第七話 消えたスクール水着(その⑤)
貴重な昼休みまでも捧げて練習に勤しむ野球部の掛け声が、冷房を効かしているため窓を閉めきっている保健室にも届き、部屋の中央で首を振る扇風機の低い唸り声とのハーモニーを奏でる。
それをBGM代わりにまどろみの中、私は定位置のソファーに深くもたれ、「結局、今回もヒーローらしいことはできなかったな」と呟いていた。
右前のベッドに寝転がった黒嶋が「潮時なんじゃないですか」とスマートフォンをいじりながら気だるく返し、左前のデスクで作業をしている桃井先生が「平和なのはいいことよ?」と穏やかながらも諌めるように言った。
私は答えなかったが、どちらの言うことも、悔しいがわかっていた。
この学校はヒーローなんて求めておらず。
そもそもヒーローが活躍の場を渇望すること自体、間違っているのだと。
だとしたら自分のやっていることは何なのか。少しだけ自分が可愛くて、自己承認欲求が強いだけの思春期の女の子を、自己満足でいじめただけだったんじゃないか。
そんなことを考えていたら、黒嶋が鬼の首を取ったように、してやったり顔でこう言ってきた。
「そもそもの先輩の推理が大外れだったわけですし、ねえ?」
何が被害者の自作自演だよばーか、と黒嶋の目が言っている。
……むかつく。
しかしヒーローたるもの、この程度で目くじらを立ててはならない。クールダウンクールダウン、平常心だ。
だからたとえ『「今回の事件。私は、金木犀まどかの自作自演という可能性があると思っている(キリッ)」』とか似てないけど似せようとしているのは伝わる声真似でやられても怒らない。
さらにこちらが大人しくしてやっているのをいいことに調子づいた黒嶋が『「被害者を無条件に、全面的に『善』と見なすのは安直で危険なことだ(キリッ)」とかやってきても受け流す。
私は度重なる屈辱に耐え、アルカイックスマイルで答えた。
「……そうだな。私としたことが、耄碌していたよ。ははは」
……そう。
スクール水着盗難事件は、解決したのだ。
通学路の茂みに袋ごと捨てられた金木犀まどかの水着を、彼女の友人が発見するという顛末で。
それが――私とまどかがあれから話し合った結果、出した落としどころなのである。
私はまどかに、今後は大きな騒ぎになるような方法で人の気を引くなと念を押したものの、彼女のしでかしたことや彼女の本性を明るみにすることはしなかったし、するつもりもなかった。そんなことをしても、誰も幸せになれないからだ。
まどかはもちろんのこと、まどかを純真無垢な少女だと信じている友人知人にも影を落とすだろうし、この様子だと黒嶋もだ。さらに、真実を突き止めた自分さえも、褒め称えられるどころか余計なことしやがってと非難されるに決まっていた。
要するに、この事件、最初から自分がヒーローになる余地などなかったのである。
□
放課後を迎える頃には、たった一日でスピード解決したスクール水着盗難事件の話題も収まっていた。犯人が誰かはわからないものの、スケールを小さくすれば今までにもちょくちょくあった程度の事件だ。
例えば、鉛筆だったり下敷きだったり。
それが今回は、女子用のスクール水着なんていう話題性抜群のものが対象であり、かつ被害者が校内屈指の美少女・金木犀まどかだったがために、ここまで話が大きくなってしまったというだけだ。
そして、仮に自分が動いていなかったとしても、さしたる変化はなかっただろう。
薄々というか、正直気付いてはいる自身の活動の無意味さを改めて突きつけられる形となり、私は一日大人しくしていた(それは赤瀬からすると珍しいを通り越して恐ろしいことのようで、青い顔で体調を心配された。心配し返して差し上げたらいつもの赤瀬に戻った)。
……何をやっているんだ、私は。
私は自嘲しながら、借りていたテニスラケットを返すため、女子テニス部の部室を訪れた。昨日と様子の変わらない部屋。違ったのは、そこに金木犀まどかがいたことだけだ。
いきなり家に上がり込んできて心理の深淵の部分にまで踏み込んできた相手を、快く思っているわけがない。実際まどかは、ドアが開いたのに反応して視線を向けてきたが、すぐにそっぽを向いてしまった。
……結局自分は、黒嶋からの信用を落とし、今まで面識がなかった下級生に嫌われただけだったというわけだ。
女子テニス部員たちと多少会話をしてから、私は部室を去ろうとした。
そのときだ。
「あ、あの! ま……待ってくださいっ」
私の背中に、むず痒くなるくらいに甘く可愛らしい声がかけられたのは。
振り返ると、まどかが神妙な顔で立っている。どことなく落ち着かない、緊張した様子にも見え、周囲も何事かと戸惑っている様子だ。
私は内心身構え、「どうした?」と訊ねる。
まどかはすぐには答えず、視線を泳がせてから、意を決したように頷き、言った。
「先輩と、少しだけお話させてくれませんかっ」
□
七色中学校は私立ではなく市立なので、校則は比較的厳しい。
具体的には、登下校時の買い物及び買い食いの禁止。校内への水筒以外での飲料の持ち込み禁止。水筒の中身は水か茶のみ(これに関しては運動部の生徒から、スポーツドリンクも許可してほしいという声が上がっている)。食品の持ち込みは完全に禁止。携帯電話の持ち込み禁止(家族が危篤等特別な事情があれば許可されるが、滅多に許可は下りない。要するに私も黒嶋も思いきり校則違反をかましている)。部活の無断欠席は即家族に連絡、等である。
だから、私はともかくまどかにとって、放課後の部活前に予定を入れるのはリスキーなことなのだが、まどかの意志が固いことは見て取れたので、付き合うことにした。
二人きりで話したいということらしく、場所は部室棟裏手の人気の無いガラクタ置き場に移した。こんなところまで来るのは、こっそりイチャつきたいカップルか不良くらいだ。
それにしても、と、私は目の前のまどかを見つめる。
表情が硬く、心の内が読みづらい。
昨日の今日なのでもしかしたら刺されるんじゃないかと思ったりもした。
「あ、あの……那由多、先輩。ひとつ聞いても、いいですか」
「ああ、なんだ?」
「先輩は、どうして……昨日一日だけで、私の本音を見抜けたんですか? もしかして、誰かにバレてたんですか? それとも、そんなに私、わかりやすいんですか?」
まどかは、矢継ぎ早に質問してきた。
固く結ばれていた表情が崩れ、不安さの溢れた顔をした彼女は、今にも泣きそうにすら思えた。昨夜からずっと、感情を押し殺してきたのか。どおりで複雑な顔をしていたわけだ。
チヤホヤされることに依存し、それが当たり前と化しているまどかにとっては、死活問題なのだろう。もはや、『自分は愛される人気者でなければならない』という強迫観念のようにすら感じられる。
……まあ、自分も似たようなものか。
拘りや憧れと、強迫観念というものには共通点が多い。
夢を見ることは呪いと一緒なのだというような台詞が、私が好きなライダー作品の一つにも出てくる。
「心配するな、君の可憐さを疑い、なおかつ不幸を自作自演しているんじゃないかと考えるようなひねくれものはそうはいないだろうよ。昨日も言ったが、私に話をしてくれた人たちの誰も、どうして私が君のことを聞くのか不思議がっていたよ。ただ、私は、人より少しだけ、そういったものに気づきやすい。それだけだ」
「そういったもの……?」
「粗探しが得意なんだよ。いつだって、倒すべき敵や正すべき悪を求めている。君の言う通り、私はヒーローごっこがしたいだけなんだろうな」
「那由多先輩……」
どうしてか、まどか相手には、黒嶋や桃井先生、白木先生にも話さないようなことをすらすらと話せた。弱気になっているのかもしれないし、相手の弱みを知っているからという姑息な理由かもしれない。あるいは、やはり似た者同士に感じられるから、だろうか。
「あ、あの……私。那由多先輩のこと、すごいと思います」
予想もしなかった言葉が、まどかから投げかけられる。面食らった私に対し、まどかはほんのり頬を赤く染めながら続けた。
「先輩は、今までずっと隠してきた、誰も知らない私を簡単に見つけました。こんなこと、ないと思ってました」
「……焦っていただけだ。こんな馬鹿からは卒業しなければならないのはわかっているんだよ。わかっている上でわからない振りをして今までなんとかやってきたが、それも潮時だな」
こうして実際に、待望していた『実戦』が訪れたことで痛感した。
夢が夢とすら呼べないほどの幻想であるうちはまだよかったが、ほんの少しだけ形になったことで、その歪さを見せつけられたのだ。
アイドルという言葉の意味は『偶像』だが。
夢を見せ、憧れられるという意味では、ヒーローも変わらないだろう。
しかし。
まどかは、ブンブンと首を振って否定した。
「いえ。あの、うまくいえないんですけど。先輩は確かに、あ、噂とか聞いた感じの印象ですけど、その、空回りというか、型破りというか、そういうところはあると思いますけど。でも、考えてみると、私をここまで見てくれたのは、那由多先輩がはじめてです」
「粗探しの結果に過ぎないさ。私は君を舞台装置として利用しようとしただけだ」
私は、これまたライダー作品の台詞をひとつ、思い出しながら言った。
英雄になろうとした時点で英雄失格、というような台詞だ。私の信条に反する内容だが、今となっては沁みる。
「そうかもしれません。それでも私、なんだか今は、那由多先輩と話していて安心できるんです。那由多先輩の前では、私は私をつくらなくてもいいから」
「……金木犀」
人から負の感情を向けられたり、それを感じ取ったりするのには慣れているが、今まどかから向けられているものは、それはとは真逆のもの。
ゆえに戸惑い、『居心地悪い居心地良さ』を感じてしまう。それをもっと簡単に表すなら、『照れ』『恥ずかしさ』だろうか。
そして自覚する、まどかだけではなく自分も、彼女と話していると安心できるのを。それは、自分を肯定してくれているからだろうか。
桃井先生や白木先生は仕事だからという部分もあるが、彼女はそうではない。だから、なのだろうか。
そんなことを考えていたら、まどかから、思いもがけないことを言われた。
「私、思ったんです。那由多先輩にはたぶん、ヒーローに必要なものが少し足りないだけなんです」
「……ほお。それは気になる……できることなら教えてもらいたいな」
「はい。それは、ヒロインの存在ですっ」
「……は?」
まどかは。
恐らく意図的だろう、ここで久々に『可愛い』自分を作り、天使の笑みを浮かべてみせた。同性ながらドキッとさせられる、ゆえに物事の裏側に気付きやすい私からすればある意味恐ろしい笑み。
彼女はそのままで、弾んだ声で言った。
「ヒーローには守るべきヒロインが欠かせないはずですっ。那由多先輩、私を先輩のヒロインにしてくださいっ!」
「……はい?」
「今確信しました。先輩には私が必要ですっ。私も先輩の近くにいたら、きっとわくわくできると思いました!」
……こいつ。
単に私を敵に回したくないだけじゃないのか? なんて疑問も沸いてきたし、そもそも同性のヒロインというのがともすれば背徳的で、ヒーローとしてどうなんだろう? とも思う。
そもそも話し始めは明らかにこちらを恐れていたのだ、金木犀まどかは。
畏怖と畏敬は近しい感情だとは思うし、十三才か十四才の少女の思考や精神が、移ろいやすいものであることも知っている。
だが、少なくとも、今、目の前のまどかを見る限りは。
純粋に、期待と憧れの顔をしていた。
だから、信じてもいいように思えてくる。
それに、なにより。
停滞していた時間が、再び流れ出すような。
予定調和続きの物語が、にわかに動き出したような。
灰色の景色がにわかに色づいたかのような高揚感が、私を心地よく打ちのめしていた。
消えたスクール水着編は今回で終了です。
次回からは新エピソードですので、よろしければお付き合いくださいませ。