当主夫人の部屋
フィロスの書斎に戻ってきてから、フィロスに、結婚したら自分の部屋をどうするか、聞かれた。
「今の君の部屋でも問題ない。…結婚したら壁の一部を壊して扉を付けることも考えているから。」
少し、考える。
2000年前の戦乱の時期と今は状況は違う。だけど?
「フィロスは、わたくしに、どうしてほしいですか?」
逆に聞いてみた。
フィロスは、困ったように言う。
「私のことは、どうでもいい。君の意思を尊重したいんだ。」
でも、私は自分の気持ちだけで決めたくない。フィロスと2人で決めたいのだ。それを伝えたら、フィロスは小さい声で答えた。
「できれば、本来の当主夫人の部屋を使ってほしい。」
と。
「あそこなら、確実に、君を、守れるから…。」
「では、結婚したら、フローラ様の部屋をわたくしにいただけますか?」
フィロスに微笑みかける。
「出入りの都度、ご迷惑をおかけするかもしれませんけれど。」
「迷惑だなんて思わない!」
「では、お願いできますか。」
フィロスは、ほっとしたように、うなずく。
「結婚までに、壁紙や家具を入れ替えよう。」
「今のままでも十分だと思いますけれど…。」
「きれいに見えるのは、保存の魔術がかかっているからで、実際は、2000年前の物だ。いくらなんでも替えざるをえない。」
言われてみれば、その通りだ。
「でも、あの部屋、当主夫妻以外は入れないのでしょう?」
「もちろんだ。あの部屋の存在はこれまで通り、公にしない。屋敷に仕える者はもちろん、職人など外部の人間は論外だ。だから、壁紙や家具を私があそこに運び入れる。そうしたら、グレイスがすべてやってくれる。そして、あの部屋の存在を隠すために、今、君が使っている部屋はそのまま、公には当主夫人の部屋として残す。」
グレイスは何でもできるんだ。
魔道具だから、当然かもしれないけれど。
「グレイスの体の中は、今の魔術では作り出せないほどの、高度な魔法陣が描かれている。」
「ご覧になったのですか?」
「一部、学生時代に見せてもらった。」
「わたくしも、いつか見せてもらえるでしょうか。」
「命令すれば、君には見せるだろう。君を主人として認めたようだから。私の場合は根気よくお願いし続けたら、彼女が根負けして少しだけ見せてもらったのだがね。」
「ふふ。そうなのですか。では、見せてもらえる時は一緒に見ましょうね?」
フィロスがまた微笑む。
フィロスが笑ってくれるとやっぱりうれしい…。
衝撃だった。
「初代公爵は夫人を閉じ込めるためにこの部屋を作ったのではなく、守るため、作ったんじゃないでしょうか。」
フィロスは夜、書斎の窓際に座って今日あったことを思い出していた。
「守るため…か。」
フィロスも実は、主寝室につながる当主夫人の部屋は、夫人を軟禁するための部屋だと考えていた。
公爵家の歴史書では、初代公爵は激情家で嫉妬深く、夫人に執着している人物像が描かれている。
だから、軟禁するための部屋だと何の疑問も持たず信じていた。
だけれど。彼女は。ソフィアは。
守るため、だと言い切った。
グレイスの反応から、それが真実だったのだと思い知らされる。
「私は、嫉妬深いからな…。」
フィロスは自分を自覚している。
リディアナの時からそうだった。
結婚したら、あの部屋に押し込めて外に出したくない。
たぶん、できないけれど、やりかねない自分を自覚していた。
だから。
ソフィアにはあの部屋で暮らさない選択肢を与えようと思ったのに。
あの部屋が欲しいという。しかも、
「出入りの都度、ご迷惑をおかけするかもしれませんけれど。」
自分を気遣ってくれた。
「あの部屋の壁紙と家具は、ソフィアに選んでもらおう…。」
そして、彼はもう一つ、決心する。
「私の持つ、秘密。彼女には教えよう。」
左手で、ぎゅっと胸元を握りしめた。