6 階段から見えたもの
赤沼麗華は、次の週の日曜日には、ひとりで電車のドアの横に立って揺すられていた。
麗華が、窓の外を見ると、青々とした大空には雲ひとつ無く、汚れたビルに隠されている地平の彼方は、少し白っぽく霞んでいるように見えた。
また、斜め上に傾いている小さい太陽が光り輝いて、いかにも暖かそうな光景であった。
けれども、外が身が凍えるほど寒いことは、隣のドアが開く度に、吹き込んでくる冷え切った風のせいで、嫌というほど実感させられていた。
麗華は、この日朝早くから、上越新幹線で群馬から上野駅にやって来ていた。そして、今まさに、そこから山手線の電車で、都内の池袋駅へと向かっている途中なのだった。
麗華は、大学の友達に用があって上京するのだ、と早苗夫人や重五郎などの赤沼家の人間に伝えてきた。
しかし実際にはそうではない。麗華は、重五郎の不調の原因を調べてもらう為に、とある探偵事務所に向かっているところなのであった。
(何かわかるかもしれない……、あの人なら)
その探偵事務所の私立探偵に、麗華は上京して間もない頃、助けられた経験があった。ある事件に巻き込まれて、ありもしない容疑をかけられた際、見事な推理力で、冤罪を証明してもらったのだった。
だから、今回もこの探偵に一度、相談をしようと思っているのである。
その事件については、今回の事件とは関係がないので、詳しくは記さないこととする。
そうこうしている内に、麗華は、池袋駅にたどり着き、ホームに降りた。ざわざわと物音を立てる人混みの中、麗華は、まわりの人にぶつからないように気を配りながら、慎重に階段を降りていった。階段を降りるにしたがって、下の階の眺めが広がってくる。その瞬間……。
「あれ?」
麗華は突然、素っ頓狂な声を上げた。そして咄嗟に何も考えずに、急いで階段を駆け下りようとした。案の定、麗華は階段を踏み外して、そのまま二、三段、階段を転げ落ちるという失態を演じた。
「いてて……」
直感的に体が動いてしまったのだが、考えてみれば、とても恥ずかしいことをした、と麗華は思った。周りからみたら、なんと無様で、人騒がせな光景だろうかと思うと、麗華は顔が真っ赤になる思いだった。そして麗華は急いで立ち上がると、さも何もなかったかのようにスカートの埃を払って、後ろを見ずにさっさと歩き出した。
その直後、遅れてやってきた腰の鈍痛に麗華はしばらく思考を奪われた。
麗華は思い切って改札口から飛び出すと、人の波に巻き込まれないように気をつけながら、地下通路を歩いてゆく。池袋の人々は波のように押し寄せてくる。腰の痛みのせいで、目眩を起こしそうだった。
麗華は、焼きたてのメロンパンを売っているお洒落な店の横に立ち止まって、人を待っている振りをして、しばらく息を整えることにした。
腰の痛みが引くにしたがって、麗華は、さっき自分の身に起こったことの原因を思い返した。
(だけど、今のは……)
麗華は、なんだかとても怖いものを見てしまったかもしれない、なんて思った。けれどもすぐさま、そんな馬鹿なことはありはしない、と頭に浮かんだことを慌てて打ち消した。
(わたしもお父さんと一緒で、ひどく神経質になっているんだわ……)
麗華は、そう自分を慰めて再び歩き出した。それでもしばらくの間、脳裏に先程階段から見えたものがこびりついているようだった。
麗華は、地下通路の階段を登って東口側のロータリーに出た。
突き抜けるような青空の下、巨大で汚らしいビル群が自分を取り囲んでいるみたいだった。
そして麗華は、あの探偵事務所に向かって、殊更に足を速めたのであった。