19 早苗夫人が見たもの
次に応接間に呼ばれたのは、怪人を直接見たという早苗夫人であった。早苗夫人は一年前と変わらず、資産家の妻らしい上品な美しさと造形物じみた妖しさを併せ持っていた。
根来警部としては、犯人の特徴を一刻も早く知りたかった。そして、その特徴を村上隼人の外見と照らし合わせてみたいという欲求にかられていた。このように、根来はひとつのことを考え出すと止まらない人間なのであった。
夫人はまるでずっとめまいがしているような様子で、頭に手を当てていた。
「大丈夫ですか?」
根来が尋ねると、夫人はゆっくり「ええ……」と頷いてソファーに座った。
「去年に引き続いて、赤沼家の人間がまた一人死んでしまった……。今度は主人が死んでしまったんですね……」
「悲劇ですな」
「いえ……本当に……もう何が何だか……」
夫人はそういうと深いため息をついた。
「うむ……。あなたは玄関ホールで犯人をみたのですか?」
「犯人なのか、分かりませんが……。たしかに不審者はおりました……」
「それは犯人でしょう」
「それはそうなのかもしれません。そうでないかも……」
早苗夫人は、根来ほど考え方が単純でないせいなのか、曖昧な表現にとどめる。
「あなたは犯人がどうか分からないとおっしゃるが、事件のあった今夜に限って、窃盗犯と殺人犯がこの赤沼家の屋敷に二人も忍び込むなんてことはありえませんよ」
「ええ……」
早苗夫人は目がうつろである。
「すいません。ぼうっとしてしまって……」
「ご主人が亡くなられたのだから、それは無理もないことですな」
「ええ」
「あなたが玄関ホールで目撃した男について教えてください」
「わたしが階段におりました時、あの男は、玄関の近くに立っていて、黒い帽子を深々と被っておりました。ですから、最初顔がよく見えなかったです。もう、誰かと思って……」
「そしたら、その男が振り返ったのですかな」
「ええ、その男の顔には顔面を覆う仮面がついておりました……。銀色の仮面でした。人間が笑ったような不気味な……」
そこまで言って、あまりの恐ろしさに夫人ははっと息を呑んで、放心したように斜め上を見上げた。
「あの男が、主人を……!」
今にも早苗夫人がヒステリーを起こしそうで、根来は気が気でなかった。
「……ッ!」
突如、早苗夫人は悲鳴とも苦悩の叫びともつかない悲痛な声を発して、気を失うかのようにテーブルに突っ伏した。やはり多少ヒステリー気味であるようだ、と根来は思った。
「お気を確かに……」
「す……すみません……あまりに突然のことなので……」
「少し休まれますか?」
「いえ……大丈夫です……。一年間、琴音が死んでからというもの、この赤沼家では悲劇が起こり続けているのです」
「悲劇、ですか……」
「世間からは何と言われても良い……。しかし、一族の人間が仲違いすることだけは……耐えられません……」
早苗夫人が、一体何のことを言っているのか、根来にはよく分からなかった。そこで、根来はそのことについて早苗夫人に尋ねた。
「それはどういうことですかな? あなたはこの事件の犯人が、赤沼家の人間であると仰るのですかな?」
「犯人が……赤沼家の人間……? とんでもありません! 私はそんなことを言ったつもりはありません。まさかそんな恐ろしいこと……。わたしが言っているのは、息子たちのことですわ」
と早苗夫人は必死に訂正する。
「うん……? 息子さんと言うと、つまり淳一さんと吟二さんと蓮三さんですな」
「ええ……、でもこれは事件とは関係ありませんね」
根来は、今までの早苗夫人の言葉から心情を察したらしく、
「ははあ、つまりあなたは琴音さんの自殺の後、三兄弟が仲違いしたと仰るのですね。そのことで相当お悩みのようで」
「ええ……、もうこの赤沼家は滅茶苦茶ですわ……」
「確か一年前、村上隼人君の問題が浮上した後、淳一さんはすぐに他の結婚話を持ってきましたね。それを、琴音さん本人の意思とは関係なく、ご家族が半ば強制的に取り決めた」
「そ、そんな昔の話を今持ち出して何になるんですかッ!」
突然、早苗夫人は堪らなくなって声を荒げたので、根来は少し驚いて黙った。早苗夫人はすぐまたハアと深いため息をついて、うつむいた。
「すみません……どうしても……その話は今したくありませんわ……」
「では、話を今回の事件に戻しましょう。男の格好は?」
「やはり黒い服装で、詳しいことは覚えてません……」
「身長は?」
「そうですね……。百七十センチから百八十センチぐらいでしょうか」
「それでは、あまりにも幅がありすぎるような」
「そんな、それぐらいしか覚えていませんわ」
まあ、無理もないか、後で早苗夫人を呼び出して、玄関ホールで一回現場検証をしてみて、怪人の身長を割り出してみるのもいいかもしれないと根来は思った。
「あなたは、本日は何をされていましたか」
「早朝から電車で高崎の方へ参っておりました。それで知り合いのご婦人方とお食事を……、午後六時ごろにはちゃんとこの自宅へ帰って参りましたわ」
「なるほど、忘年会シーズンですものね。それで、その後は……」
「その後というと……」
「八時頃、どこで何をされていましたか?」
「八時頃? その頃は確かパーティーで食堂におりましたけど」
「その時間、一度も食堂から出ていないですか?」
「いえ、そんなことは。食事の間も、自分の部屋に戻ったりもしましたし」
「ふむ……」
「もしや、わたしにアリバイが無いと仰るのですか?」
「いえ……」
稲山にも同じことを言われたな、と思って、根来は頭をかいた。
「でも、そう言われても仕方ないですね」
早苗夫人はうつむいた。
根来は、少し気まずくなって、目の前にあるコップを手にとって、水を一口飲んだ。事情聴取というのはどうしてこうも気まずいのだ、と苦々しく思いながら。




