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11 根来拾三警部 登場

 珈琲というものは、何が美味しいのかわからないが、習慣になってしまっているので、いつも飲んでいる。殺人事件というものも、よくわからないことだらけだが、仕事だから追っている。マンネリズムの中に身を投じ、何も本質が見えないまま、ただ無味乾燥とした毎日を過ごしていた。


 根来(ねごろ)警部は、珈琲を一口飲む度にそんなことを考えては、無味乾燥な味わいと自分の人生を引っ掛けて、そんなことを悩む己へのナルシシズムに浸っていた。けれども、そもそも珈琲の味がわからないのは、根来刑事が味音痴なだけであった。


 根来警部はかつては鬼根来と呼ばれ、血気盛んな化け物が如き刑事であったが、このところ、意気消沈気味であった。

 人間の精神状態には、よくこんなことがある。頑張りすぎると燃え尽きるというやつだ。


(俺は今、あきらかに燃え尽きている……)


 根来はそう思いながら窓の外を見ると、舞い散っていた雪はもう止んでしまったようだ。


(群馬県警本部の中は暖かいが、もしこんな日に出動がかかったら凍えちまうだろうな。はやく熱々の年越し蕎麦でも食って家帰って寝たいぜ……)

 根来はそう思いながら、スマートフォンをいじって自分の娘がまだ幼い頃の写真を見つめ、疲れた顔で微笑むと、またひと口、苦い珈琲をすすった。


「根来さん、事件ですよ」

「あ?」

 根来警部のナルシシズムと陶酔を打ち壊す、部下の粉河(こかわ)刑事の冷たく乾いたような声が鋭く響いた。


「お前、今なんて言った」

「殺人事件ですよ、すぐに現場に行きましょう」

「なんなんだよ、こんな日に」

 今日は大晦日ではないか。こんな日に殺人を起こすなんて、なんて罰当たりではた迷惑な野郎なんだ。よりにもよって、あと数時間で、カウントダウンが始まり、新年が始まろうというこのめでたい節目のタイミングで人殺しをするとは、と根来は心身に怠さと腹立たしさを感じて、眉をひそめた。


「そんなこと言うものではありませんよ。赤沼家のあの城のような邸宅で人が殺されたそうです」

「なんだって、あの赤沼家か? 誰だ、誰が殺されたんだ?」

 その赤沼家という言葉を聞いて、根来ははっと目覚めるような思いだった。


「なんでも、当主の赤沼重五郎が殺されたそうです」

「ほんとかよ、そりゃ気になるな。すぐ行ってみよう」

「おまけに現場は雪の密室だったそうです」

「何? 密室?」

「ええ、雪の密室殺人です」

「馬鹿もん、推理小説の読みすぎだ!」

 根来は、苦々しく思って怒鳴った。


 そして根来は思い返した。赤沼家といえば、ちょうど一年前に令嬢の琴音が遺書もなく自殺したということで、あの時も、根来と粉河が捜査に当たったのだった。

 根来の勘によれば、殺人の疑いもあったが、決定的な証拠がなかったため自殺という形で捜査会議すら立ち上がらずに片付けられ、現在まで放置されていた。


 根来は今回、重五郎が殺害されたということになれば、一年前の自殺についても、一から考え直す必要が出てくるのではないかと、久々に刑事本来の胸の高鳴りを感じていた。

「さあ、行くぞ、粉河!」

「はい!」


            *


 パトカーの中で、根来は自分に酔っていた。根来は自己満足では満足しきれなくったらしく、粉河に話しかけた。

「しかしなぁ、赤沼家で殺人となれば、あの一年前の琴音の自殺もよくよく考え直さなきゃならねぇな」

「えっ、そうなのですか……?」

 粉河は、あまり納得いっていなさそうな冷淡な表情で返答した。粉河はまだ事件の概要を知らなかったので、そんなことはまだ何も考えていなかったのである。

 根来は粉河が何も気づいていないと思うと少し得意げになって、フフンと鼻で笑った。


「なんだ、お前は全然感じてねぇのか」

「感じるって何をですか」

「だから、一年前の琴音の自殺が自殺じゃなかったっていうやつだよ」

「いえ、だって感じるもなにも、まだ現場にもついていませんよ」

「たっく、これだから……。もっと感受性を豊かにするんだよ」

「しかし、どうしてそんなことを思いついたんですか」

 どうしてと粉河に追及されると、根来はちゃんとした理由を答えることができない。途端に具合が悪くなって、仕方なく、根来はすこし言いづらそうな小声で呟いた。


「……俺の勘だよ」

「刑事の勘というやつですか」

 粉河はひどく真面目くさった調子で呟きながらも、あまり感心していない様子であった。その露骨な反応に、根来は途端に恥ずかしくなって慌てた。


「なんだなんだ、お前、今、完全に俺を馬鹿にしてただろ」

「だって、根来さんの勘は今まで一度として当たったことがないじゃないですか」

「……まあな」


 根来はすっかり興醒めした気分で、現場の赤沼家本邸に到着したのだった。そう粉河に言われてしまうと、またいつもの自分の勘違いかもしれないとも思えてくるのだった。何はともあれ、証拠というものは現場にある、自分の勘が正しいかどうかは現場で判断できるだろう。根来は少し冷静になって窓の外を見た。


(でもな……)

 根来は、月明かりに浮かび上がる、赤沼家の壮麗な城郭を見上げて思った。

(やっぱり、ここには何かありそうな気がするぜ。俺の勘ではな……)

 そして、根来はパトカーの扉を開いて、一歩、外へと足を踏み出した。

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