第九話 私たちは劇的になれない(その②)
徒歩通学の忍に合わせ、私は自転車を押して歩いた。通学路がいつもと違って見えるのは、夕方ではなく昼前の下校であることや、自転車から降りていることだけではないだろう。
自転車越し、右隣を歩く忍の横顔を見やり、私はそんなことを考えた。
忍はどのように感じているのだろう。彼女の目には、この景色はどう映っているのだろうか。
彼女はぽつりと呟いた。
「昔はよくこうして帰ったわね」
「そうだな。まだ私がバスケ部に仮入部で、お前が風紀委員会に入る前か」
「一年の今頃には、お互い忙しくなってたしね」
それだけではないだろう、という言葉をわざわざ投げかけるほど私は野暮ではない。だが、不満がないと言えば嘘になる。
美化、というほどではないが、忍がまるで傷痕に触れないような言葉の選び方をしているように見受けられたからだ。
『色々あって今は違う道を歩いてるけれど、あの頃の思い出は私たちの心の中に色褪せず生き続けていくんだろうね』とでも、言い出しそうな。そんな風に無難に、綺麗にまとめてしまいそうな。
――それは違うだろう、と思った。
忍、お前は私の思想と行動に辟易し、理解を放棄し、自ら離れていったはずだ。
そして私は、そんなお前のために思想と行動を改めることなどせず、離れゆくお前を引き留めることさえしなかった。
私たちは、お互いがお互いを見捨てたのだ。
私は、忍の懐かしむような微笑に苛立ちすら覚えながらも、「そうだったな」と短く返した。
……人を疎むということは、実はかなりのエネルギーを必要とする。
怒り、妬み、憎しみといった負の感情は、自分自身の心をも苛み、疲弊させるのだ。
ましてや、その相手が十年来の幼馴染ともなればなおさらだろう。
忍はそれに疲れて、私と和解しようとしているのかもしれない。夏休みの間に色々考えて、そのような決断をしたのかもしれない。中学生活の終わりも近付いてきた、そういえば那由多と疎遠になったままだな、このままだと後味も悪いから、仲直りしようかな。――とでもいう風に。
いくらなんでもひねくれた見方をしすぎじゃないかと思うかもしれない。しかし、旧友であるがゆえに、私にはわかる。わかってしまう。
「ごめんね那由多。風紀委員やってるから、きつくあたったりもしちゃったけど、那由多とはまたこういう風に過ごせないかなって思ってたの」
違う。
忍は確かに、私にとって赤瀬先生や青垣と並ぶ、ヒーロー活動をする上での宿敵だったが。
忍は、きつくあたってきさえしなかった。
赤瀬先生や青垣は、私にとって相容れない存在でこそあるものの、教師としての義務とはいえ真正面からぶつかってきていることは間違いないが。
忍は、違う。
彼女はいつだってよそよそしい態度だった。
『紫山忍』ではなく『風紀委員』として、幼馴染とは思えない、突き放した接し方をしていた。
中学生にもなってヒーローだのライダーだの言っているような痛い奴が友人で、しかも幼馴染だなんて、周囲に思われたくなかったのだろう。
それはいい。
ただ、彼女が語る過去が彼女の都合のいい形に改変されていて、しかも本人がそのことに関して何の後ろめたさも感じていないことだけが、鼻についた。
一言で表すならば、それは、欺瞞だ。
「ああ、……そうだったんだな」
「そうなのよ。だから那由多、これからもたまには一緒に帰らない? もちろん、那由多さえよければだけど」
……ここで、ふざけるなと突っぱねることにメリットはない。
彼女を楽にしてやればいい、満足させてやればいい。彼女の嘘や欺瞞をわざわざ暴く必要などないのだ。金木犀まどかの本性を表沙汰にせず、適当な落としどころを見つけたときのように。
忍と形だけの仲直りをし、関係を修復する。
それですべてが丸く収まるのだから。
しかし、頷きかけたところで私は、視界の奥、『その光景』を捉えていた。
「! 忍、自転車持っててくれ!」
「えっ? ちょっと、那由多!?」
私は戸惑う忍に自転車を押し付けるように預け、駆け出していた。
走りながらにも関わらず、狂いのない慣れた手つきで通学カバンのファスナーを開け、仮面とマフラーを取り出す。
走りながらの変身はロマンだ。ゆえに練習は幾度となく積んできた。自宅の庭で練習していたら母親に、ご近所さんに誤解されるからやめなさいと怒られたこともそういえばあった。
「変身!」
右手に掴んだマフラーの先を、首の後ろに放るようにしてぐるっと巻き、左手に掴んだ仮面を被る。最後に両手でマフラーの巻きをしっかりと仕上げて変身完了だ。
久々に練習以外で『変身』できたことで高揚する精神を諌めつつ、私は『現場』に到着した。
今にも泣きそうな顔で、途方に暮れている女の子のもとに。
「お嬢ちゃん、何があったんだ?」
女の子の前でしゃがみ、目線を合わせてそう尋ねる。訊くまでもなく察することのできる状況ではあるが。
「!」
まだ幼い女の子は、私の顔を見てぎょっとした。明らかに、仮面を見て怖がっている。
――私はためらうことなく仮面を外した。
「ほら、優しいお姉さんだぞ。なっ」
柄にもなく満面の笑顔を浮かべて見せる。
女の子は、少しは安心したようだった。
しかしその顔は変わらず暗い。
「お母さんとはぐれたのか?」
私の問いに、女の子は唇を結んだまま小さくコクッと頷いた。やはりそうか。
住宅街はすぐ近くだが、こんな小さな女の子だ。行動範囲は元々家の極々近くだけだっただろう。右手にスコップを握り締めているあたり、公園で遊んでいた途中、好奇心から探検でもして迷ったといったところか。
「那由多! どうしたのよ!?」
そのとき、自転車を押して走っていた忍が追い付いた。乗ればいいのに、自転車通学生ではない自分が自転車に乗るわけにはいかないとか考えているのだろう。相変わらず杓子定規だ。
「見ての通りだ。迷子を見つけた」
「迷子……?」
「ああ。悪いが先に帰っててくれ。多分あっちの住宅街だ」
「えっ、ちょっと」
うろたえる忍から自転車を返してもらってから、私は女の子を元気付けるよう、はっきりと言った。
「もう大丈夫だからな。お姉さんが、お母さんのとこに連れていってやるから」
□
私の読み通り、女の子の家はすぐ近くの住宅街にあったようで、ほどなくして「ここしってる!」と、女の子が声を上げた。
そこからは女の子の案内に従って遊び場だったという公園に向かう途中で、はぐれた我が子を探していた母親に出会い、事態は無事解決した。
こんな小さな子から僅かな間でも目を離すのは感心しませんよと僭越ではあるが必要だと思ったので伝えてから、自転車に跨がり帰路に着く。
……忍との件がうやむやになってしまったが、仕方ない。他に人気もなかったし、こんなご時世だ、事故や事件に巻き込まれるかもしれない以上、あの子を優先するしかなかった。そのことに関して後悔はない。
今後も自分はこういう風に生きる。
忍がそれを受け入れられるならそれでいいし、受け入れられなかったとしても今まで通りなだけだ。
……忍のことを、内心であれこれ言ったが。
結局、私とて同じ穴の狢なのだろう。
自分がやりたいからやっているだけ、なのだから。