8.無かった事にはならないけれど
さて、今夜の夜会開始前からの一連の騒動だが。
王妃の無言の一撃によって、騒動の原因が強制排除されてしまったからには、夜会の間にどうこうする事は出来なくなった。
後日…明日の午後には、国王夫妻は、1人しか子供に恵まれなかった事になっているだろう。今夜の出来事は、それほどの事だったのだ。
名指しで侮辱されたエルーナローズだったが、この事態に、一時はどうなる事かと胸を痛め、自分が何とかしなければ…と、絶望しかけた時。大切な家族である兄と姉、そして婚約者が寄り添い、側にいてくれた事で取り乱さずにすんだ。
支えてくれた3人の顔を見て、エルーナローズはくすぐったそうな笑顔を浮かべた。
自分が大事にしている人に、同じように大事に思ってもらえているのだ、と実感するのは嬉しいものだ。
そんなエルーナローズを見て、兄と、姉、そして婚約者も、嬉しそうに笑ってくれる。
なんと幸せな事だろうか。
「ごほんっ!」
宰相が、わざとらしく咳を響かせた。見事な空咳だ。普段の練習の成果だろう。
「ぐふっごほっすみませっごほごほっ」
「さ、宰相、無理はするな。下がってよいぞ」
「げほっ申し訳っごほっ」
「よいから、ほら、下がれ」
「はい…ごほっごほっ」
宰相も胃にキていたようだ。空咳から胃酸でも上がってきたのかもしれない。
普段は宰相と敵対する者たちですら、目に憐憫の色を浮べた。
「あー…此度の余興は、少し刺激が強すぎたな…来賓の方々には、後日改めて謝罪の場を設けさせていただきたい。よろしいだろうか?」
「勿論です、陛下」
各国の代表者は、うやうやしく、返答を返す。大人の対応である。
「ありがとう。では、仕切り直しといこう」
心なしか国王の肩から力が抜けたようだ。やっと、正しい趣旨が発表できる。
「わが国と、アドニア皇国、そしてユードニア連合国との間で、血の同盟がなされる。
この度、ホウエ大公家の長男リオンが、ユードニア連合国のカトラ・ヴァーツラフ王女殿下と縁を得て婿入りの形で婚約する事と相成った」
国王の左手が上がり、妹のホウエ大公夫妻を示す。
「リオンとカトラ王女殿下はまだ、デビュタントを終えておらぬ為、今夜は出席しておらぬが、年若い二人の未来を祝福してくれ」
長男を送り出す、という事に若干の驚きが混じりつつも、会場の貴族たちから割れんばかりの拍手が、ホウエ大公夫妻に送られた。
ユードニア連合国と友好国となれるのは、外交上望ましい事だった。
「そして、もう一組。皆も知っての通り、3年前、アドニア皇国皇太子であるマークス殿下と我が姪、ワイエ大公家エルーナローズは婚約を取り交わした。来月、エルーナローズが成人を迎えるにあたり、婚姻の日取りを皇国と取り交わした。1年後、アドニア皇国の精霊祭に合わせ、盛大に執り行う事になる。エルーナローズは、誕生日を国内で迎えたのち、式の準備の為国を出る。マークス殿下、エルーナローズ、こちらへ」
マークスが、恭しく手を差し出す。
エルーナローズは、そっとその手に自分の手を重ねた。
大きく暖かい、しっかりとした掌。
3年前からずっと変わらずに、愛しげに自分を見つめてくれる婚約者の顔を見て、エルーナローズは幸せそうに微笑み見つめ返す。
その姿の美しさに、会場の貴婦人たちはウットリとため息をつき、紳士方は安堵の笑顔を浮かべた。
最初の騒動の内容は、会場内の者たちにとって、無かった事になったようだ。
少なくとも、今夜思い出す事はない。
年若い二人は、国王に促されるまま、前に進みでて、玉座への階段を登り、大公夫妻が座す段の1つ下でエルーナローズは跪き、その隣でマークスは立礼する。
「アドニア皇国マークス皇太子殿下。ワイエ大公令嬢エルーナローズ。2人の婚姻により、我が国とアドニア皇国の絆は、さらに強くなる事であろう。喜ばしい事だ。3年の間に2人の想いも寄り添い合うに至ったと聞いている。国の為だけではなく、互いを支えあい思い合う国主であれば、民もまた穏やかいられるものだ。マークス殿下、エルーナを頼みます。幸せにおなり、エルーナ」
「はい。必ず」
「ありがとうございます、伯父様」
「さ、立ちなさい。皆に改めてお披露目しなくてはな」
促されて2人は姿勢を正し、玉座の国王夫妻に笑顔を向ける。
エルーナローズとマークスは、ワイエ大公夫妻、エルーナの両親へ顔を向けた。二人とも、優しい目で自分たちを見つめ、頷いてくれた。反対へ顔を向けると、叔母夫妻が暖かい笑顔で頷いてくれる。
すぐ横の婚約者を見上げると、腰に手を沿えクルリと後ろを向かされた。
会場にいるすべての人が、割れんばかりの拍手を送ってくれる。
その拍手に応えるように、二人はごく浅く頭を下げると、さらに場が盛り上がった。
その一角で、第一王子派の皆様は、先ほどの"余興"を"無かった事"にしようと必死であった。手が腫れあがるのでは、という勢いで拍手している。
無かった事になぞ、なる訳ないのは分かっていても、そうせずにはいられないのであろう。その必死さは、若干の涙を誘う。
"アレ"は、陰謀だの権謀術数どうのこうの…の話ではなかったからね…と、政敵でも哀れに思う夜会となったのだった。