6.王侯貴族の"きほんのき。"の、1画目
エルーナローズは、差し出されたマークスの手に己の手を重ねた。
そっと引き寄せられ、いつでも優しい婚約者の顔を見上げて・・・固まった。
「僕たちの婚約は3年前に成立していて、やっと婚姻の日取りが決まったと。ちゃーんと発表してもらわないと。顔に泥を塗られたままではいられないよ?」
マークスは楽しげに笑っている。が、相当イラッとしているらしい。
穏やかな微笑みに騙されてはいけない。彼はシュドルフの大親友だ。類友だ。
そして、彼は政略をはるかに超えて、エルーナローズを心から愛してくれていた。
「マークス様・・・本当にごめんなさい。まさかあんな・・・」
「彼は本気で、君と婚約していると思っていたのだろうねぇ。すごく、自信に満ちていたよね」
「3年前の私たちの婚約の事を、まさか自分の事だと思うだなんて、夢にも思っていなかったわ」
「仕方ない。王家とワイエ大公家の血の濃さを知っていれば、思い浮かぶはずのない縁組だ」
王家と大公家。
現国王の同母兄妹というだけでなく、国王アルバートとワイエ大公ジョシュアの妻は、侯爵家出身の実の姉妹である。
王家とワイエ大公家の子供たちは、立場は従兄妹だが兄弟姉妹と同程度の血の濃さである。血が近ければ近いほど婚姻が忌避されるのは、この大陸では常識だ。
そして、現国王には正妃以外妻はおらず、当然、アーノルドは嫡出子である。
「まさか…知らない…とか?」
「え?そんな、まさか!…でも…そんな…知らない…?そんな事ってある?」
自身の親戚関係を知るのは、王侯貴族の”きほんのき”。
「自分の叔母の嫁ぎ先よ?叔母の義理の妹の娘の嫁ぎ先、とかではないのよ?」
「ん~…まぁ、現ホワイエ王家にとっては、叔母の義理の妹は国王の妹であり、その娘は従妹だから…知らされないはずはないと思うけど」
「そうよね、って違うのよ。そうじゃないの。そうだけど、そうじゃないのよ」
「分かってるよ。落ち着いてエルーナ」
第一王子である従兄弟の”基礎知識はあるのか”疑惑が出てきた事で、混乱し始めたエルーナローズの肩をマークスが軽くなでる。
「”何”を知らないか、によって、あh…んん゛っ。…色々変わってくるわよね、評価が」
「アンナ、言い換えが出来なかった?」
「なによ、シュドルフは何か思いつく?」
「そうだな…まぬk…違う、薄ばk…違う、とんm…」
「もっと酷くなっているじゃないか」
「ね?浮かばないでしょう?」
マークスは、シュドルフの様子にクスクスと笑い、アンナベラは楽しそうに、ドヤ顔で兄の肩を扇でつつく。
姉達のその様子を見て、エルーナローズは少しだけ落ち着きを取り戻した。
扇で口元を隠し、軽く息をつき目を閉じる。
「まぁ、”何”を知らなかったにしても、継承権の剥奪は免れないだろう」
アンナベラの扇を手で払いながら、シュドルフは玉座へ視線を向ける。
アンナベラ、マークス、エルーナローズも、同じく玉座を見上げた。
国王が無表情で、宰相に向けて手を軽く振った。
それを受けて宰相が近衛隊長に話しかけている。
王妃も無表情ながら、扇を握り締めているようだ。握りこむ手は血の気が引き白くなっている。握られた扇は上下の角度が歪んでいた。
「伯父上は決断されたかな」
「伯父様も伯母様も、お気の毒だわ。弟のジェームズはお利口なのに」
「兄の姿を見て、ジェームズが何を思うか…王太子の擁立はジェームズが成人を迎える3年後でないと決まらないかもしれないな」
「あぁ…私の結婚がまた遠のくのね…」
アンナベラが深くため息をつく。
王太子が決まらない為、アンナベラは長い婚約期間を維持したまま結婚は保留していた。幸い、彼女の婚約者は、アンナベラの思いを優先してくれている。ただ、ここに来てさらに3年もとなると、うんざりするのも仕方が無い。
アンナベラは、婚約を白紙に戻す覚悟も決めなければ、と思いつつも、言わずにはいられない。
「…さっさとシュドルフに決めてくださったら良いのに…」
「無茶を言うな、アンナ。ジェームズは今の所優秀に育ってるんだ。見所もある。伯父上も諦めきれないさ」
「そりゃあ、ジェームズがこのまま育てば良いわよ?でも、そうじゃなかったら?私が嫁いだ後、シュドルフが王太子になれば、ワイエの籍からホワイエに移る事になるのよ。せっかくお爺様から賜った家名の継承が出来なくなったら、お父様がお気の毒すぎるわ」
「その時は、父上からアンナの子供に継がせれば良いじゃないか」
「それじゃダメよ!私が継いで、その後に子供に継がせたいの!」
アンナベラはお父さんっ子だった。