学院都市サピエンツィア
初めての転移に、目が回りそうになり、目をつぶって、吐き気をこらえていた。
「着いたぞ」
静かなグレーの声で、目をあける。
真紅と青白の炎の円環が100メートルほど先に燃え盛っている。
その周りには何もない…薄灰色の霧がたなびく世界が広がっていた。
「私はこれで失礼する。」
グレーは私を一人残して、姿を消してしまった。
「あのっ!」
慌ててひきとめようとするも、自分一人だけ、取り残された。
茫然としつつ、あたりを見渡す。
誰もいない…。
何もない?
「ソフィア・ダングレー」
炎の円環の方から呼びかけられ、飛び上がる。
「はいっ!」
「こちらに来なさい」
男性とも女性ともとれる、頭の中に響く声。
少しだけ怖いと思いながらも、炎の円環に近づいていく。
直径3メートルくらいか。
炎は龍の形をしていた。複数の龍が、からみあい、ぐるぐる回っているように見える。
いくつもの声が、同時に頭の中にわんわんと響き渡る。
同時にしゃべられているのに、なぜだか聞き取れる、不思議な感覚…。
「ランドール国立魔術学院は、この門の向こうにある。」
「ソフィア・ダングレー。お前には学院へ入学する資格がある。」
「学院で学べば、お前は魔術師になれるだろう。」
「ただし、覚悟がいる。」
「覚悟。この門をくぐったら、許しなくこの門の外には出られぬ。」
「覚悟。この門の外で、この門をくぐった先の話をしてはならぬ。」
「覚悟。この門の中の知識はランドール国の秘密。守ると誓え。」
「覚悟。そして、何よりも、ランドール国に益をもたらす魔術師となる覚悟を。」
「覚悟。魔術師となった暁には、ランドール国に忠誠を誓え。何よりも誰よりも優先すべきはランドール国だ。」
「そのために、お前の行く道は辛く苦しいものになるかもしれぬ。」
「そのために、お前は愛するものを失うかもしれぬ。」
「そのために、お前は命を失うかもしれぬ。」
「できるのか、ソフィア・ダングレー。」
「できぬなら、振り返り、立ち去れ。
当たり前の、平凡な、平和な、人生を送りたいなら、まっすぐ立ち去れ。
さすれば、お前の行きたい場所にたどり着く。
そして、魔力はお前から消え去り、お前は好きなように生きることができるだろう。」
頭の中にワンワンと大音響で響く多くの言葉。
そんな中、突然、涼やかな声が沁みとおるように、ソフィアに届く。
「ランドール国立魔術学院に入学する覚悟ができたなら、この門をくぐりなさい。
この門は、選別の門。学ぶ資格の無いものは入れません。」
ごうっと円環の炎が大きくなり、火花がいくつもはじけ飛ぶ。
炎の円環の向こうは、月白の靄がかり、何があるのか全く見えない。
それでも、魔術師になりたいんだもの。行くわ!
円環をくぐろうとすれば、炎の龍が襲ってくる。
炎の龍に絡みつかれた…気がする。
「燃えてしまうっ…え?でも、熱くない?」
無我夢中で前に進めば、突然、視界が開けた。
遠方に白い雪で覆われた山々がひろがり、その手前には緑豊かな広大な街が広がっていた。
街の中心部には尖塔をいくつも従えた宮殿のような巨大な石造りの建物。
「ようこそ、サピエンツィアの街へ!」
「学院は、正面の一番おっきな建物だよ。そこまで案内するからついてきて!」
緑青の髪と瞳を持つ4歳くらいの男の子が、わたくしに笑いかける。
「あ、あの、あなたは?」
「ああ、ごめん、ごめん。ボクは案内者。初めてこの街に来た人を目的の場所に送り届ける役目なんだ!」
「案内者?お名前は?」
「案内者は、案内者!さ、行くよ!」
案内者と名乗った少年は、学院に向かって歩き出す。
「ま、待って!」
慌てて、少年の後を追った。
広い通り。
道の両端には草や花があふれ、樹木がアーチのように茂っている。とても美しい。
だけど…
誰もいない。誰も歩いていない。
歩いているのは、案内者の少年とソフィアだけ。
「ねえ、ねえ、この街には人がいないの?」
「はあ?何言ってるの。いるに決まってるじゃないか。」
「でも、この道、誰もいないし。静かだし。」
「ああ。ここはね。ここは外とつながる道だからね。外に行く必要が無ければ、通る必要ないもん。だあれもいなくて当たり前だよ。」
案内者の少年はどんどん先に立って歩いていく。
10分も歩いただろうか、ようやく、「ランドール国立魔術学院」と彫り込まれた門の前に到着する。
「さ、着いたよ。ボクはこの学院に入れないから、ここまで。
街で迷子になったら、ボクを呼べば、また来るからね。じゃ、頑張って。」
「あ、ありがとう!」
そこには、ぽつんと、門だけがある。
巨大な石造りの宮殿のような学院が門の先にあるけど、学院を囲む塀らしいものは無い。
「どうなっているのかしら…」
門しかないことに違和感を持ち、なんとなく、門の横から学院に近づこうとして、ガン!と見えない壁にぶつかった。
「いったあ…」
「え?何?これ…」
門の横には、見えない壁が続いている。
門をくぐらないと学院へは入れないようだ。
「うーん。見えない壁。結界みたいなもの?さすが、魔術学院。」
どうなっているのかわからないけど、学院で教えてくれるだろう、きっと。
楽しみだ。
私はあらためて、門をくぐる。
その瞬間、学院以外の建物が見えなくなった。ことに気付く。
「え?門の外の街が?え?消えちゃった?」
「そこの新入生。名前は?」
ソフィアがようやく学院へたどり着きました。次回、入寮です。