学院長
涙があふれて前がはっきり見えないのに、下を向いて走っていたからか、途中で人にぶつかってしまった。
「いーたーいのおー」
白髪かつ長い白ひげのお年寄りが尻餅をついて、じたばたしている。
「学院長!申し訳ありません!」
あわてて、学院長に手をさしのべて引っ張り起こす。
ステラ塔に向かって走っていたつもりだったけれど、前がろくに見えなかったからか、間違えてソル塔の前に来てしまっている。
泣き顔を見られたくなく、あわてて、手の甲で目元をごしごしこする。
でも、涙が止まらずあふれてくる。
「んーと。3年のー、ソフィア・ダングレーだったね?」
優しい声に、うなずく。
「まあ、来なさい。」
学院長がソル塔にずんずん歩いていく後ろについていくと、塔にぽっかりと入り口があるのが目に入った。1人で探検にきたときは、あんな入り口は無かった。
学院長が近づいたときだけ、開くのだろうか。
「こっち、入りなさい。」
入り口をくぐったらいきなり、広い居室になっている。
その居室の奥の窓から見ると高いところに居るようだ。どう見ても、塔のてっぺんの部屋としか思えない。やっぱり、塔は常識の範囲を超えている。
「そこ、すわって。今、お茶を出すから。」
学院長に促されるまま椅子に座る。
と、ティーカップとポットが飛んできて、カップが目の前に置かれると同時に、ポットから、とぽとぽと熱いお茶が注がれた。
学院長は私の前にどっこいしょ、と座って、にっこり笑ってくれた。
「どうしたの?泣きながら走るなんて、相当だよね?」
いろいろ驚いたからか、涙がひっこんでいる。
「さ、お茶飲んで。気持ちを静めるハーブが入っているから、落ち着くよ。」
話し方も講堂で聞いた話しかたとは違う。
目をぱちぱちさせながら、お茶をそっと飲むと、胃のあたりがすーっと落ち着くのを感じた。
「話し方が、いつもと違うんですね。」
ぽろっと疑問が出てしまう。
学院長が大声で笑う。
「学院長は抜けてる、というのを演出するために、普段はのんびりしゃべっているんだけどね。かわいい女の子の涙を見て、忘れちゃったよ。失敗、失敗。」
少し落ち着いたので、学院長に聞かれるまま、先ほどのことを話す。
「わたくしが確かに自分で作ったのに、信じてもらえないって、ひどいですよね?それがショックで。」
学院長はにこにこしながら聞いてくれていたが、
「おそらく、スナイドレーは君が作ったと、わかっていると思うよ。」
「え?」
「それより、君のお願いの仕方は良くなかったね?」
「え?」
「君は何と言って、ポーションを提出したのかね?」
「えっと、再度の採点をお願いします?」
「スナイドレー教授は、君に再試験を受けるように指示をしたのかね?」
「いいえ。」
「では、君はなんで、再度、採点をお願いしたの?」
「最低点って言われたのが、くやしかったから、だと思います…。」
「長期休暇の前に試験があるよね?」
「はい。」
「そのテストで悪い点を取ったら、君はその時も再度、採点をして。と勝手に自分で、テストをやり直すの?」
黙り込んでしまった。そんなことは、できるわけがない。
「スナイドレー教授に要求したのはそれと同じだ。スナイドレー教授は再試験を要求していないのだから、再採点をする必要はない。しかも、彼は正直言って、ものすごく多忙だ。だから、スナイドレー教授の取った立場は仕方のない部分もある。」
私は唇をかみしめる。
「君が最低点と言われて、悔しくて、勉強をして、最高品質のポーションを作ったことは、とても良いことだ。でも、その目的は何なのかね?成績をよくするためか?誰かに認めてもらいたいのか?本来は自分のための勉強だろう。」
涙が出そうになる。
なぜ、もう一度作ってみようと思ったのか、思い出す。成績のため、などでは断じて無い。
「私。」
「うん。」
「スナイドレー教授に嫌われているみたいなので、良い成績を出して、認めてもらいたくて。それで。」
「嫌われている?」
「入学したときから、ずっと、会うたび、冷たい目で拒絶されていて。憎まれているようで。会ったことがないから、誰かと人違いされている、と思うのだけど、辛くて。」
もう限界だ。ぽろぽろ涙がこぼれてくる。
「なるほどねえ。」
学院長の嘆息が聞こえる。
「スナイドレーは、まだ吹っ切れていないんだな…。」
「え?」
「私の口からは言えないけれど、スナイドレーは、昔、ひどく傷ついたことがあってね…。あれから、もう15年くらいは、経っているんだけれども、まだ、その傷が癒えていないようだ。」
「…わたくし、15年前は、生まれていませんけれど?」
「うん。君が傷つけたわけではない。うん。でも、今、君を見ると、その傷がうずくんだろうなあ…。」
「傷つけた人に、わたくしが似ているのでしょうか。」
「そうだねえ…。」
「わたくしは、どうすればよいのでしょうか。」
学院長は優しく微笑んだ。
「普通にしていれば、いいよ。」
「普通?」
「君はスナイドレーを嫌ってはいないんだね?」
「はい。」
「だったら、他の教授達に対するのと同じように、つきあえばいい。わからないことがあったら、直接、聞いて。嫌がられても声をかければ、いい。スナイドレーは少なくとも、教師としては、生徒に公平だ。」
「……。」
「それでも、くじけそうになったら、私に愚痴ればいい。」
驚いて、学院長を見つめる。
「学院長なんてね、お飾りみたいなもの。暇だから、生徒のカウンセラーくらいはできるよ。」
学院長は国王に並ぶ権力者だし、お飾りでも暇でもないはずだ。…暇だとは思えないけれど。
「ありがとうございます?」
つい、疑問形になってしまったのは、しかたない。
学院長は、腹黒です。伊達に400年、生きていません。