アムールの日に向けて1
その後の授業も毎日、懲りずにリチャードが隣に座ってきた。
でも、それだけ。
彼は何もしない。
実習の時に必要なものを手渡してくれるなど、ちょこちょこ世話を焼いてくれる以外は、仲の良いクラスメートの一線を越えてくることはなく、意外と、居心地が悪くないことに驚いている。
…だからと言って、友人以上の線を越えるのが怖い。
リチャードが私に構うようになってから、何人かの女生徒から嫌味を言われるようになった。リチャードは、本当にモテるのだ。
でも、それらの女生徒達とはクラスが違うし、食事などはいつも、エリザベスとジェニファーが一緒だったので、何かひどいことをされることは、無かった。
せいぜい、廊下を歩いているとき、聞こえるように悪口を言われたり、足をひっかけられて転びそうになったりするくらいで。
10月のある日曜日、エリザベス、ジェニファーと街に買い物に出かけたら、ジェニファーからまず食料品店に行きたい。と言われる。
「食料品店?めずらしいね。」
と、首をかしげると、
「来週の土曜日、10月30日は、アムールの日でしょ!」
と突っ込まれた。
好きな男性がいない私には関係がないので、忘れていた。
アムールの日とは、女性が、好意を持つ男性にお菓子をプレゼントする日。
ランドール建国のドラコ王の妃であるアムールが、まだ妃になる前の若かりし時、自分が焼いたクッキーをドラコ王に初めてプレゼントし、そのクッキーのおいしさに感激したドラコ王が彼女をくどきはじめた、それが、10月30日、という伝説から始まっている。
男性からのお返しは12月24日のランドール建国記念日。通称、建国祭。それは、ドラコ王とアムール妃の結婚式の日でもある。
つまり、12月24日にお菓子を贈った男性からお返しがもらえたら、両想いということ。
ただし、学院はその日すでに冬休みで相手に会えないから、お返しは冬休みに入る前日の12月15日というのが、学生たちにとって暗黙のルールになっている。
そうそう、思い出した。
昨年はその時期、学院中で、お菓子やら花束やらが飛び交ってたっけ。
「ジェニは、婚約者がいるものねえ。何を作るの?」
「クランベリージャムをはさんだクッキーにしようと思って。クランベリーは実家から、ケンドル農園のを取り寄せたので、あとは小麦粉と砂糖に、…バターを買わないと。」
「リズは?誰かに、あげるの?」
「そうですわねえ。どうしましょう。」
「え?好きな方がいるの?」
「許婚なら、いますわ。」
「ええー!!」
ジェニファーと私はびっくりして、エリザベスに詰め寄ってしまった。
「そんなに驚かなくっても良いではありません?わたくし、八家の一員ですもの。生まれたときから、許婚が決まっていましてよ?」
「リズは、それでいいの?」
心配になって、聞いてしまう。
「ええ。幸い、相手の方を、わたくしは好きですので。お兄様に対するような穏やかな気持ちではありますが、決して、無理強いはさせられていませんわ。」
「…そうよね。魔術師になる以上、意に染まぬ結婚は避けられるはずよね?」
と、ジェニファーも、うなずく。
「どなたか、聞いてもいいのかしら?」
遠慮がちに問いかける。
「オークレー公爵ですわ。」
「げ!」
ジェニファーが変な声をだす。
「オークレー公爵というと、宰相の?」
「ええ、宰相のオークレー様ですわ。」
「すごすぎて、何も言えない…。」
ジェニファーは感心している。さすが、リズ。と、ぶつぶつ言っている。
2人が、少しうらやましくなった。
「ソフィは?お菓子を、贈りませんの?」
「贈る人が、いません。」
「リュシューと、リチャードが、泣きますね…。」
ランドール国には、義理チョコの文化が根付いていません。家族の中で、贈り合うことはありますが。