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44 早苗夫人の嘆き

 その後の警察の捜査によれば、赤沼蓮三は、煙草の吸い口に付着した青酸カリを吸ったことによる中毒死であることが分かった。


 青酸カリとは、シアン化合物と言って胃酸に反応してシアン化水素を発生させる毒物である。そのシアン化水素を肺が吸収すると、細胞内低酸素となり窒息死に至るのである。


 歴史を振り返ってみれば、戦後の多くの事件でこの青酸カリが使用されたのであるが、この場でその名を挙げるのは差し控えさせていただきたい。それよりも、赤沼家殺人事件の究明にまつわるこの物語の記録を再開することとしよう。


           *


 この事態を聞きつけて、赤沼家の人間も警察も羽黒祐介も現場である金剛寺の庭に瞬く間の内に駆けつけた。

 蓮三の顔は全体的に苦悶に歪み、その瞳は冷たくなったように見開かれたまま、もう閉じることはなかった。口は吐き出した唾液にまみれていて、断末魔に悶え苦しんだことを窺わせた。

 そして、片隅に落ちていた一本の煙草。これを一口咥えた瞬間にこの男の人生が終わったのだ。


 検死官が死体の状態から青酸カリによる毒殺を告げた時、根来刑事の視線はこの一本の煙草に注がれた。この煙草の吸い口から青酸カリの毒物反応が出たのはこの現場検証のすぐ後のことであった。

「おぞましき殺人鬼め……」

 そう根来が苦々しく呟いたのが、祐介の耳にしばらく残っていた。


 その頃、早苗夫人は予想だにしなかった蓮三の死にまさしく半狂乱になっていた。早苗夫人は泣いて、喚いて、凄まじい様子であったので休ませる為に金剛寺の控え室に連れ込まれた。誰も彼女の取り乱しようを非難できるものはいなかった。子供を殺された母親は皆こうなるだろうと祐介は思った。そして、それは直視していられないほどに悲惨な様子なのであった。


(蓮三……蓮三……なぜ死んでしまった……!)

 早苗夫人は心の底からそう叫び続けた。早苗夫人は実の子の死の不条理を叫ばずにはいられなかったのである。


 実際、警察官や吟二が抑えなければ、早苗夫人は取り乱して、今にも自殺をしてしまいかねないほどの様子であった。それほどまでに彼女の嘆きは深く大きかったのである。


 根来はこれを見て、再び心の奥深くから込み上げてくる怒りを抑えることができなかった。それは祐介も同じであった。


(殺人鬼よ。一体お前は今どこにいるのだ。この悲しみにくれる、このひとりの母親を見てお前は何を思うだろうか……)

 祐介は腕組みをしながら考える。


 またも生命が(おびや)かされ、人の心が無残にも掻き乱され破壊されてゆく。無上の愛がいつの間にか無上の悲しみとなり、それがいつしか憎しみの炎に包まれてゆく。

 憎しみの炎に包まれたその時、誰がその心を責めることができるのだろうか。

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