母の涙と精霊の涙
「リディアナさん!怪我人だ、見てやってくれ!」
施療院の隅っこでいつものように絵本を読んでいたら、外が騒がしくなり、ドアが乱暴に開け放されて一人の男性が木の板に載せられて担ぎ込まれてきた。
「傷を見せて!」
お母様が、けが人に駆け寄る。
「腹部を刺されたの?出血がひどい。奥のベッドに彼を入れて!」
奥の部屋で治療が始まったようだ。
部屋の外に大勢の人が詰めかけて、興奮して何かをしゃべっている。
「魔術師が」
「いや、魔術師じゃなかった」
「でも、貴族だよな」
という単語は切れ切れに聞き取れたけれど、早口だし、一度に何人もしゃべっているから何が起こったか、さっぱりわからない。
やがて、白い布をかけられた木の板が奥の部屋から担ぎ出され、お母様が、
「助けられなくて、ごめんなさい。」
と皆に謝っている姿が見えた。
お母様と2人きりになった時、お母様が泣いているのを見て、不安でいっぱいになり駆け寄る。
「おかあちゃま?どうちたの?」
「ああ、ソフィア。私、あの怪我した人を助けられなかったの。」
「おかあちゃま?」
「薬が、無かったの。作りたくても、材料が間に合わなくて…。」
「おくしゅり?」
「精霊の涙…。」
「しぇいれいのなみだ?」
「そう。精霊の涙。」
「魔術と毒が合わさった怪我には精霊の涙しか、効果が無いの。」
後日、お母様は「精霊の涙」のレシピメモを大事に持っているようにと渡してくれた。
私はあの日を忘れたことが無い。
お母様が泣いたのを見たのは、あの日が初めてだったから。
薬学魔術の講義が始まってから、治癒の薬に必要なものをどんどん作っていった。
あの幼い日、お母様が泣いた日。
あの日の強烈な思い出が心に刺さっていたから。
作れるものは、保存できるものは、後悔しないように作っておこう。と。
幸い、子供の時から私の図書室で、治癒魔術について書いてある本を読み漁って、知識だけは豊富にあった。
ありがたいことに、人よりも豊富な魔力も。
薬学魔術の授業を受けられるようになって実技を教わるうちにそれらを自分で調合できるようになっていったから。
魔術と毒が合わさった怪我についても当然、図書室で調べた。
普通の武器は魔術の武器に絶対敵わないけれど、打ち合うことができる武器は存在する。
それが魔力を籠めて作られる武器だ。
魔術具の武器と言っても良い。
作り方は調べてもわからなかったけれど、その魔力を籠めて作られる武器は金属の刃に魔力を纏い、しかもなぜか、毒を持つ。
この武器を、魔毒剣、という。
魔毒剣は魔力を持たない人間が使っても、籠められた魔力を発現する。
たとえば、炎の魔力を籠めた武器なら、戦う時、刃に炎をまとうことができるのだ。
従って、闘う相手に炎と毒の2つのダメージを与える。
厄介なのは、この魔毒剣で傷ついた場合、治癒魔術がほとんど効かず、精霊の涙しか治療の方法が無いことだ。
しかも、精霊の涙は作り置きができない。
その場で作るしかない。
その上、材料がまた厄介で専門店であってもすべてを購入することができない。
魔術師が時間をかけて作る何種類もの薬が必要で、それらはそれ単体で貴重だからだ。
ただし、精霊の涙を作るための材料はすべて、ある程度の保存がきく。
つまり、材料さえあらかじめ作って用意しておけば、怪我人が来てから精霊の涙の調合は可能。
もちろん、時間短縮の魔術が必要なので、膨大な魔力があることが前提だが。
お母様は普段の治療で忙しく、精霊の涙の材料をすべて用意しておくことができなかったのだ。そもそも、魔毒剣自体がめったに現れない代物。
私はそれを薬学魔術の授業が始まってからすぐに調べ上げたので、精霊の涙を作るための材料はすべて調合して用意してあった。
これらの材料は、精霊の涙以外の、治癒薬を作るためにも必要なものが多いので、作っておいても困ることは無かったことも理由の一つだけれど。
まさか、こんなに早く必要になるとは、想像もしていなかったけれど。