第五話 消えたスクール水着(その③)
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「それで、何か成果は挙がったんですか?」
「待て、そう急かすな。今情報を整理している」
女子テニス部員や白木先生への聞き込みを含めた約二時間の調査を終え、私は保健室に帰ってきていた。
ソファーの前に置かれている背の低いテーブルの上で大学ノートを開き、三色ボールペンを走らせる。
桃井先生は今回の事件に関する職員会議に出席中とのことで、保健室には例によって黒嶋しかいない。ここまでサボり倒すなら退部すればいいのにと思うが、そうはできない事情があるのだろう。黒嶋は、部活をサボったことを悪びれなく話しはするが、自身の所属するその部自体を話題に挙げることは滅多にない。
「そうはいってももうすぐ完全下校時間ですよ」
黒嶋のスマートフォンを見る目が、時間確認のためかわずかに動いた。画面の右上を見たのだろう。
私も、左手に巻いた腕時計(耐久性に定評がある有名ブランドだ)を見やる。17時56分。夏期の完全下校時間は18時30分なので、『蛍の光』が流れるのも近い。黒嶋が時間を気にするのも無理がなかった。
「てっきり『犯人がわかったぞ!』とか言いながら駆け込んでくると思ってましたよ。なんせあれだけ大口叩いてたんですから」
「私は探偵ではないんだ、そうスムーズにはいかないさ。だが言っておこう。この事件、解決するのも時間の問題だ」
「本当ですかぁ?」
露骨に疑っている。
まあ、そうだろうな。
黒嶋視点で見れば、決め台詞と共に颯爽と出発して二秒で捕まり、挙げ句下校時間間近になってようやく戻ってきたかと思ったら、悠長に情報の整理をし出した、という流れになるのだから。逆の立場なら絶対信じない。何言ってんだこいつって思う。
しかし、真相究明が近いのは事実なのだ。
「仕方ない、整理しながらだが順を追って説明してやる。そうだな、今朝ここを出た後から話すか。私は」
「先生に速攻で捕まりました。そして職員室に連れ込まれ、リョナられました、と」
「……」
正面に鏡があれば、確実にジト目の自分が映ったことだろう。しかしあいにく正面にあるのは、黒嶋の俗に言うドヤ顔だ。
しかしこいつのリョナ推しはなんなんだろう。正直面白くないし、中学二年生ですでにリョナという概念をプッシュしているという事実に、こいつの未来を憂わずにはいられない。
「やむを得ない事情により課業中は自由な活動ができなかったので、放課後を待って行動を開始した」
「ものは言いようですね」
「嘘は言っていないぞ。……そして、まず事件の被害者である金木犀まどかから話を聞くべく、彼女が所属する女子テニス部の部室に向かった」
「部室にまで行ったんですか。先輩のバイタリティー半端ないですね」
「引きこもりのお前とは違うんだよ」
中二の夏休みにネット中毒に陥っていたことは、もちろん内緒にしている。あの頃の自分は引きこもりそのものだった。いわゆる黒歴史だ。このヒーロー活動自体もそうなる日が来るかもしれないが、それを考えてはおしまいだ。人間、今が未来から見てどう映るかなどといちいち考えてはいられない。できないこともないが、そんなことばかりしていると、その間に『いま』が過去になる。
「金木犀まどかは事件がショックで下校してしまっていたが、彼女のクラブメイトたちから色々と話が聞けたので、続けて私は彼女の一年次の担任である白木先生から、彼女に関してさらに聞き込みを行った」
「ちょっといいですか?」
スマートフォンをいじりながら話を聞いていた黒嶋が、ここで初めてスマートフォンを置いた。
「先輩の言い回しだと、やたらと金木犀について聞いているような印象を受けるんですが」
「ああ、それで合っている。白木先生と別れた後も、私は金木犀まどかと関わりのある、あるいはあった様々な人間から、様々な話を聞いて回った。それでこんな時間になってしまったというわけだ」
「なるほど、時間に関しては理解しました。ですけど、そもそもの方針が理解できないっすよ」
黒嶋が、懐疑的な視線を向けてきた。
しかし私は揺らがない。堂々と視線を切り返すと、黒嶋は勢いを殺がれたようで、その眼光からは多少鋭さが失われた。
それでも、非難の気持ちは変わらないようで、不満げに言う。
「それじゃまるで、金木犀が容疑者みたいじゃないですか」
「容疑者なんだよ」
私はそう断言し、面食らった黒嶋に何か言う暇も与えず、続けた。
「今回の事件。私は、金木犀まどかの自作自演という可能性があると思っている」
□
『完全下校、十分前です。完全下校、十分前です……』
スピーカーから流れる放送委員の声、遠くから聞こえる、部活を終えた生徒たちが慌てて校門に向かう音。
この時間でもそこまで暗くないのが、本格的に夏になっているんだなということを再認識させてくれる。
保健室を出た私は、誰もいない廊下を早歩きで、しかし必要以上の音を立てないようにして進んでいた。
そしてその後ろを、黒嶋が付いていっている。私のほうが身長が高いので、歩幅に差があり、黒嶋は若干苦しそうではあった。
「やっぱり納得できないっすよ、先輩!」
「声が大きいぞ。落ち着け黒嶋、詳しくは後で説明すると言ったはずだ」
私は黒嶋を制し、周囲を見渡す。
今朝、こってりと絞られたばかりなのだ。今、教師に見つかれば、今背後にいるサボリ常習犯のように臨時面談を開かれかねない。完全下校十分前にこんな人気がないところをウロウロしていることがまず不審なのだから。
「今説明してくださいよ。俺を納得させてください。そうしたら、大人しく帰りますから」
「はぁ……仕方ないな」
チラリと腕時計を見やる。現在時刻、18時21分。……厳しいな。かといって、こいつを振り切るのは気が引ける。黒嶋が納得できないのもわかるし、納得させてやりたい気持ちもあるのだ。第一、ヒーローとして罪なき一般人をあまり邪険にはしたくない。付き合いある知人ならなおさらだ。
「私が金木犀まどかの自作自演を疑う理由を話す。だが、それは下校しながらにするぞ。私はそこの女子トイレに寄るから少し待っていろ」
「先輩が窓から逃げないとは限りませんよ」
「やけに噛みつくな。金木犀のことが好きなのか?」
「茶化さないでください」
普段の黒嶋からは想像もできないほどに、語気が強い。だが、私は黒嶋のそういう側面を知ってはいた。彼は理解できないものを嫌う。納得をすべてにおいて優先させる。そしてその性質から、彼が彼の所属する部――男子バスケットボール部において『異物』と化してしまったことを、私はおぼろげにではあるが察している。
だが、それを一概に悪癖と見なす気はない。本人は否定するだろうが、悪を憎み正義を愛する私とは、どこか通じあうところがあるからだ。
しかし、似通っているということは、共感する確率だけではなく、反発する確率も跳ね上がるということを意味する。今がまさにその状況だった。だからこそ自分は冷静でなければならないが、その態度がさらに黒嶋を苛立たせてしまっているようだ。
「俺は金木犀と同じクラスです、だから日中の金木犀の様子を知ってます。あいつは本気で怯えてました。不安がってました。俺が先輩に話した、犯人が女子である可能性にも気付いてたに違いなかったです。金木犀は誰も信じられないような様子でしたから。先輩は、それが演技だっていうんですか?」
「女の嘘は巧みなものだ。自身のエゴに基づくものであればあるほどそれは顕著になる。あるいは、事の真相に誰かが気づくのではないかという不安が出ていただけかもしれない」
「っ……! 先輩はぶっ飛んだ人だけど、正しい人だって信じてました。正直、失望してます」
「被害者を無条件に、全面的に『善』と見なすのは、加害者を無条件に、全面的に『悪』と決めつけるのと同じくらい安直で危険なことだ」
私は知っている、世の中の曖昧さを、ままならなさを、やるせなさを。
人生経験も短ければ活動範囲も狭い、一介の女子中学生に過ぎない私でも、少し意識を向けるだけで気付いてしまうほど、世界のかたちというものは歪だ。
私と似通った部分がある黒嶋なら、そのことは理解できるはずだったが、しかし、理解できたからといって納得できるとも限らない。
実際、私に黒嶋を説き伏せることは叶わず、彼はついに、激昂した。
「先輩にはっ! 弱い人間の気持ちがわからないんですよ!!」
胸ぐらを掴みかけたところで彼は思いとどまり、苦虫を噛み潰したような顔をした。
しかしそれは一瞬の事。
ひどく冷めた顔になると、「もういいです。勝手にしてください」と突き放したように言い、先ほどの激情が嘘のように去っていった。
「……お前が私を強い人間だと思っているのなら……それはいささか、買い被りが過ぎるよ」
遠ざかる背中に、その微かな呟きは届かなかっただろう。もとより届かせるつもりもない。
私は当初の目的を果たすべく、回れ右して女子トイレに向かった。用を足すわけではなく、一番奥の個室に隠していたものを取りに来たのだ。洋式便器なので、背の高い自分は便座に乗ってドアに飛び付けば、鍵をかけたまま外に出られる。逆に個室に入るときは、窓枠に足をかけて三角跳びのように飛び付く。隣の個室も洋式だったなら、そこからよじ登れるのだが、残念ながら一番奥以外は和式というのが、この学校のトイレのスタンダードである。
手に入れたのは、女子テニス部の部員から借り受けた、共用のラケットバック入りテニスラケットだ。これから行う作戦のための、ちょっとした小道具である。
それを無事に手に入れ、人目に付かないルートで下校を開始する段になってようやく私は、黒嶋を追いかけなかったことを、少しだけ、後悔した。