母の日記
私は寮室で母の日記を読み始める。
3232年1月10日
1年生。
魔術学院に入学できた。早くここに来たかったので、うれしい。
お母様は口うるさいんだもの。淑女たるもの、あれもこれも、してはいけません。ばっかり!
私は草原を走ったり、木登りや魚釣りがしたいのに。全部ダメって。
でも、ここに来たら好きなだけ、駆けまわれるわ!広い森があるもの!
それと、ルクス塔に入れた。治癒魔術に興味があるので、適正がありそうで良かったわ。
ぱらぱらぱらと読んでいく。週に1回くらい、まとめて書いているみたい。
1年生の時は、勉強が楽しい、放課後、森の中を走るのが楽しい、あとは、女性のクラスメートとの、とりとめのないおしゃべりばかり、書いてあった。
3233年1月10日
今日から2年生。しかも、Aクラス。ほっとした。
だって、フィロスお兄様が、Aクラス以外、だめだって言うんだもの。
公爵家にふさわしくないんですって。Aクラス以外は。
お母様みたいに、ちょっと口うるさいのよね、フィロスお兄様は。
それから、卒業後、治癒師になりたいと言ったら、これもダメだと言われた。
またまた公爵家にふさわしくないんですって。
最近のお兄様は私のやりたいことに反対ばっかりするの。
なぜかしら?
「え?許婚だったんでしょう?お兄様として見ていたの?」
びっくりだ。恋愛感情が無かったのかな、お母様は。
少なくとも、2年生の日記には、スナイドレー教授の話題は少なく、時々出てきても、お兄様は口うるさい、だった。
2年生までの日記は、特にどこにでもいる女の子の日記で、気をひかれることはなかったけれど、3年生になってから、一気に私は、引き込まれた。
3234年1月10日
3年生になった。
宵の帳が下りたような藍色の髪。日の光を溶け込ませたような金の瞳。
今日、転入生だと紹介されたその人は、「アクシアス・プラエフクトウス」と低い、音楽的なアクセントで名乗られた!
プラエフクトウス様。
あの瞳に見つめられたとき、私、卒倒するかと思った。
まだどきどきしている。
同じクラスで、うれしい。これからも同じクラスで居られるように頑張ろう。
3234年2月25日
フィロスお兄様に怒られた。私が、プラエフクトウス様と親しくしすぎるって。
許婚以外の男性と話をするもんじゃないって。
許婚?そんなこと、知らないわ。
私は、私が好きな人と一緒になるって、フィロスお兄様に言ったら、引っ叩かれた。
すぐに謝ってくれたけど。あと、お兄様って呼ぶなって言われちゃった。
フィロスお兄様なんか、大嫌い!
「3年生になったら、お父様が転入してきて、お母様は、お父様に一目ぼれしたみたい。スナイドレー教授のこと、本当にお兄様として見てきてなかったのね…。」
スナイドレー教授が少し、気の毒になってきた。
その後も、お父様のことばかりが書いてあり、スナイドレー教授のことは、言い争いしてしまった。という記述でたまに出てくるくらいだ。
3234年10月30日
プラエフクトウス様に、手作りのクッキーをお渡しできた!
最近、戦闘魔術の授業で男子生徒達がプラエフクトウス様に団体で挑むことが多く、彼は返り討ちにして負け知らずだけど、細かな傷があちこちにあるのを知っているから、「治癒の効果」を練りこんでみた。
プラエフクトウス様、クッキーを見て驚いた顔をされていたけれど、とてもきれいな笑顔で、「ありがとう。」って言ってくれて。
私、その場で意識が遠くなったわ。
そうそう、今まで何も言われなかったのに、今年はアムールの日に何かよこせと、いきなりフィロスお兄様が言ってきたのよね。仕方ない。どうせならと、「心を静める効果があるお菓子」を渡してあげた。
材料は、プラエフクトウス様のお菓子の余り。
これで、私にイライラしなくなるといいんだけど。
「え!?うそっ!もしかして、お母様があげたお菓子を、私もあげちゃった!?」
どうしよう。もしかしたら、それでもっと、私を嫌いになったかもしれない?
あ、でも、屑籠に放り込まれたから、見てないか。たぶん。
3234年12月14日
終業式。これを書いたら、家に戻らないと。戻りたくないけど。
アクシアス!
そう、アクシアスって呼んでくれって、言われたわ!
アクシアスに、ラピスラズリのネックレスをもらったの。
彼の髪の色の石。石には金色の細かな粒が光っていて、それが、彼の瞳の色みたい。
「スナイドレー公爵子息から、君が許婚だって聞いたから、君は俺のものにならないって、諦めようと思っていたけれど…。アムールの日にクッキーをくれたよね。その時、何もしないで諦めるのは嫌だって思った。俺は君が好きだ。君は?」
って言ってくれて、私も好きだって泣いてしまった。
そしたら、このラピスラズリのネックレスを首にかけてくれて、私の手を離さないっておっしゃってくださった!
冬休みの間に、私の家に来て、お父様にも話をしてくださるって。うれしい!
「ラピスラズリの、ネックレス?」
覚えている。
お母様の首には、例の図書館を呼び出すクリスタルのネックレスと一緒に、いつも、ラピスラズリのネックレスが揺れていた。
お父様の色をまとった宝石よ。っていつも大事そうに触れていた。
そういえば、あのネックレス、お母様が亡くなった後、見たことが無いけれど、どうなったんだろう。おじい様の書斎に残っているかしら。
3235年1月10日
今日から4年生。
最悪の冬休みだった。
我が家に挨拶にこられたアクシアスは、お父様に私との交際を口に出すが早いか、従僕たちに叩きだされた。
毎日、アクシアスは我が家を訪れてきてくれたけれど、家に入れてもらえることは無く、私は窓からアクシアスを眺めることしかできなかった。
抜け出したくても、外出禁止を言い渡され、冬休みの間、家に閉じ込められて。
1度、フィロスお兄様が遊びに来たけど、気分がすぐれないと言って自室から出なかったのが唯一の反抗かしら?
今日は、アクシアスと会えて本当にうれしかった。
アクシアスは、絶対に私を離さないと、言ってくれた。
フィロスお兄様にも身を引いてほしいとお願いしてくれるって。
うまくいくといいのだけど。
3235年1月12日
アクシアスの頬に殴られた痕が残っていた。
私は真っ青になって、治癒魔術をかけてしまった。
治癒魔術のおかげでその痕はきれいに治ったけれど。
フィロスお兄様に私との婚約解消をお願いしに行ったら、いきなり殴られたらしい。
私が抗議しに行こうとしたら、止められた。彼の気持ちはわかるから。と。
でも、私は納得できないわ!
4年生の日々は、アクシアスといつも一緒に過ごしていたことが綴られていた。
平日は学生らしく一緒に予復習したり、図書室で過ごして。
日曜日は、2人で町はずれまで乗馬で行くことも多く。
初めて恋した女の子の悩みや喜び、お父様のやさしさなどがいっぱい書いてあった。
のびやかで自然な明るい毎日がそこにあって、鼻の奥がツンとする。
3235年7月15日
夏休みも最悪だった!
フィロスお兄様が、お父様に抗議してきたから、私は、フィロスお兄様と仲直りするように命令されて、スナイドレー公爵家が持つ別荘に行かされた。
フィロスお兄様も来ていて、毎日、私に話しかけてきたけど、私は彼と話をすればするほど疲れてしまったので、1週間もしたら、私は彼にひとっことも口を利いてあげなかった。話をすればするほど、私の心がどんどんササくれていくのだもの。
うちに帰りたかったけれど、それは許されなくて、でも、彼が2週間程度で、自分の家に帰って一人にしてくれたから、助かったわ。
毎日、花やお菓子、宝石、ドレスを送ってきたけど、全部、手にも取らなかった。
優しいお兄様だと思ってたけど、頑固でいじわるなお兄様だったのね!
学院が始まって、本当にうれしい。
アクシアスに会えたもの。
スナイドレー教授、お母様が他の男性に想いを寄せているって知って、苦しかったんだろうな。と思う。
お母様が本当は悪いんだろうけど、婚約破棄をもっと早くおじい様達が認めてくれていたら、みんな、別の道があったんじゃないかしら。
ため息が出た。
3236年1月10日
5年生になった。
冬休みは、まあまあ平穏だった。
フィロスお兄様は学院を卒業して、公爵を継いだ。
学院で会わないのはうれしい!
卒業祝いのパーティには婚約者なんだから出るようにと言われて、出席させられたけど、婚約者として紹介したら、その場で婚約破棄してください。って大声を出すって脅しておいて、壁の花になっていた。
だから、誰も、私がフィロスお兄様の許婚って知らないと思う。
主役のフィロスお兄様は多くの来賓に囲まれて、挨拶を受けていて、私のところに来られない。時々、私を見て、困った顔をしていたけど、無視してやった。
お母様にあとで、たくさん怒られたけど、怒られすぎて、どうでもよくなって、右から左に抜けていったので、問題ないわ。
3236年1月15日
来年、私達は卒業する。卒業後、何をしたいか、論文を出すようにとオバレー教授から指示された。
私は、治癒師として多くの人を癒したい。
アクシアスにそれを話したら、賛成してくれた。
アクシアスは、フォルティスで大神官にならないといけないんですって。
その神殿に施療院が併設されているのでそこを手伝ってくれたらとてもうれしい、と言われた。
私も、アクシアスを助けたい。2人で同じ道を歩んでいきたい。
5年生の日記からは、将来の夢を語りながら、ゆっくり、大切に、お父様と愛を育んでいったのが、よくわかる。
3237年1月10日
とうとう、最終学年。6年生。
昨日、お父様から卒業した翌日がフィロスお兄様との結婚式だと言われた。
アクシアスと一緒になりたいとお願いしたけれど、学生時代のお遊びだと取り合ってくれなかった。
私は、アクシアスと一緒だと自分が自分でいられる。
治癒師としての未来を、思い描くこともできる。
フィロスお兄様と一緒だと、私は自分を殺して、違う自分にならなければならない。
治癒師の夢を話したら、公爵夫人の仕事では無いと言われた。
アクシアスとは意見もぴったり合うから、何かしていても、見ても、楽しいけれど、
フィロスお兄様とは意見が合わず、叱られるばかりだから委縮してしまう。
住む世界が違うのだ。
ようやく、私はそれを理解した。
フィロスお兄様に何度も手紙を出して、婚約を破棄してほしいとお願いしたけど、その回答は来ず、相変わらず、花束だの宝石だのを送り付けてくる。
アクシアスも、実家に私と結婚したいと伝えてくれたけど、まずは、婚約解消してから、あらためて話そう、と言われたそうだ。当然よね。
どうしたら、婚約破棄してくれるかしら…。
ここから、次の頁は、何枚も破り取られている。
綺麗に刃物で切られているので、読まれたくない内容だったんだろう。
そして、破られた頁のあとは、最後の日記になっていた。
3237年11月20日
婚約は破棄された。
私とアクシアスとの間に、愛の結晶を授かったから。
本当は、ちゃんと結婚式を挙げて、みんなに祝福されて、それから授かりたかった。
この子がみんなに祝福されて生まれてきてほしかったから。
でも、後悔はしない。
これしか、方法が、なかったんだもの。
この1年、どれだけお願いしても、婚約破棄してもらえなかったから。
フィロスお兄様に何度も会いに行って、泣いて頼んでも、結婚すれば彼を愛するようになるから大丈夫としか言ってくれなくて。そんなこと、ありえないのに。
私はアクシアスと生きるために、既成事実を作らざるをえなかった。
卒業したら、私達は貴族ではなくなり、市井に暮らすことになるけれど、アクシアスと一緒だから不安は感じていない。
私達は、平民相手に治療院を開くつもりだ。
ただ、私のことをまわりの人は結婚前に妊娠するなんて、男にだらしない、ふしだらな女だと言っている。
その悪い評判は、ずっと続いていくだろう。
貴族の世界は、そういう世界だから。
救いは、私が社交界デビューをしていなかったため、フィロスお兄様の許婚だと知っている人がとても少ないこと。知っている人達は、スキャンダルを嫌うから口をすぐむだろう。
フィロスお兄様には、社会的なダメージはない。
私は、この日記を、ハッカレー学院長に預けるつもりだ。
私は知っている。
私のお腹の中のこの子が、魔力を持っていることを。
この子が学院に入ったら、私のことで苦労するかもしれないから。
その時に、この子が、私を客観的に見られるように。
私も、たった一人の、ただの女の子だったのだと、わかってもらえるように。
…愛しているわ、アクシアス。そして、私達のところにきてくれた、小さな命。