33 羽黒祐介の到着
そのさらに翌日の午前中のことであった。
私立探偵の羽黒祐介は、助手の室生英治を連れて、群馬県のとあるローカル線の電車に乗っていた。雪が降った後のことで、線路の両側にはまだ大分新しい雪が積もっている。電車は小さな町に到着し、ふたりは無人駅のホームと改札口を通って、人気のあまりないロータリーに出た。
(ここが赤沼家の本邸がある町か……)
祐介はそう思ってあたりを見回した。
この町は、昔、温泉街として栄えていたのだろうか、消えかかった「温泉」の文字の入った看板が目立ち、潰れた居酒屋の汚れたシャッターが見えている。
(赤沼重五郎はここで生まれ育ち、赤沼財閥と呼ばれる一大企業グループを作るに至ったんだ……)
そのため、赤沼家の本宅は今でも、この町の外れにある山奥にあり、東京の邸宅は、東京別邸と呼ばれているのだという。
「寒いなぁ。蕎麦でも食べてから行きたいけど……」
と助手の英治が不満げに呟く。祐介がその言葉を聞いて、英治の見つめている方を見ると「藪蕎麦」という紺色の暖簾の店が見えた。
「今、そんな気持ちの余裕はないけどね」
「それでも、これから赤沼家の本邸に行ったとして、そこでお昼ご飯が出るわけじゃないんだろう?」
英治はよほど腹が減ったらしい。
「君がそんなことを言っているなんて麗華さんは思っているかな?」
と祐介はそっと言うと、英治は恥ずかしそうに黙った。
その時、すぐに大型の黒いベンツがロータリーに突っ込むようにして走り込んできた。ブレーキをかけながら激しく停車して、中から稲山執事が飛び出してきた。ふたりは驚いて、二歩ほど下がった。
「羽黒様。私立探偵の羽黒様ですね」
「するとあなたが稲山さん……」
「ええ。わたくしが執事の稲山です。麗華お嬢様の言いつけで、お迎えに上がりました」
そういうことでは、蕎麦など食べている時間はない。英治は腹を空かせているらしいが、流石に黙っている。
三人を乗せた車が群馬県の山道を走ってゆく。稲山はひどく緊張している様子である。車の運転が苦手というのではなく、殺人事件発生の影響が原因らしかった。
しばらくすると、清々しい青空と雄大な山の峰の景色の真ん中に、ぽっかりと浮かび上がるようにして奇妙な西洋風建築物が見えてきた。その建物の片側からそびえ立つ塔。なるほど、これが赤沼家のお城といわれる所以なのだろう。
「お嬢様からお聞きしております。羽黒様はそれはそれは素晴らしい名探偵だとか……」
「名探偵とは、だいぶ大袈裟ですけど……」
「いえいえ、とにかく今の赤沼家には頼れる人が必要なのです」
「ええ……」
祐介は、少し困ったように言った。祐介は褒められるのが大の苦手であった。英治はそのことをよく知っていたので、なんだかひどく可笑しくて英治は笑いをこらえていた。
それよりも、英治が気になっていたのは調査のスケジュールであった。
「なあ、祐介、警察署にはいつ行く予定なの?」
「今日中に行くよ。今日明日はあまり赤沼家の本邸に長く留まるわけにはいかないからね。なにしろ、お通夜の席にお邪魔するわけにはいかないよ」
「そうか……わかった」
英治は頷いた。
「とりあえず、今日は麗華さんと話ができればそれでいいとしようと思う」
「お嬢様は喜んでお待ちしております」
稲山がそういうことを定期的に口にするので、褒められたり、期待されたりするのが嫌な祐介はまたしても苦笑いをした。
「羽黒様はこの付近のホテルにお泊りになるのですか」
「ええ、ホテルなんて大したものではありませんが、駅付近の民宿に泊まろうと思います。一連の騒動が収まるまでは、すぐに駆けつけられるようにするつもりです」
「それは心強い……」
「それで、事件のあとは何か変わったことは起こりましたか?」
「変わったこと……というと思いつきませんが、そう言えば、昨夜、蓮三さんが本館にお帰りになりました」
「蓮三さんというと、重五郎の三男の……」
「ええ」
そんなことを話している内に、赤沼家の駐車場に到着し、祐介と英治は車を降りた。
「本当に城だな……」
思わず英治は建物を見上げて呟いた。
*
すぐさま麗華が玄関でふたりを出迎えた。麗華はすぐに祐介と英治を自分の部屋に案内した。それは他の赤沼家の人間に話の内容を聞かれてはまずいとの配慮からであった。
特に淳一と吟二が私立探偵を呼んだなんて話を聞こうものなら、なんと申し立ててくるか想像もつかないのである。
「麗華さん、今度のことはとんだことで……」
「ええ、今日は……お通夜になります……」
「そうですか……」
「羽黒さん、父を殺した犯人が誰なのか……なぜ父が死ななければならなかったのか……わたしはどうしても知りたいんです……」
「ええ」
「でも、警察は危険だから捜査には参加するな、と言うんです……」
「それは仕方のないことです。実際にきわめて危険だと思います」
「でも、羽黒さん……わたしに出来ることがなにかあったらなんなりとおっしゃってください」
「あなたに出来ることはあります。あなたの力が必要になる時が近い内にきっと来ます」
「本当ですか」
「ええ、ただ今はじっとしていてほしいんです」
「はい……」
「もう少しの辛抱ですよ」
「わかりました……」
祐介には本当に考えがあるらしかった。それが何なのかまだこの時、英治には分からなかった。




