憎まれる理由
学院では、アムールの日の後、カップルが少し増えてにぎやかになってきた以外、特に変わったことはなかった。
当然、魔獣の話も全く無い。
放課後。
コンコン。薬学魔術教室隣の教授室の扉をたたく。
「スナイドレー教授。」
「出ていけ。」
あっという間に、廊下に移動させられる。
めげずに、何度も入室しなおす。
何度目かで、スナイドレー教授は怒りで顔を真っ赤にして、どなる。
「用も無いのに、うろちょろするな!嫌がらせか!」
「お礼に参りました。」
「は?」
「先日は、森の中で助けていただき、ありがとうございました。」
魔獣のことは言わずに、頭を下げる。
「…。助けた覚えはない。私は居てはならないモノを駆除しただけだ。」
苦虫を噛み潰した顔で嫌そうに、スナイドレー教授は言う。
「用がなければ、でてい…」
またも廊下に追い出されそうになった瞬間、教授の言葉を遮る。
「教えてください。」
「あ?」
「教授は、なぜ、わたくしが、嫌いなのでしょうか?」
単刀直入に聞く。
「教えてください。わたくし、直しますから。」
まっすぐに、スナイドレー教授の黒い瞳を見つめる。
しばし、固まっていたスナイドレー教授が、ふいっと視線を外す。
「嫌いなものに、理屈は無い。」
「いいえ。」
胸の前で両手を組み、訴える。
「わたくしが初めて、この学院に来た時から、教授には厳しい視線を向けていただいていました。でも、わたくしは教授に入学前、お会いした記憶がありません。なぜですか。」
「…」
「わたくしの両親が、原因ですか?」
がたん!と、スナイドレー教授の椅子が音を立てる。
「誰かから、何か、聞いたのか?」
「いいえ、何も。でも、わたくし自身が教授に会っていないのに、憎まれるとしたら、時期的に両親と何かあったのかと思いました。両親が何か教授に憎まれるようなことをしたんでしょうか。」
触れてはならない逆鱗に、触れたのかもしれない。
「そんなに知りたいなら、教えてやろう。」
スナイドレー教授が近づいてくる。
ゆらりと、殺気が漂っている。
知らず知らずのうちに後ずさるも、すぐに、どん!と壁に背中がついてしまう。
「お前はあいつにそっくりだ。アクシアス・プラエフクトウスに。」
…アクシアスはお父様の名前だ。
「アクシアスは、私のリディアナを奪っていった。」
…リディアナはお母様の名前だ。
「リディアナは生まれたときから私の許婚だった。私より2歳年下の、きれいな子。日の光をはじく金髪。明るい青空色の目。親が決めた許婚だったけど、淑やかでおとなしい彼女が大好きだったんだ…。」
一瞬、スナイドレー教授の目が優しく輝く。一瞬だけ。
すぐ、またその眼に憎悪の炎が燃える。
「彼女が学院を卒業したら、すぐ結婚するはずだった。それなのに。あいつが、アクシアスが、横から、彼女を奪っていった!」
思わず、口元を両手で押さえる。
「アクシアスに取られた後も、私はリディアナを忘れることができなくて…。アクシアスが死んだと聞いた時、私はリディアナに会いに行った。でも、会ってさえもくれなかった。手紙を出した。でも、返ってきたのは、拒絶。二度と関わらないでほしい、と。…そして、彼女は死んだ。」
ダン!と、私の顔の真横に、教授の拳が振り下ろされる。
「お前のその藍色の髪。金色の目。アクシアスの色、そのものだ。」
「お前を見るたび、私はアクシアスとリディアナが笑い合っている、あの光景が目の前に浮かぶ!あの二人をずたずたにしてやりたい、と。この手で破壊してやりたいと、何度も思った!」
「ああ、そうだな、今ここでお前を殺したら、あの辛い光景を思い出さなくなれる、だろうか?」
スナイドレー教授の右手が私の首にかかり、力が込められていく。
片手なのに凄い力だ。
「きょう、じゅ…。」
抵抗する気力がないまま息ができなくなる苦しみに、意識を手放しかけた時、突然、息苦しさが楽になった。
首から、スナイドレー教授の手が離れている。
床に崩れ落ちて、ごほごほ、と咳きこむ私に背を向けて、教授は机に両手をついている。
「出ていけ。」
その瞬間、廊下に追い出されていた。
でも、このまま、帰れない。
ノックもしないで、また教授室に足を踏み入れる。
スナイドレー教授は背中を向けてうつむいたままだ。
微かに震えているように見える。
…もしかして、泣いている?
教授の、触れてはならない傷口に塩を塗りこんでしまったのかもしれない。
彼の心の傷を抉って、また出血させてしまったかもしれない。
近づくことを拒絶する、普段より小さく見える背中に向けて、私は深い後悔と彼への想いをこめて、両手の平を上に向け、彼の方に差し述べる。
「ウェントゥス・サーナーティーウス。癒しの風よ、あの方に、安らぎの祝福を…。」
やわらかな緑の光が、スナイドレー教授に飛んでいき、彼を包む。
緑の光が消えた時、聞き取れないほど小さな声が聞こえた。
「私の前から、消えろ。もう、私に構うな…。」
ぎゅっと唇をかみしめ、教授室から自分の足で出て行った。
自分の足で出て行ったのは、これが、初めてかも。
「出て行け、じゃなくて、消えろ、か…。」