主寝室の秘密1
私の帰宅に遅れて4日後に、フィロスが帰宅した。
「ソフィア。」
図書室の2階で本を選んでいたら、急に呼びかけられて振り返る。
「おかえりなさい!」
手すりに手をかけて身を乗り出した時、手が滑った。手すりは腰の高さまでしかない。
「きゃああ!」
落ちる!
もっと高いところからなら、風の魔術で身を浮かせることもできたけれど、間に合わない。とっさに受け身を取ろうと身をよじる。痛みを覚悟するも、床に打ち付けられる前にフィロスの腕の中に抱き留められていた。
「この…馬鹿者!」
「ごめんなさい。」
フィロスは私を抱き上げたまま、図書室から出る。
「あの、おろして。」
「私を驚かせた罰だ。」
そのまま、彼の書斎に連れてこられる。
「お部屋を改装してくださって、ありがとう。」
開口一番、お礼を言う。
「君のイメージで、選んだが…。気に入らなかったら変えるから遠慮せず言ってほしい。」
フィロスが自信なさそうに見つめる。
「いいえ、とても素敵で、わたくし、うれしかったです。」
「良かった。」
フィロスが、微笑む。
4年間ずっと笑顔を見たことが無かった私には、彼の微笑みがたまらなくうれしい。
思わず、我慢できなくなって彼に抱きついてしまう。
「フィロス、大好き。」
すぐに顔を上に向けられて、額、頬、鼻、そして、唇に、キスの雨が降った。
「ねえ、フィロス。」
ようやく落ち着いてから質問する。
「主寝室に、夫人の部屋がつながっていないのは、何か理由があるの?」
驚いたように、フィロスが私を見る。
「そういえば、君は建築魔術も受講していたか…。」
彼は少し考え込んでいたけれど、やがて小さくうなずくと、私についてくるようにと言い、彼の寝室に向かう。
寝室に入ると、フィロスは寝台の横にかかっているタペストリーをめくった。
息を飲んだ。
扉がある。
扉にフィロスは手を当て、魔力を流し始めた。
「…この扉は、魔力を登録した人にしか開けられなくなっている。」
扉が開くと、中から白い光が漏れてきた。
「おいで。」
フィロスが差し出した手を取り、扉の中に足を踏み入れる。
そこは、天窓からの白い光に満ちた小さな居間になっていた。
奥に、扉が1つ。
それ以外、窓が無い。
奥の扉を開くとそこには真っ白い天蓋付きの大きなベッド、白と金の鏡台とティーテーブル、椅子、が備え付けられていて、奥には扉が2つついている。
この部屋も窓が無い。
天窓からの白い光だけだ。
「まああ。新しい奥方様でございましょうか?」
突然、背後から声が響き、悲鳴をあげそうになるのをとっさに口に手を当てて我慢し、振り向いた。
その我慢空しく、
「きゃああ!」
そこには、真っ白い女性が、立っていた。
「毎回、盛大な悲鳴を、ありがとう存じまする。」
女性がにこにこ笑っている。
「グレイス。」
フィロスが、女性に声をかける。
「お久しゅうございまする。20年ぶりくらいでございましょうか。ようやく、奥方様を迎えられましたのでございましょうか。」
「まだ、婚約者だ。」
「まああああ…。」
「あのっ!あなた様はどなたでございますか。」
「うふふぅ。わたくしめは、グレイス。フローラ様に仕えていた、侍女にてございます。」
「フローラ様?」
記憶にない。
フィロスが苦々しげに言う。
「フローラ・スナイドレー公爵夫人。初代の公爵夫人だ。」
「初代?えええええ!」
初代って、
え?2000年前?
2000年、生きているの?この女性?
私の気持ちを読み取ったかのように、グレイスは笑った。
「わたくしめは、人間ではございません。フローラ様が作った、魔術人形でございまする。」
「ま…魔術、人形?」
「うふふ。この部屋でのみ動くことを許された人形でございまする。わたくしめの役目は、この部屋の女主人に仕えることでございまする。ずーーーーーっと、2000年、だあれも、ここで暮らしてくれなくって、わたくしめは寂しかったでございまする。」
「ふん。この部屋に人がいなければ、動作を停止しているくせに。」
フィロスが、毒づく。
彼女が人形だったことに驚いたけれど、それより気になったことは
「2000年?誰も居なかった?」
だった。
「そうでございまする。代々の公爵夫人は、一度はここに連れてこられるのでございまするが、みーんな、ここには住めないって言って、逃げていったでございまする。ここ数百年は、公爵は来ても、夫人は、だあれも来なかったですわあ。」
「グレイスさんが、いらっしゃるから?」
「違うでございます。」
グレイスの笑顔が消えた。
「閉じ込められるのは、嫌だそうでございまするよ。」
意味がわからなくて、フィロスを見上げる。
フィロスは小さなため息をついて、教えてくれた。
「この部屋から外に出るには、公爵の寝室と居間を通らなければならない。つまり、夫に行動を監視されているとも言える。代々の夫人は夫に軟禁されるような状態を嫌ったのだ。」
聞いて、なるほどと納得する。
でも。
…閉じ込められている。というのは、意味が違うような気がする。
「あらあ。何か、納得していないようでございまする、ねえ?」
グレイスが、おもしろそうに笑う。
「…初代公爵の時代は、内戦や他国との戦が非常に激しい時期でしたよね。」
「そうでございまするね。」
「であれば、初代公爵は夫人を閉じ込めるためにこの部屋を作ったのではなく、守るため、作ったんじゃないでしょうか。」
「どういうことでございましょうか?」
「この部屋に入る扉は、魔力を登録した人しか入れない。おそらく、初代は公爵と公爵夫人だけが登録されていたのでしょう。侍女も信用していなかった。だから、グレイスさん、あなたが作られた。」
グレイスは、黙っている。
「そして、それだけでなく、一番の目的は、公爵が夫人を絶対に守るため、です。夫人を傷つけるためには、まず公爵を相手にしなければならない。つまり、初代公爵はそれだけ、夫人を愛していて、大事に守られた、ということでしょう?」
グレイスが目を見張った。
「うふふふふ!なんってことでございましょうか!」
ひとしきり笑った後、彼女は、すっと私の前にひざまずいた。
「やっと、来てくださったのございまするね。わたくしめが仕えるべき、奥方様。あなた様には、わたくしめの最大限の忠誠を。」
びっくりして、目をまばたく。
「さ、さ、こちらにいらしてくださいませ。ご案内させていただきます、でございまする。」
「まさか、グレイスに、気に入られるなんて。」
フィロスのつぶやきが、宙に消える。