第六話 消えたスクール水着(その④)
「…………」
「…………」
ピンク色を基調とした、女の子らしいファンシーな部屋で、その部屋に相応しい小柄で幼げな少女と、その部屋にいまいちそぐわない、長身の女とが、座卓を挟んで正座で向かい合っていた。
部屋の住人である金木犀まどかと、突然の来訪者である私、緑十字那由多である。
まどかの母親が二人分の麦茶と饅頭を持ってきて以来、約一分間、互いに無言だった。
一分というと短く思えるが、二人とも何もせず無言での一分間というのは、体感的には恐ろしく長い時間だ。
根負けしたのは、まどかのほうだった。
「あの……あなた、私に何の用なんですか。部活の先輩って嘘までついて、どういうつもり、なんですか」
怯えきった声音と表情で、まどかは訴えかけるようにそう訊いた。
それに対し私は、すぐに答えはせず、座卓の上のコップを手にし、「いただくぞ」と告げて四分の一ほどを飲み。
それから、カタン、と敢えて音が立つようにコップを置いた。
まどかがびくっ、と肩を震わす。
私はそんな彼女を静かに見据え、平淡な声音で言った。
「君に少しばかり、聞きたいことがあるんだよ」
□
数分前、テニスバッグを背負った状態で、私は金木犀まどかの自宅を訪れていた。お見舞いに来た部活の先輩を装ったのである。
普段見せないような歳相応の少女らしい仕草と表情を演じ、口調も矯正して怪しまれないようにする、我ながら末恐ろしくなる徹底ぶりだ。
玄関口で応対してくれたのはまどかの母親だったが、母親といえど娘の知人のすべてを把握しているわけではない。テニスバッグという小道具の効果もあり、すんなり金木犀家に上がることができた。
……もしこの件に対し、ヒーローとしてモラルに反する行為なのではないかという声が挙げられたならば、私はこう答えるだろう、『モラルに拘泥するあまり正義を為せないようなことがあれば、それこそむしろ真の非常識であり非合法である!』と。そして黒嶋は『ものは言いようですね』と返すのだろう。
「こんな方法で……非常識です」
「ヒーローは常識に囚われないものだ」
「何がヒーローですか。迷惑です。帰ってください」
まどかは、その可憐な童顔に不満と不安をありありと浮かばせている。私は同性ながら(そして不謹慎ながら)、可愛い子だと思った。
二重瞼のぱっちりした瞳、テニス部らしく健康的に日焼けした小麦色の肌、恐らく生まれつき茶色い髪をショートにしていて、女の子らしく小柄で華奢、佇まいは小動物的。
こうして間近に見ると、改めて彼女が男子から人気な理由がわかる。
「話なら明日学校でしますから」
「いや、私は君と、今、二人きりで話がしたいんだよ。他に誰も来ないような場所で、な」
「っ!? ま、まさかあなた――やめてください! 私、そういう趣味はないですから! 今ならつけ込めるとか考えてるなら大きな間違いですっ!」
「いや、そんなことは言ってないぞ」
「……え?」
「私は単純に事件の話を聞きたいだけだ」
「…………」
「…………」
沈黙。
かなり恥ずかしい誤解をしたようだが、振り返ってみると自分の台詞も誤解を招かないとは言えない内容だったので、そこに関してはイーブンということにしておく。
程なくして、顔を真っ赤にしたまどかが、「とはいっても!」と語気を荒げて言った。
「あなたがヒーローごっこをしていることは知ってます! 人の不幸をそんな遊びのネタにしないでくださいっ! もうすぐ夜ごはんですし――こんな方法で上がり込んでくるような人に、話すようなことはありませんっ!」
「私がこの事件を解決できるとしてもか?」
「……っ」
その刹那、まどかの顔に浮かんだ表情を、私は見逃さなかった。
それは、驚き。ではなく。
その奥に隠された、恐れと焦り。
それだけで私は、自身の仮説が真実であるともはや確信していたが、真相を知ることと事件の解決とは必ずしもイコールでは結ばれない。単刀直入に自演の疑いを問いただしても、まどかは決して認めないだろう。
……一切手段を問わないなら、暴力に訴える、服を剥いで写真を撮り脅す、等の方法があるが、それをやってしまったらヒーローとかいう以前に人として終わる。
彼女を真っ当に論破、あるいは説得しなければ、事件を解決することはできない。もちろん、まどかをなるべく傷つけないで済むような形で、だ。私にもそのくらいの良識はある。いや、あるいはそれもヒーローとしての矜持、か。
「私は今回の事件を調べるにあたって、君の友達に話を聞いて回ったんだが、君はかなり友達が多いな。羨ましいくらいだ」
「……? いえ、まあ……人と話したり遊んだりするのは、好きなので」
予想外かつどう反応したらいいのかわからない言葉が来たことで、まどかは勢いを削がれ、戸惑いながらもそう言っていた。
私は「だろうな」と大きく頷く。
「そうでなければあそこまで人はたらせない。君のその恵まれた容姿があったとしても、だ」
「わ、私なんて……全然、かわいく、ないです」
嘘だな、と、私は確信する。
まどかが自分の『可愛さ』を自覚し、それを意識的にも無意識的にも利用して立ち回っていることくらい、私でなくともわかる人にはわかるのだ。だからこそ、黒嶋が言うところの彼女を気に入らない女子、がいるのである。
私だって女子の端くれなので、女子の自意識が男子のそれより良くも悪くもハッキリしたものであることを知っている。
「そうか? 女の私から見ても魅力的だと思うぞ」
「ひぇ!? い、いえそんな、先輩と違ってチビだし、肌も焼けちゃってるし、胸だって――」
言いながら、自己申告通りの控えめな胸を手のひらで覆う。なんとも蠱惑的で男殺しなポーズだ。思春期真っ盛りの男子中学生にはたまらないだろう。意識的でも無意識的でも恐ろしい。
しかしまったく、謙遜というのは度が過ぎると皮肉に聞こえる。身長170cmで肌が不健康に白くて胸に無駄な脂肪がついた女のどこに女性的魅力があるというのか。実際そうはなりたくないだろうに、と私はらしくもなくふて腐れた感想を抱いた。ヒーローをやってはいるし、何十作と観てきた特撮ものの影響で独特の男口調になってしまってはいるけれど、私にだって歳相応の女の子的な部分がないわけではないのだ。つまりこれは、女子としての嫉妬である。ああ、我ながらみっともない。
「……まあ、その話はあまり掘り下げないが」
私自身のためにもな。
「とにかく君には人気があり、人望がある。今回の事件が大きく騒がれたのも、被害者が君だったからだろうな」
「いえ、私なんか――」
「相槌のように謙遜する必要はない、ひとまず聞いてくれ。今回、スクール水着が行方不明になったことで、君はみんなに心配され、励まされ、慰められ、同情され、気遣われた」
「はい……みんな、優しいから」
「繰り返すぞ。それは、被害者が君だったからだ」
私は、コップを再び手に取る。
冷房が効いた部屋なので、コップは汗をかいていた。指が冷たく濡れる。麦茶を、一気に残り四分の一まで飲む。冷たいがゆえに味が感じづらいが、喉は満足させられる。
まどかは、困ったような驚いたような複雑な感情を、どうにか笑顔で取り繕おうとしていた。
「巷には、かわいいは正義、などというけしからんキャッチコピーがあるが、まさにそれだよ。そして君はそれを自覚し、皆に愛されるように、ありていに言えばチヤホヤされるように立ち回っている」
「!」
まどかの表情が凍りつく。
それでも私は手を緩めることなく続けた。
「気になってはいたんだよ。教室の、鍵どころか扉すらないロッカーに、金木犀まどかほどのモテる女が水着を置きっぱなしにするのかと。まあこれに関しては、危機意識が薄いだけと考えることができる。あるいは周囲に対する信頼ゆえと。実際七色中の治安はそこまで悪くもないからな。しかし、君の話を色々な人から聞いていくうちに、そうとは考えられなくなった」
「なにを、言って――」
「一つ一つは取るに足らない些細な話だ。風邪を引いたとき。ケガをしたとき。部活のレギュラーになれなかったとき。君が苦境に置かれているときの話を聞いた。聞かれた側は何でそんなことを聞くのかと怪訝そうだったがな。……君の周りには、そのたび人が集まっている。むしろ平穏なときより充実していたような印象を受けたよ」
「さっきからいったい、何が言いたいんですか!」
まどかが叫ぶ。階下から物音がする。まずい。家族が様子を見に来るかもしれない。私は麦茶を飲み干し、饅頭をちゃっかりポケットに入れて立ち上がった。
敵意の眼差しで睨み上げてくるまどかは、その顔からすら可憐さが消えていない。そんな彼女に少しだけ呆れ、少しだけ同情し、そして少しだけ恐ろしさを感じた。
ここまできたら、もうハッキリ言うしかない。
「君はみんなに、可哀想だね、大丈夫?、元気だして――と言われたいがゆえに、スクール水着の盗難をでっち上げたんじゃないかと言っている」
それが、私の確信する真相だった。