7 私立探偵 羽黒祐介登場
赤沼麗華が明治通りの賑やかな歩道を歩いてゆくと、程なくしてその探偵事務所にたどり着いた。古びたビルの二階で、窓には「羽黒探偵事務所」と記されている。
(ここだ……)
麗華がここに訪れたのは、すでに何回目かだった。
麗華は、階段を登ってゆく。一段一段登ってゆく度に、さまざまなことが頭をよぎってゆく。
(わたしは今、緊張している……)
階段を登りきったところに探偵事務所の入り口のドアはあった。ノックしてドアを開く。室内は、小綺麗な事務所という印象だった。本棚の前に立っていた男性が慌てて走ってくる。
「麗華さん。お久しぶりです」
それは探偵助手の室生英治だった。
室生英治は、古風な醤油顔の男性で、際立った美男子というわけではないが親しみやすく優しい男性という印象である。そのために一緒にいると親戚の男性といるような気持ちになる。そのせいか、麗華は英治のことがずっと前から好きだった。
麗華は正直、英治に会えると思って、階段を登っている段階から浮き足立っていたのだった。
(よかった。あの時からなにも変わっていない……)
麗華はそれだけで嬉しくなった。
「すみません。突然、連絡してしまって……」
「いえ、いいんですよ。麗華さんの相談とあればいつでも……」
英治はそう言いながら恥ずかしそうに微笑むと、麗華をソファーへと案内する。
「今、紅茶を入れてきますね」
と英治は言ってそそくさと、事務所の奥のドアへと入っていった。
(でも、羽黒さんはどこにいるんだろう……)
麗華は、当の私立探偵がどこにいるのか気になった。事前に連絡していたのに、こうしてひとりでソファーに座っていなければならないなんて……。
(英治さんが知っていると思うけど……)
麗華はそう思った次の瞬間、事務所奥のドアが激しく開いた。
「そうだ。でもまさか、そんなことがあるなんて……!」
麗華は驚いて、堰を切ったように早口でそう言いながらドアから飛び出してきた男性を見つめた。
それは二十九歳の眩しいほどの美男子。水に濡れて流れているような黒髪、一際繊細そうで深い憂いをたたえた美しい瞳、細い顎、一文字に閉じられた唇、寒がりなのか厚手のコートを室内なのに羽織っている。
それが私立探偵の羽黒祐介だと麗華はすぐに気づいた。
「羽黒さん!」
羽黒祐介は、麗華に気づくと「おやっ」という表情を浮かべて、壁の時計を確認した。
「麗華さん。すみません。この時刻になっていたことに気がつきませんでした。お待たせしてしまいましたか?」
「いえいえ、とんでもないです!」
「ちょっと山形で起きた殺人事件について考え込んでいまして……。ところで英治は、今どこに?」
祐介はそういえば英治がいないな、とばかりにあたりを気まずそうに見回す。
「紅茶を……」
「あ、紅茶ですか……」
祐介はそう呟いて、ソファーの真向かいに座ると、あまり眠っていないのか、目頭に親指を当てている。
麗華は、これは決して浮気心ではないが、祐介の顔をまじまじと見つめてしまう。
……羽黒祐介は、人類史上類例のない絶世の美男子なのである。
「それではお話をお伺いしましょうか……」
そう言って祐介は顎を撫でると、両手の指を重ねて、麗華の瞳をじっと見据えた。
祐介の眼差しの奥にあるのは、今にも惹き込まれそうな深くて黒い瞳だった。