32 蓮三の帰宅
赤沼家の邸宅に、赤沼家の三男の蓮三が帰ってきたのは殺人事件の起こった翌日、すなわち一月一日のことであった。
蓮三は重五郎の会社の横浜にある支社に勤めている。蓮三は、事件の連絡を受けてから、東海道新幹線ですぐに東京駅へ行って、そこでまた上越新幹線に乗り継いだ。結局、蓮三が群馬の山奥にある赤沼家の本邸に着いたのは、もう日も暮れかけた夕方のことであった。
麗華は、昔から蓮三のことを慕っていた。冷たい性格の淳一と血の熱い吟二という二人の兄に比べて、蓮三は穏やかで優しい性格の兄だったからである。
(はやく蓮兄、帰ってこないかな……)
麗華は、二階のベッドの上に座ってそんなことを考えていた。
いまや醜い人間関係が交錯している赤沼家を取りまとめることができるのは兄、蓮三だけだと思っていた。
その時、赤沼家の呼び鈴が鳴った。
麗華はその音を合図に、自室のドアを開けて廊下に飛び出すと、玄関ホールの階段を勢いよく駆け降りていった。そこには稲山執事がすでに駆けつけていた。麗華は稲山を押しのけると、玄関のドアに飛びつく。
ドアを開くとそこには兄、蓮三の変わりない姿があった。
「蓮兄!」
麗華は小さく叫んで、蓮三を玄関ホールへと引き入れた。
「大変だったな、麗華」
蓮三は可愛い妹の心中を思って、すぐに優しく声をかけた。
「お父さんが……」
「ああ。赤沼家のことを恨む人間はこの世に大勢いるさ。父さんはその内のひとりに殺されたんだろう……」
「でも、良かった。蓮兄が帰ってきてくれて……」
麗華は、蓮三のことを小さい頃から蓮兄と呼んでいた。
「そうか。それで、赤沼家の人間にはアリバイがあるって警察は納得してくれたのか……?」
「そうみたい。でも、蓮兄には……」
「俺はその時分、横浜にいたよ。俺にもちゃんとしたアリバイがある……」
そう言った後、蓮三はなにか自分に言い聞かせるように、
「そうだ……だから俺には犯行なんて出来っこなかったんだ……」
と呟いたのである。
「警察の取り調べがあるらしいから、荷物置いたらすぐに警察署に行くよ。なに、すぐに終わるよ」
そう言って、蓮三は麗華を和ませようと笑顔をつくった。
「蓮三……」
見れば、早苗夫人がふらふらと階段を降りてきた。
「大変なことになったのよ……あの人は誰かに殺されてしまったわ……」
「そうだね。みんな大変だったことだろう。とにかく、今は落ち着くことが大事だよ……」
「淳一と吟二はまた諍いを起こしてしまいそうなの……」
「うん、そうだろうね……」
蓮三は、母を労わるように言った。
「蓮三……。ちょっと後で私の部屋に来なさい。赤沼家の今後のことで話があります。会社の方もこれからどうすべきなのか、問題は山積みなのよ……」
「分かったよ。でも、とりあえず警察署に行かないといけないよ」
「その後でいいわ……」
麗華は、母も蓮三を頼りにしていることを知っていた。そのため、ふたりの会話に割って入ることはなかった。
蓮三は間もなく支度を済ませて、赤沼家から数キロのところにある所轄の警察署へと旅立ったのである。




