スナイドレー教授室にて
「フィロス。入るぞ。」
「学院長。」
「今、飛び出してきたのは、ソフィア・ダングレーじゃろう?今度はどうした?」
廊下でソフィがぶつかったのはスナイドレー教授に用事があり、彼の部屋に向かっていた学院長だった。
「菓子をもってきた、とか言ってましたかね。」
「お菓子?ああ、今日はアムールの日か。」
「くだらん。」
「で、そのお菓子は?」
スナイドレー教授は嫌そうに、屑籠をあごで示す。
「おう、おう、なんということを!」
学院長は屑籠から紙袋を取り出し、そっと埃を払ってから、机の上に戻す。
「のう、フィロス。」
「説教なら聞きませんよ。欲しかったら、それ、持って行ってください。」
「説教ではないのだが。せっかく、くれたのだし、お菓子に罪はあるまい?」
「薬でも盛られたら、かなわん。」
「薬…。フィロス、お前、あの子をどんな目で見ている?あの子はそんなことする子じゃないぞ。」
「…」
「お前の気持ちはわからないでもない。だがなあ。あの子には直接の罪はないし、それに、あの子はお前に嫌われているとわかっていても、仲良くなりたがっていた。」
「…」
「そもそも、お前だって、いつも、あの子の姿を追っているではないか。あの子自身ではなく、面影を追っているのかもしれないが。」
「!…説教は聞かないと申し上げました。御用が無いなら、お帰りください。」
「いやいや、用があるから、来たのじゃ。」
「では、早く言ってください。」
学院長はため息をつき、額に浮かんだ汗の玉をぬぐうと、
「例の奴らなのじゃが、どうやら、このサピエンツィアに魔獣を持ち込んだらしい。」
と本題に入る。
「魔獣ですか?そもそも、どうやって?龍の門がはじくはずだ。」
「詳細はわからぬ。だが、魔力感知しない箱に入れて、卵を1個持ち込んだ、という情報が入った。」
「厄介ですな…。どこにあるか、までは?」
「わかっておらぬ。気になる場所は調べさせているが、まだ見つかっておらぬ。」
「私も調査に加わりましょう。」
「頼む。学生たちに影響がなければ良いのだが…。」
学院長が退室していった後、スナイドレー教授は机の上に残された紙袋を睨みつけていた。
「お前は、いつも、あの子の姿を追っているではないか。」
学院長の声が蘇る。
「…そんな、馬鹿な。」
それでも、学院長の声を完全に否定できないのは、ダングレーの姿を見かけるたび、足を止めてしまう自覚があるからだ。彼女に全く似ていないのに。
それにしても、ダングレーはなぜ、しょっちゅう、自分のところに来るのだ?
講義に関しての質問、しかも自分で調べろと追い返せないレベルを予習した上で、聞いてくるため、すぐに追い返すこともできず、いまいましいながらも、多少は教えざるをえない。
何度も彼女を傷つける言葉を吐いているはずだが、懲りずにやってきて笑顔を見せる。
「ソフィア・ダングレー、お前は鈍感なのか?」
スナイドレー教授は再び紙袋をにらみつける。
「自分で作った、と言っていたな?」
屑籠に再び放り込みたかったけれど、何か薬でも入っていたらそれを口実に彼女を遠ざけることができるかもしれない。と、彼は考えなおす。
「ふむ…」
紙袋をあけると、小さな紙の箱に青いリボンがかけられていた。
リボンをシュルっとほどいて箱をあけた瞬間、スナイドレー教授は息をのんだ。
真っ白で、きらきら光るお菓子。
「お兄様!ほら、これ、あげますわよ。」
ふいに蘇る、彼女の笑顔。
「なんだ、これ。あと、お兄様と呼ぶな、と言っただろう?」
「イライラが取れるお菓子!最近、イライラしてるでしょう?そんなイライラを鎮める効果が入ったお菓子。わたくしが調合したの。ちゃんと召し上がってね?」
じゃあね、と軽く手を振ってくるっと踵を返し、さらさらの長い金髪を風にたなびかせて、走り去っていく後ろ姿。
ありがとう、とも、好きだ、とも言えなかった、あの時。
伝えていたら、変わったのだろうか。失わなかったのだろうか。
あの時と同じように、スナイドレー教授はふるえる手で真っ白いお菓子をつまみあげ、口の中に入れる。
ホロっと崩れると同時に、消えて無くなり、やさしい甘みが残る。
遠い昔、食べたお菓子と、これは同じ味。
スナイドレー教授の両頬につーっと涙がつたっていた。
泣いていることにさえ気付いていなかったかもしれない。
そのまましばらく立ちつくしていた彼はふと我に返り、身震いし、箱のふたを閉め屑籠に放り込んだ。
が、涙をぐいっと手の甲でふくと、屑籠から拾い上げ、机の引き出しにねじ込む。
なぜそうしたのか、自分でもわからなかったけれど。
「ふざけるな…。なんで、これなんだ?ダングレーは彼女から私のことを聞いたことが、あるのか?」
おそらく、無いはず。
彼女が亡くなったのは、ソフィア・ダングレーがまだ幼少期のはずだから。