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第十四話 いろんな恋のかたち(その②)

 報告に来た女子生徒に案内されて辿り着いた体育館裏には、人だかりができていた。


「離っせええええ!!」

「うあああああ!!」


 すでに男性教師らによって羽交い締めにされていた両者は、鎖に繋がれた猛獣のように暴れもがいている。

 私はそこで速度を上げ、先導していた同級生を追い抜き、人だかりに突っ込んでいった。


「バカか、お前らァァァァ!!」


 私は、野次馬で構成された三重ほどのラインを勢い任せで突破し、睨み合う二人の男子生徒――鈍野と、黒嶋の中心点に躍り出て。

 目を見開いた二人の顔面を、思いきりグーで殴り抜いた。


「「!?」」


 右で黒嶋、左で鈍野。

 ワンツーではなく両方ツー、すなわちストレートである。

 あれほど騒がしかった野次馬たちが、頭から突然水をぶっかけられたかのように、呆気に取られ沈黙する。

 ただひとり、私の叫び声だけが辺り一帯に響く。


「体育館裏で殴り合いの喧嘩なんて昭和の不良かお前らは! お前らに込み入った事情があるのは知っているが、安易に暴力などという手段を選ぶな! ――黒嶋、お前今『暴力振るいながら言うなよ』とか思ったな!? その目が物語っているぞ! だがこれは先輩としての教育的指導だ感じ入ろ!」


 私は、黒嶋の胸ぐらを掴んでいた。

 私のほうが背が高いので、黒嶋の踵が僅かに浮く。

 痛みと恐れと混乱で、黒嶋はいつもの軽薄な台詞回しもできず、金魚のように口をぱくぱくさせていた。


「おい緑十字、やめろ!」


 響いたのは、赤瀬先生の怒鳴り声。

 ハッとしたその瞬間には、私は背後から羽交い締めにされ、黒嶋から引き剥がされていた。


「は、背後からとは卑怯な! 離せ! セクハラだ! 強制わいせつ罪だ! けだもの! スケベ! 変態! 乙女の敵!」

「都合の悪いときだけ女子であることを前面に出すな!」


 普段から体を鍛えているとはいえ、私はあくまでも十五歳の女子中学生だ。

 体格のいい成人男性にがっつり捕まってしまうと、どれだけもがいてみたところで振りほどくことはできない。

 その事実が、私をさらに熱くさせる。

 私は激情にかられ、前後の見境が付かなくなることが以前にもあった。小学生の頃、上級生の男子が忍のことを、おかっぱ頭を理由にひどくからかい泣かせたときだ。

 そのとき私はその男子に殴りかかり、反撃されてタンコブやアザが残るくらいになっても怯むことなく、最終的には男子のほうが泣きながら謝った。

 あるいは、この激情こそが、私の本質なのかもしれない。

 などと、沸騰する感情とは裏腹に、ひどく冷静に思考する自分がいた。


「いいから離せ! 私はこいつらを檄指導する!」

「お前が関わると余計にややこしくなるんだよ! ヒーローぶる前にわきまえろ! 今のお前は、正義でも何でもない!」

「――ッ!」


 私が目を見開き、動きを止めたのを見て、赤瀬先生が拘束を解く。

 私は再度暴れだすことはせず、その代わりに、掌に爪が食い込むほど強く、拳を握った。

 怒りに任せて行動していた十数秒の自分が脳裏にありありと浮かび、それを認めたくない自分、認めたくないなどと見苦しく思う自分への苛立ちで胸がざわつくようになり落ち着かない。

 そんな私の心情を察してか、赤瀬先生は優しく肩を叩いてきた。


「お前の話は、俺が職員室で聞いてやる」

「……すまない」


 私は、野次馬たちには聞こえないように微小な声でそう答え。

 答えた後で、そんな風に体裁を気にした自分の浅ましさを、憎らしく感じた。



 久し振りに訪れた強制取調室は、相変わらず殺風景だった。

 ただし、七月に見かけて苛立ちを覚えた青春推しのポスターは、秋の交通安全ポスターに張り替えられている。車を中心に据えて外側に交通標識をいくつも描いた、どこかで見たような構図のポスターだ。

 私はパイプ椅子に座らされ、待たされていた。職員室はさっきから騒がしく、衝立越しに早口での会話やバタバタと歩き回る音が聞こえる。言うまでもなく、黒嶋と鈍野の喧嘩の件でだ。この平和極まる七色中学校においては、それは重大な事案といえた。

 ……私には察しが付いている。

 黒嶋と鈍野が衝突した経緯には。


「悪い、待たせたな」


 衝立の隙間から赤瀬先生がスッと滑り込んできて、私の向かいに座る。いつもなら、ここで相対するのは生徒指導担当の青垣なのだが、恐らく黒嶋か鈍野のほうに対応しているのだろう。

 ……私はすでに、かなり冷静になっていた。時間というものは大抵の感情を平坦に、フラットに戻してくれる。良くも悪くも。


「……すまない、赤瀬先生」

「おいおいお前が一日に二度も謝るなんて明日はヒョウが降るな。あまり気にしすぎんな、俺も言い過ぎたよ」


 赤瀬先生はケラケラと笑ったが、私はどんな顔をすればいいのかわからず、思わず目を伏せていた。

 それに気付いた赤瀬先生は、フウ、と短く息を吐き、今度は苦笑した。


「らしくないぞ緑十字――いや、でもねえな。お前、案外繊細なトコあるもんなあ」

「……」


 そんなことを言われたのは初めてだった。ましてや教師からなんて。

 私は戸惑いを覚えながらも、頬が熱くなるような感覚に気付いていた。


「……。案外とは心外だな」

「おいおいシャレか? あまり面白くないぞ。ははは! シャレ言う余裕あるなら大丈夫だな! 心配しすぎたか!」

「…………」


 赤瀬先生に対する認識が改められかけていたのは、一瞬でなかったことになった。

 自身に向けられたジト目に気付くことなく、赤瀬先生はゲラゲラ笑っている。面白くないと言いつつかなりの笑い上戸だ。笑いに対するハードルが低いから、普段のトークがびっくりするくらいつまらないのだろう。

 そう分析しながら、いやもしかしたら今の振る舞いは自分が思い詰めないように計らってしてくれていることかもしれないと考え直す。

 真相はわからないが、私の赤瀬先生に対する理解よりも、赤瀬先生の私に対する理解のほうが深いのは間違いないだろう。

 私にとっての赤瀬先生はただ一人の担任であるのに対し、赤瀬先生からすれば私は担当する数十人の中の一人に過ぎないのにも関わらず、だ。

 これは、恥じ入るべきことである。


「しかし問題は鈍野と、二年の黒嶋か、あいつらのほうだな。緑十字は知ってるんだろ? 俺は情けないことに詳しくは知らないんだ。他の先生方は忙しいし、聞かせてくれないか?」

「……大した話ではないがな」


 私は語る。

 教師に話すことなどないだろうと思っていた、黒嶋と鈍野の因縁、というほど大仰でもない、よくある関係を。


「あいつらはバスケットボール部の先輩後輩だ。鈍野は一年前からエースで取り巻きも多かったが、ゆえにいささか横柄な面があった。元々努力せずに何事もそこそこできるタイプのようだしな。そんな鈍野の振る舞いに反発したのが黒嶋だ。だが、体育会系の部活において新入部員がかような態度に出ることが許されるはずもない。鈍野ならずとも大多数の上級生が反感を抱いた。結果、黒嶋は部活から爪弾きにされた。……どこにでもある、くだらない話だよ」

「……それだけなのか?」

「ああ。それだけだ」


 腑に落ちない様子の赤瀬先生に、私はそう答えたが、本当は、違う。いや、話した内容に嘘はないが、本当のことをいくつか言っていない。

 黒嶋と鈍野が犬猿の仲であるさらに深い、いや、ある意味浅いその理由を知る者は、かなり限られている。

 別に話さなくても、先に述べた部分だけで十分ではあるし、私はそれを話したくはなかった。

 ……本当に、くだらない話なのだ。

 ――鈍野が最初に告白してきたのと同じ時期に、黒嶋が保健室に怪我でやって来た。

 そこで桃井先生に惚れた黒嶋は、仮病で保健室を訪れるようになった。

 失恋した鈍野は、失意の中、黒嶋が保健室で私と話しているのを運動場から窓越しに見かける。

 黒嶋と私の関係を邪推した鈍野は嫉妬を抱き、黒嶋を冷遇し始める。

 それにより、黒嶋も以前からの鈍野への不平不満を噴出させ、強く反発。

 しかし鈍野はその人脈と人望を活用して黒嶋を追い詰め、黒嶋の同期を始めとする黒嶋に同調・同情する人間も黒嶋に味方できなくなった。

 そうして部活に居場所がなくなった黒嶋は保健室に通う頻度が増し、鈍野は自ら招いた事態にも関わらずさらに嫉妬を深める。

 やがて鈍野が別の女子に近寄るようになり、以後は冷戦状態が続いていたが、このたび、鈍野はまたしても私に告白をし、玉砕。

 プライドが傷ついた鈍野の中で、黒嶋へのヘイトが再燃し、黒嶋を体育館裏に呼び出し詰め寄り、口論の末殴り合いの大喧嘩となった。

 ……と、最後の部分は推測だが、事実と大きく異なってはいないだろう。

 浅はかで、馬鹿馬鹿しく、ありふれた話で。

 そこに自分が深く関係しているという事実が、嘆かわしかった。

 だから私は、赤瀬先生に対しその部分を伏せたのだ。

 しかし。

 こんな騒動に発展してしまった以上、自分にも責任の一端は生じていると、私は考える。

 ゆえにすでに胸の内で、ある決意を固めていた。

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