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第十六話 いろんな恋のかたち(その④)

「あ、緑十字さん。紫山さんから伝言で、『風紀委員会室に来て』だって」


 完全下校時刻の約三十分前、十八時頃に、生徒昇降口に姿を見せた部活帰りのクラスメイトからそう伝えられた。


「ああ……ありがとう」

「うん、じゃあね」


 私は黒嶋のことで頭がいっぱいになってしまっていたが、そのクラスメイトのおかげでなんとか思考を切り替えることができた。そうだ、忍にも一言謝ろう。私が黒嶋と鈍野を殴って連行されたことで、少なからず心配させてしまっただろうから……。

 私は風紀委員会室に向かう。

 そしてその途中、事件は起きた。



 あまりに現実感のない事態に見舞われると、人はかえって冷静になることもあるという。

 例えばそれは、友達と合流するために校舎内を移動している最中に、複数の男子生徒に囲まれ、近くの空き教室に連れ込まれるというシチュエーション。

 部屋の隅に追い立てられた状態で、私は自分が置かれている状況を整理していた。

 場所は、一階西端の空き教室。

 一年生フロアの、ほぼ使われていない部屋だ。それでも一応、机と椅子は定位置に並べられている。

 自分を扇形の陣形で取り囲んでいるのは、四人の男子生徒だ。

 下級生が二人、同級生が二人。

 そのうち一人は、鈍野純だった。


「どういうことだ、鈍野。これはあまり紳士的な行為ではないぞ」

「緑十字。お前、黒嶋と付き合ってるのか?」

「…………は?」


 思わずそんな声が漏れる。

 何を言っている?

 ……黒嶋が、同じような文句を吹っ掛けられたのは聞いていたが、まさか直接訊いてくるとは。そのくらいの最低限の分別はあると思っていたが、とんだ買いかぶりだったらしい。


「何を見て何を聞いたか知らんが、そんな事実はない。奴は保健室によく行く。私もたまに立ち寄る。そのときくらいしか関わりはない。ただの知人だ」

「さっきも玄関で話してたろ」

「今回の件で話を聞いただけだ。先入観ありきで語ってないか? そもそも、好きな相手、いや、女子にする仕打ちではないぞ。四人がかりで部屋の隅に追い詰めるなど」


 私の冷静な指摘に、鈍野たちはあからさまに動揺する。

 なんだ、言葉にされないと、自分達が今していることの異常さにも気付かなかったのか。

 本気でよからぬことをしようとしていたなら少々厄介な展開だったが、覚悟が足りないのならなんとでもできる。


「鈍野、お前は言ったな。私だけは大事にできると。私は、私しか大事にしない男など願い下げだと言いはしたが、一つの価値観として認めはしていた。が、この様を見る限り、お前はそれさえ果たせていないようだな」

「ち、違う。俺はただ、話を」

「四対一でないと『話』もできないのか? 悪いが帰らせてもらう」


 あまり責めすぎて逆上されたら危険だ。

 私は、相手が気圧され、呑まれている隙に退室しようとする。

 が、それは、鈍野が私の両肩を掴み、壁側に押し戻したことで妨げられた。

 バスケ部員だけあって大きな手が、私の肩甲骨に圧をかけている。痛い。異性との交際は豊富だろうに、まるで扱いがなっていない――


「待ってくれ。頼むよ」


 鈍野は、今にも泣きべそをかきそうな、情けない顔になっていた。

 私の肩を掴む指にさらに力が入り、私は思わず歯を噛み締め、顔を歪める。

 だが、鈍野はそれにも気付かず、早口で続けた。


「好きなんだ。お前が誰かと付き合うのを想像するだけでたまらないんだよ。なんでもするから付き合ってくれ。お願いだ」


 鈍野が連れてきた三人は、皆一様に戸惑いの表情を浮かべる。鈍野がこんな姿を晒すことなど、まずなかったのだろう。それを臆面なく晒してしまう辺り、鈍野の気持ちの強さは本物なのかもしれない。しかし。


「……好きなら何をしてもいいわけではないし、人を愛することが無条件で美徳になるわけでもない。……私が本当に好きなら、わかるだろう」

「緑十字、でも……!」


 ……ここまで言っても、『でも』と来るか。

 一人で悟って諦めた黒嶋とは対照的だ。どちらも極端だが。

 ……実力行使はできれば避けたい。相手が暴力を振るってきたわけではないのだから。しかし説得はこの通り、馬の耳に念仏だ。ならば第三の選択肢、無理やり振りほどいて逃げるという手を使うしかないが、それは結局、問題の先送りだ。残った禍根を後で処理しなければならない。

 ……だが、この調子ではやむを得ないか。


「くどいぞ鈍野。いい加減」


 ――その時だった。

 互いに相手に集中していた私と鈍野はもちろん、そんな私たちの押し問答を固唾を呑んで見守っていた取り巻きたちも気付かぬうちに、空き教室の扉がガラガラと開かれたのは。


「!?」


 そうして一斉に向けられた視線の先で立ち尽くしていたのは、紫山忍だった。



 ここで状況を整理してみよう。

 空き教室に、バスケ部所属の体格のいい男子が四人、彼らによって隅に追いやられた女子が一人。

 男子のうち一人は、女子の両肩を掴み、壁に押し付けるようにしている。

 ……ああ、これは、端から見れば。


「那由多!? ――あなたたち、何やってるのよ!!」


 忍が怯えと驚きと怒りの叫び声を上げる。

 ……完全に、私が手篭めにされようとしていたのだと誤解してしまっているようだった。

 助けが入ったのは幸いだが、しかし、彼女の誤解を解かねば、また違った厄介に発展してしまう。


「忍、これは――」

「なんてこと……! 犯罪よ! あなたたち、那由多に! ゆるさない! 先生に言わなきゃ……!」


 ――忍の真面目さが、悪い方向に作用した。

 親友が辱められようとしていると思い込み、冷静さを失っているというのもあるのだろう。

 だが、その感情的かつ常識的な叫びは、私にとって心境的には嬉しいものではあったが、鈍野たち四人を刺激するには十分すぎる、劇薬だった。


「や、やめろ!」

「違う、俺たちは!」


 必死に弁解しようとする彼らを、忍は親の仇を見るような、鋭く憎しみに満ちた眼差しで射抜く。長年一緒にいる私でさえ背筋に冷たいものが走るような、憤怒の眼差しだ。


「ふざけないで……! 何が違うのよ! 那由多をこんなとこに連れ込んで! 最低よ! あなたたちみんな、警察に突き出してやる!」


 警察。

 その単語が、彼らをさらに焦燥させた。

 真っ先に動いたのは、鈍野の同期の男。

 血走った眼で駆け出し、忍に迫る。


「やめろよ!」

「!? ひっ!」


 突然の襲来に怯えきった忍は逃げようとしたが、その腕を乱暴に掴まれ引っ張られ、バランスを崩して転倒する。


「…………!」


 ゴツン。

 響いたのは、不穏な鈍い音。

 その場にいる全員が沈黙する。

 ……忍が、顔面から板張りの床に突っ込んだことによって生じた音だ。

 そして、数秒遅れで、忍の顔の回りに、赤い赤い液体が広がっていく。


「ううう……」


 呻きながら顔を上げた忍の鼻からは血が滴っていて、額と唇の端にも傷ができていた。

 傷自体は浅いのだろうが、出血が多い。


「ひいっ!」


 自分で怪我させておきながら、男は短い悲鳴を上げてのけぞっていた。


「忍!」


 私は叫び、呆然としたまま、しかし惰性で力無く肩だけは握っている鈍野を振りほどき、忍に駆け寄った。

 抱き起こし、傷を間近で確かめる。

 痛々しい傷。

 もしかしたら痕が残るかもしれない。

 忍の顔に。

 傷痕が。

 こいつらのせいで。

 傷が。


「~~~……ッッ……!」


 私は、奥歯を砕けそうなほどに強く噛み締め、爆発しそうな感情を必死に抑え込んだ。

 ここで激情に呑まれることを、忍は望んでいないからだ。幼馴染だ、それくらいわかる。

 今はそれよりも、忍を保健室に連れていくことが先決だ。

 そうだ。

 そうだよ。

 落ち着け。

 私。


「忍、立てるか?」

「うん……大丈夫……」


 痛みに歪んだ声だが、はっきりとはしている。

 よかった、脳にダメージはなさそうだ。

 少しだけ安堵しながら、私は忍を優しく立たせる。

 そうして、そのまま退室する――はずだった。

 だが。


「……勝手にコケた癖に、大げさに痛がってんじゃねえよ」


 後ろめたさからか、彼はそう吐き捨てていた。自分を正当化して罪の意識を紛らせようとする、苦し紛れの自己防衛。

 しかし。

 その言葉は。

 その態度は。

 私の理性の糸をプツンと切るのには、十分すぎた。



 あたまのなかが、まっしろになった。



 ヒーローは偶像でなければならない。

 それが私の持論だが、その偶像はこの日。

 完膚無きまでに、砕け散った。


「……緑十字。お前が怒るのも無理はなかった。でもな。お前は、やりすぎた」


 一日に二度も強制取調室に足を踏み入れたのは、さすがに初めてだった。ただ、今度は赤瀬先生ではなく青垣が面談者だったが。

 全身に今なお残る微かな熱と痛み。

 ……あの空き教室で私を突き動かした激情の名残だ。今はただ、胸いっぱいに苦いものを染み渡らせているだけの。

 握り締めた拳が痛い。

 何発も殴ったからだ。

 所々、皮が破れて血が滲んでいる。


「やりすぎか。はは……違いない」


 ……私は、忍の顔に傷を作った挙げ句身勝手な言い訳をしたあの男子生徒に殴りかかったのだ。

 バスケ部の男子だけあって体格はよかったが、動揺していたのだろう、私は反撃らしい反撃を受ける前にマウントを取り、そのまま鈍野たちに引き剥がされ、押さえ込まれるまで、一方的に彼を殴り続けることができた。

 二十発? いや、三十発か?

 無我夢中で拳を繰り出していたのでわからない。

 ハッキリと理性が戻ったのは、騒ぎに気付いて駆けつけた教師たちにここまで引っ張ってこられてからだ。


「笑い事じゃないぞ。自嘲でもやめろ」

「笑わずにはいられないさ。こんなことになるとは思いもしなかったのだから」


 ニュースでよく見る犯罪者と言っていることが同じだ、と思ったが、それが私の純粋な感想だった。

 こんなこと。流血沙汰。

 思いもしなかった。想像力の欠如。

 何よりの予想外は、何よりの衝撃は。

 忍が怪我をする羽目になったことでもなければ、自分が手のつけられないほど暴れ狂ったことでもない。保健室で手当を受けたあの男子が、念のため病院に行くことになったということでも、もちろんない。

 ――自分があの男子を殴っているとき、悦びを感じていたという事実だ。


「……思いも、しなかったんだよ」


 悲鳴と怒号の雨の中、私は興奮のあまりほとんど何も覚えてはいない――わけではなかった。

 確かに、異常な熱が私の胸の内の回路を焼き切っていたのは事実だが、それでも、ありありと思い出せる。私は望んで、理性を手放したのだから。

 苦痛と恐怖に歪んだ顔に、繰り返し繰り返し叩き下ろした拳。

 そのたび伝わる、肉と骨の感触。

 頬にまで散った血の匂い、温かさ。

 私は背徳感すら自己破滅的な快感として味わい、酔いしれていた。

 そして何より、許せないのは。

 忍の制止する声がはっきりと届いていたにも関わらず、その浅ましくおぞましい欲求を満たすことを、優先したという事実。

 それは、つまり。


「私は――ヒーロー失格だ」


 気だるく、やるせない。

 何かを考えるのも億劫で、面倒だった。


「緑十字」


 青垣は。

 いつものルーズな雰囲気はどこにやら、肘をつき両の指を絡め、その上に顎を乗せた姿勢で、私をじっと見つめ、静かに語った。


「お母さんに迎えに来ていただくから、今日はゆっくり休むんだ。ご両親にも、今日のところはお前をそっとしておいてやってくださいと伝えてある」

「……そうか」


 今までにも素行を咎められたことはある。

 ヒーローごっこなんて恥ずかしいこといい加減やめなさいと、何十回言われたかわからない。

 しかし、これほどの事態は初めてだ。このバカ娘に対し両親は、どんな反応をするのだろうか。今、どんな思いを抱いているのだろうか。

 ……なんでもいい。

 私は疲れ切っていた。


「…………」


 それを察した青垣は、それ以上多くを語らなかった。

 その気配りに感謝しつつ、そんな自分を惨めに感じる。

 ……しかし、私の両親は私をそっとしておいてくれはしないだろうなと、私は思った。



 迎えに来たのは母親だった。

 青垣や赤瀬先生に何度も頭を下げてからは、押し黙ったまま車を走らせる。

 やがて母親が最初に口にしたのは、「何してるのよ」という呆れと苛立ちの呟きだった。


「連絡きて驚いたわよ。小学生じゃないんだから。それも女の子が、喧嘩ってどういうことよ」

「……忍が傷つけられたんだ。怒ってもいいだろ」


 私は普段から、堅く無骨な男言葉のような、独特の口調で喋っているが、両親相手ではそこにさらにぶっきらぼうさが加わる。その自覚はある。

 助手席で頬杖をついた仏頂面の自分を、バックミラーで眺めながら、私は吐き捨てた。


「少し放っといてくれないか」

「なによその口ぶりは! 那由多の気持ちはわかるけど、そこは我慢しなきゃいけなかったところよ」

「……私の気持ちなんて、考えたこともないくせに」

「――もういいわ。帰ったらご飯食べてお風呂入って早く寝なさい。少し頭を冷やしたほうがいいわ」


 母は、話にならないわ、と言わんばかりにそう告げた。

 私は小さく息を吐き、「言われなくてもそのつもりだ」と返す。

 母はそれに、同じようにため息で応えた。

 自分とよく似た息の吐き方。

 私はこの人の娘なんだと、再確認させられる、そんな仕草。


「那由多。いい加減、少しは大人になったほうがいいわよ」


 ……わかっている。

 しかし私は、何も答えずそっぽをむいた。

 そういうところが大人じゃないんだろうなと、自分でも気付きながら。



 無言で夕食を済ませ、風呂に浸かり、二階にある自室に足早に上がった。

 そのまま眠ってしまいたかったが、疲労困憊した心身とは裏腹に目が冴えてしまっていて、寝つくことができず悶々とする。

 そうしている間に、父親が帰ってきたのが車の音でわかった。

 嫌な予感がしたが、ともかく目を閉じ、布団を目一杯に被って寝たふりをする。

 ……しかし、予感というのは大抵、悪い場合に限って当たるものだ。ましてや他人や物事の負の側面に対し敏感な私である。

 程なくして荒々しく階段を登る音が響き、乱暴にドアが開けられた(年頃の女の子の部屋に鍵がないのは考えものだと思った)。

 廊下の光が差し込むのが布団にくるまっていてもわかる。


「那由多! 起きろ!」

「うるさい……」


 今日一日くらいは放っておいてほしい。

 そんな願いも虚しく、無遠慮に踏み込んできた父によって、布団を剥ぎ取られる。

 仕方なく仰向けになり、扉の側に視線を向けた。

 明らかに怒っている父、廊下から気まずそうに見つめる母。

 ……娘が人様の子を病院送りにしたのだ、無理もないとは思う。思うが、それでも、今は両親と向き合いたくなかった。両親だけではない、桃井先生や白木先生、忍とすら顔を合わせたくなかったのだ。

 それは我儘なことなのだろう。

 ……我儘。

 今まで自分がやってきたことと、何が違う?


「那由多、そこに座れ」

「……いやだよ」

「嫌だとはなんだ! お前、自分が何をしたかわかってるのか!」


 わかっている。

 告白を断ったら呼び出され囲まれ、それに巻き込まれた忍が怪我をした。そして自分は、怪我をさせた男子を病院送りにした。

 わかってるから、今は放っておいてほしいのだ。

 それでも、私は不承不承、起き上がり、ベッドの端に腰かける形となる。そうしないと話が終わらないからだ。


「…………」


 私は、父の叱咤を心ここにあらずで聞いていた。

 途中何度か、ヒーロー活動について貶めるような発言があったが、今はもう、何も感じなかった。

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