前に犯人が怪人の仮装をして現れた出来事は何を意味しているのでしょうか」
「そう言われると不自然なことだらけだな……」
祐介は、少し言葉を切ってから、
「ひとつの仮説として、外部犯に見せかける目的で玄関から逃げ出すところを早苗さんに見せたのではないかということです。しかし、だとしたら、怪人の仮装などしてはならないはずです。もっと、一般的な強盗に扮するようでなければならないでしょう。そして、あの殺人予告状のMの怪人という言葉とつながれば、犯人が関係者であることは自ずとわかってしまうのです」
「だとしたら、犯人は何の為に……」
「そのことはひとまず置いておいて、これら不自然な点と、先ほどの足跡がないということから、わたしは事件当夜に怪人が本当に現れたのか疑問を持つようになりました。そして、これこそ、わたしに早苗さんの証言に疑いを抱かせるきっかけでもありました」
「それじゃまさか……犯人は……!」
根来は驚きのあまり声を上げた。祐介はある人物を鋭く睨みつけて言った。
「それでは赤沼家殺人事件の真犯人をご紹介しましょう。他の誰でもない、赤沼早苗夫人です!」
瞬く間に一同にどよめきが起こった。そして、祐介はもう一度、声高に叫んだ。
「……真犯人は赤沼早苗夫人です!」




