アムールの日
アムールの日、当日。
午前の授業中、学院内はあちこちで甘い匂いがする。
今日は土曜日、半日授業なので、お昼になったら、好きな人がいる女生徒はその人のところにお菓子を持っていくのだろう。
どかっといつも通り隣に座ったリチャードが、私の方に手を差し出してくる。
「何?」
「お・か・し。くれるんだろ?」
「あるわけないでしょ…。」
「うそだろー!」
「お静かになさいな。リチャード。」
「だって、エリザベスぅ。」
「お気持ちはわかりますが、教授がそろそろいらっしゃいますわよ。」
エリザベスのフォローに感謝しつつ、リチャードには、ごめん。と、心の中で手をあわせる。義理でお菓子を渡す人もいるみたいだけれど、私には無理だ。
今日最後の4時限目の授業が終わると同時に席を立つ。
それを追おうとしたリチャードだけど、さすが、人気者。
廊下から、女生徒がリチャードにお菓子を受け取ってもらおうと殺到し、あっという間に女生徒の山ができた。
リチャードーがそれを振り払うこともできず、引き留められているのを横目に素早く抜け出して薬学教室に急ぐ。
土曜日の4時限目、スナイドレー教授が講義を持っていないことは確認済み。
授業がなかったので薬学教室前の廊下には当然、誰もいない。
教室の隣、教授室のドアをノックする。
「…入れ。」
低い声。
良かった、いらっしゃる。
「失礼します。」
私が入室すると、机に向かって書き物をしていた教授は、またもや、露骨に嫌な顔をする。
「また、お前か。出ていけ。」
とたんに、私は教授室の外に転移させられる。
でも、懲りない。何度もそういう目にあっているので。
根負けして話を聞いてくれるまで、部屋に繰り返し、突進あるのみ。
「失礼します!」
また、ドアを開けて入室する。
教授がため息をつき、汚いものを見るような目で睨みつけてくる。
「気にしちゃ、ダメ。勇気を出して。頑張れ、私。」と心の中でつぶやきながら、手にもっていた紙袋を教授の机に置いた。
「なんだ、これは?また何か調合したから、見てくれというのか?」
「お菓子です。」
「は?」
「お菓子です。召し上がってください。」
「は?なぜ?」
「今日はアムールの日、なので、感謝の気持ちを込めて作りました。…わたくし、先生のことが好きです。」
一気に言った。最後の方は少し声が震えてしまったけれど。
「アムールの日?」
眉間の皺がますます深く刻まれ、教授は紙袋を見る。
「成績を良くしてほしくて、媚を売りに来たか?」
「え!違います!」
「フン。でなければ、惚れ薬か、それとも、毒薬か。」
「何も入れていません!」
スナイドレー教授は紙袋を手袋をした指先でつまみあげ、ばさっと、机の横の屑籠に放り投げた。
「こんなものは、食えぬ。出ていけ。」
その直後、廊下に転移させられる。
突き返されるかも、とは思っていたけれど、屑籠に捨てられるとは、思ったよりもショックが大きい。
頭が、がんがん、言い始めた。
中身を見ることもなく、捨てられた、お菓子。
お菓子はどうでもいい。
スナイドレー教授の峻烈な拒絶が、私をえぐる。
目からこぼれる涙をそのままに、廊下を走る。
誰かにぶつかった。その人が私を呼び止めた気がするけれど、振り返りもせず、外に飛び出していった。