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魔術師ソフィアの青春  作者: 華月 理風
魔術学院3年生
58/172

森の湖にて1



 朝食後、エリザベスとジェニファーは、荷造りのために寮室に戻った。

私物をほとんど持たない私は特に片づける必要も無かったので、学院の近くの森に散策に出かける。今年最後の散策。


 スナイドレー教授…。

結局、1か月不在ということだったけれど、後期試験が終わっても、教授は学院に戻ってきていない。薬学魔術の講義も試験もハッカレー学院長が代行した。


以前、魔獣に襲われた湖を思い出して、そちらに足を向けた。


湖はあいかわらず、さざ波一つ立てず、朝の陽ざしをきらめかせながら、深い藍色をたたえて、鏡のような水面に木々を映していた。

岸まで下りて行って、苔むした岩の一つに座る。

あの時のように、魔獣は飛び出してこない。

とても静かだ。


湖を見ていると、魔獣を倒した時のスナイドレー教授の姿が、思い出される。

スラリとした黒いシルエット。

普段、一糸の乱れもない黒髪が、魔獣が倒れた衝撃でふわりと舞い、漆黒の目は吸い込まれるような深い輝きを放っていた。

手に持っていたのは、自分と同じ、ステラをまとった白銀の剣。


がさっと、後方で小さな音がした。


びくっとして振り返ると、スナイドレー教授と目があう。

スナイドレー教授も私がいることは想定外だったようで、さっと表情が険しくなる。


岩から立ち上がった。

スナイドレー教授は、ここにまた調査に来たのかもしれない。

邪魔をしてはいけない。迷惑にならないように、寮に帰ろう。

そっと軽く目礼して、教授の横を通り抜ける。


「君は、まだ、私が好きか?」

いきなり、背後から、低い声がした。


思わず立ち止まり、スナイドレー教授を振り返った。

眉をひそめ、険しい顔をして、腕組みをして、彼は立っている。


「はい。好きです。」

気づかないないうちに声が出ていて、我ながら驚いた。


スナイドレー教授がつかつかと私に近づき、私の両腕を掴む。

…痛い。


「なぜだ!私は君に酷いことばかりしてきた。なぜ、好きだと言い切る!」

「最初から、好きでした!」

「は?」

「わたくしが教授と最初にお会いしたのは、この学院に初めて来たときでした。階段を登っていたら、視線を感じ、見上げたら教授と目が合いました…。わたくしはあの時に、恋に落ちたと、思います。」


あの時を覚えているのだろうか。

スナイドレー教授の顔が、ゆがむ。


「その後もずっと、わたくしは教授の視線に気づいていました。いつの間にか、わたくしも教授の姿を追っていました。…今年、教授の講義が始まって、わたくしは、毎日が楽しかった。直接、お話できるようになったんですもの。そして、知れば知るほど、どんどん好きになっていきました。嫌われているとわかっても、好きな気持ちを止められなかった。…教授もご存じですよね?お母様が離れて行っても、好きな思いを抱いてこられた、教授なら。」


その途端、教授は私の腕から手を離して、後ろを向く。


「私は、リディアナが去った時、二度と人を愛さないと、決めたんだ…。」

哀しみを湛えた声が、湖の藍色に吸い込まれていく。

「たとえ、想いが届かなくても、わたくしは教授を想う心を止められません。想うだけなら、いいでしょう?わたくしの心は、わたくしだけのものだから。」


「あの日…。魔獣に襲われていた君を見たとき、私は心臓が止まった気がした。そして、君に怪我が無かったと知った時の、安心感。…私は、自分の気持ちがわからなかった。感情など、封印したはずだから。」

スナイドレー教授のつぶやく声が、また、湖に、すいこまれていく。


ふいに、スナイドレー教授は振り向きざま、私の前に跪いて、両手を取った。


「ダングレー。いや、ソフィア。私と結婚してくれるか?」


目から、涙がぽろっと、こぼれる。

「…お母様の代わり、ですか?」


「違う!…はっきり、言おう。確かに、最初は、リディアナの子としか、君を見ていなかった。リディアナの面影を探していた…。だけど、君はリディアナと全く似ていなかった。むしろ、アクシアスを思い出させる。だからこそ、君が憎かった。…けれど、いつしか、私は君の姿が鮮明になるにつれて、どんどん、リディアナの姿を思い出せなくなった。君が入学するまでは忘れたいと思ってもできなくて、ずっと苦しかったのに。…私は、彼女を忘れつつあることを恐れた。その原因の君を憎もうとした。君がくっきりと輪郭を持ってくるにつれて、私は、自分が自分では無くなるような、焦燥感に襲われたから。だけれど…。」


突然、スナイドレー教授の手が、私から離された。

「もういい、どうせ、リディアナの時と同じだ。あの時と同じように、ソフィアも私の手には入らない。期待するだけ、無駄だ。」

彼の心の声が聞こえたような、気がした。


 離された彼の手を思わず握り返し、彼と目を合わせられるよう跪いて、スナイドレー教授の目をまっすぐ覗き込んだ。

黒曜石のような瞳の奥に、今、憎悪の炎は無く、むしろ、諦念にも似た深い哀しみの光が宿っている。

でも、そこには確かに、母ではなく私が映っていた。

仮に、少しだけ、お母様の代わりだったとしても。

今、彼が見ているのは、私だ。


「…わたくし、教授のそばで生きたい、です。」

「私と、結婚してくれる、ということ?」

「はい。」


スナイドレー教授が私を引き寄せ、抱きしめる。


「あり、がとう。そして、すまない。ずっと、お前を傷つけて、きた。」


水滴…彼の涙、が、髪に落ちるのを感じたその時、理解した。

スナイドレー教授はその言葉を私に言ったと同時に、母のリディアナにもやっと謝罪できたのだ、と。



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