77 赤沼琴音と怪人の絵
祐介は最後に、赤沼琴音に会う為に、琴音が潜伏している駅近くのビジネスホテルへと向かった。琴音がここにいることは赤沼家の人間には完全な秘密になっている。
ビジネスホテルの付近は相変わらず人気がなかった。ふたりは駐車場に車を停めると、八階の部屋に向かった。琴音はふたりを出迎えると、しとやかな物腰で、お茶を出そうとしてお湯の入ったポットをいじっていたが、カップが余っていなかったらしく、途中で諦めて椅子に座った。相変わらず美しい見た目だが、少しばかり疲れた様子であった。それがかえって彼女の美しさを際立たせていた。
「隼人さんに会いたい……」
「もう少しの間、辛抱なさってください。今、出歩かれますと危険ですし、警察もあなたを疑っているわけですから……」
などと祐介は言いながら、茶饅頭をひとりばかり差し出した。
「琴音さん、ひとつ、お尋ねしたいことがありまして……。銀色の仮面を被った怪人の絵についてご存知ですか?」
「怪人の絵……」
琴音はそう繰り返しながら、茶饅頭を手の中で転がしていると、すぐにはっと顔を上げた。
「アトリエにある、あの怪人の絵ですか……?」
「ご存知ですか……」
祐介はその反応をみて、静かに身を乗り出した。
「ええ、あれは父が描いたものです。あれをわたしが最後に見たのは事件の起こる十日前のことです。その時、赤沼家の者はみな出かけてしまって、あの邸宅には父しかおりませんでした。それでわたしは赤沼家の本邸の近くまで来ておりましたので、皆さんが出払った時刻を見計らって、アトリエで父と会ったんです。その時、父はその怪人の絵について、わたしに色々話してくれました……」
なんということだろうか。琴音はあの怪人の絵のことを知っていたのである。しかしそのことに対する驚きはこの時、祐介の内心にはなかった。祐介は、あれが何なのか想像がついていたのである。しかしこの謎が説明付けられれば、もはやこの事件に謎は残っていないのである。
「琴音さん。あれは何だったのですか、あの怪人は……」
「あの怪人は、父の小さい頃の記憶と言いますか……あるいは、ロマンティックな思い出とも申しましょうか。父は小さい頃、江戸川乱歩などの描いた少年ものの探偵小説が大好きでした。父はそれらの読み物を寝る間も惜しんで読んでいたそうです。そしてその作中に登場するような恐ろしい怪人に強い憧れを抱いておりました。そうした怪人の中でも父がひと際好きだったのが、仮面を被って、なにを考えているのか分からぬ恐ろしい外見の怪人だったそうです。父は童心に返って、半年ほど前にその絵を描き上げたそうです。その油絵には、レトロな探偵小説に出てくるような、黒い山高帽子を目深に被せられている、銀色の笑った仮面をつけた怪人が中央に描かれていました……」
「すると、あの怪人の絵は……」
羽黒祐介はその言葉を呑み込んで、ひとり静かに頷いた時、赤沼家殺人事件に関する最後の疑問が解き明かされて、もはや謎はどこにも残っていなかったのだった。
*
羽黒祐介はこの時、赤沼家殺人事件に複雑に絡み合っていた謎が、もの見事に全て解き明かされたことを確信した。それにしても、あらためて考えてみれば、なんという残酷で悲劇的な真相なのだろうか。祐介は、この禍々しき殺人事件の真相が明かされることに、喜びよりもむしろ深い悲しみを感ぜずにはいられなかった。しかし祐介は、琴音の為にも事件の真相を明かさねばならないのである。
かくして、羽黒祐介は赤沼家の人々を血に染めた、残酷なる真犯人に王手をかけるべく、明日正午に赤沼家本邸に容疑者を集めて、勿論、琴音も同席してもらって、衆人環視の元で事件の真相を暴くこととしたのであった……。




