フローラ様の本
夏休みも中ごろを過ぎたあたりで、フィロスはまた仕事で出掛けることになった。
先日、魔毒剣で倒れたことを思い出し、危険がないのか心配でたまらなかったけれど、用心するから大丈夫と言われてしまう。
ついていきたかったけれど、仮に許可が出たとしても、今の私の実力では絶対に足手まといだ。それがわかっているから、笑顔で送り出すしかなかった。
フィロスが出かけてから、ずっと一緒にいるのが当たり前になりつつあった私は、独りになったのが心細くなり、ふと、フローラ様の部屋に行こうかと考えた。
彼女の書斎にあった書物が気になるし、グレイスにも会いたい。
フィロスの寝室に入り、タペストリーをめくる。
扉には私の魔力も登録してもらっていたので、魔力を流せば、扉が開く。
「あらあ。いらしてくださいましたのでございますね。奥様?」
居間に、グレイスがいた。
「お邪魔しても、よろしいでしょうか?」
「この部屋の主は奥様でございますから、ご遠慮は無用でございまするよ。」
「あの…。ソフィアと呼んでくださいませんか。まだ、婚約者、なので…。」
グレイスが、にっこりしてくれる。。
「ご命令とあれば。ソフィア様。」
「お願いします…。」
「お茶をお入れいたしましょうか?」
「お茶?」
確か、先日見たときは、氷室には何もなかったはずだ。
グレイスが、にっこり笑う。
「公爵から、お茶やお菓子など、氷室に届けられておりまする。…いつでも、ソフィア様がこちらでくつろげるように、と。」
「えっと、今はとりあえず、要らないです。あの、書斎に本がありましたでしょう?あれ、フローラ様の本だと思うのですが、読んでもよろしいでしょうか?」
「わたくしめに、敬語は不要でございまする。もちろん、お読みになれましょう。貴女様がこの部屋の主人になられたのですから。」
ありがたく、書斎で本を読ませてもらう。
「何かございましたら、お呼びくださいませ。」
グレイスが下がっていく。
書斎の棚にある本は今のようにきれいに製本されていない。紐で紙を綴じた体裁になっていた。
1冊とりあげて見てみれば、手書きだ。
他の本も何冊か開いてみたところすべて、手書き。
2000年前は活字など無かったから、当然か。
タイトルも書いていないので、読むまで何が書いてあるか、わからない。
上から順に読んでみようか、と、棚に顔を近づけたとき、抜いた本の後ろ側に隠すように押し込まれている本があることに、気付いた。
「これは?」
本と呼ぶには、薄い。せいぜい、10枚くらいの紙の束が糸で綴じこまれている。
ぱらりとめくれば、
「レシピ?」
びっしりと細かい文字と魔法陣などが書き込まれている。
でも、それぞれ、何のためのレシピなのか、タイトルらしきものが無く、読んで判読するしかなさそうだ。
興味を持って、そのレシピ本を読んでいく。
それは、新しい魔術の開発用のメモだった。
何をしたい、では、どうすればよい?というメモが最初にダーッと書いてあり、そのあとで実際に何をやったのかの記録が、そして、できあがった感想などが、乱雑に書いてある。
他人に見せることを想定していないメモだから、読み解くのに苦労するけれど、彼女の考えを追っていくのは面白く、丁寧に読み進めていく。
その内、目に飛び込んできた言葉に思わず吸い寄せられる。
「向かってきた魔術を反射して倍返ししたい。さて、どうするか?」
今、私が、一番知りたいこと。
「向かってきた魔術を無効にするにはバリア。バリアに反射機能をどうやってつける?」
バリア自体も、超高度な魔術だ。
しかし、バリアを使ったら攻撃できないし、相手の魔力が自分より大きかったり、何度も攻撃を受ければ、バリアは簡単に破れる。あまり、実用的ではない。
でも、そのバリアが相手の放った攻撃を反射できるなら、攻撃と同じではないか。
むさぼるように、そのメモを読み解いた。
でも、わからないことが多すぎる。
人に見せるためのメモではないから、フローラ様自身が知っていることをさらりと書いているので、これは何を意味しているのだろう?からが、わからない。
彼女の書いたものを全部読まないと判読できなさそうだ。
「グレイスさん。」
「さん、は不要でございまする。呼び捨ててくださいまし。」
グレイスがすっと入ってきて、頭を下げる。
「えっと、じゃ、グレイス。こちらにある書物は、持ち出しても大丈夫かしら?」
グレイスが少し、眉をひそめた。
「…フローラ様が公開できないものだから、ここに置く、とわたくしめに、おっしゃったことがございまする。」
「公開、できない…。」
じっと、手元の本を見つめる。
確かに彼女のメモの内容は、おそらく今、存在しないというか、してはならない魔術のような気がする。
「…わかったわ。これらは持ち出さない。でも、必要なところは、メモに写させてもらうわ。そのメモも誰にも見せない。それなら良い?」
「ソフィア様のお望みのままに。」
「ところで、フローラ様のメモでわからないことが多いのだけれど、グレイスは何かわかるかしら?」
驚いたことに、グレイスは魔術の知識が豊富だった。
「わたくしめは自分で魔術を使うことはできませぬが、フローラ様が新しい魔術を考えるとき、わたくしめに一方的にしゃべりかけていたので、それらはすべて記憶してございまする。」
この用語はこちらの本に記載があるとか、これはこちらのメモにあります、といろいろ教えてくれたので、今後の解読がぐっと楽になりそうだ。
とはいえ、わずか10冊ほどしかないけれど、びっしり細かな字で手書きされているし、あちこちに補足も書き込まれて読みづらいから、すべてを理解するには時間がかかるだろう。