35 民宿のふたり
一日中、事件の情報を集めていた羽黒祐介と室生英治は、夕方になったので、タクシーを頼んで、駅から離れた山道にある古びた民宿にやって来た。といっても、この季節は日が落ちるのが早い。建物といっても外見のよく見えない影の塊となっていて、窓からあかりがとろとろと灯っているのが見えるばかりで、オンボロ民宿もこうなると少しばかり幻想的である。
日はどっぷりと暮れ、山の峰にはほのかに赤みが差しているが、見えるものといったらそれだけの一面影に覆われた黒塗りの景色であった。
祐介と英治がお互いの顔を見合わせても、影ばかりで誰だか分からないほどの闇であった。
引き戸を開き、ふたりが民宿に入ると、腰の曲がった愛想の良いおばあさんが出迎えてくれたと思うと、廊下の奥から可愛らしい二十歳ほどの孫娘が飛び出してきて、すぐにふたりを二階の畳の部屋へと案内してくれた。
その部屋といったら、畳は汚れ、襖には茶色い汚れが点々とこびりついていて、一番よろしくないことには部屋に風神の掛け軸が吊るされており、それは醜い滲みで汚れているせいで、風神の目からまるで血の涙を流しているように見えるという恐ろしいものであった。
一体、どうしてこれでやっていけるのかと感心してしまうほどに何から何までボロボロの民宿なのであった。
「ずいぶん、古い民宿だね……」
と祐介は呟くように言うと荷物を畳に下ろした。
「化け物でも出そうな気配だ……」
と英治も恐ろしそうにあたりを見まわす。
まあ、ふたりにとってみれば、こんなところでも食って寝られさえすればそれで十分なのである。なぜならば、祐介も英治も決して観光で来ているわけではない。事件の捜査に来ているのだから。
すぐに夕飯ということで、二十歳の娘が、炊き込みご飯と刺身と鍋物を持ってきた。ふたりはそれを箸で突っつきながら、昼間の話をぽつりぽつりとした。
そして、何もめでたいことは起きていないが、緊張から解放されたいあまり、二人は瓶ビールを注文した。すぐに栓を抜いて、息抜きに軽く乾杯をすることとした。白い泡が黄金色の液体の上に浮かんでいる。もちろん、これから先のことを考えると会話は弾まなかった。
神妙な時間がしばらく続いた後、英治はそっと口を動かした。
「なあ、祐介……」
「うん……?」
「赤沼家の惨劇はこれからも起こるのだろうか……」
「それは分からないな」
「そうだよな……」
「どうした……?」
「もう麗華さんが悲しむようなことは起こってほしくないんだ……」
その英治の声の響きには、何か感じさせるものがあった。
「君は……」
「…………」
「いいや……分かったよ。全力を尽くそう」
「ああ……」
祐介は、英治の心情を悟って、それ以上何も聞くことはなかった。そして、なんだか気まずくなって、コップに残ったビールを飲み込むと、わけもないのに窓の外を眺めた。
今夜は曇り空であることもあって、窓の外の景色は星の輝きすらも皆無な、完全なる漆黒の闇であった。
それはこの世の全てを、人間の心すらも吸いこんでしまいそうな、そんな深い深い闇夜なのであった。




