第十三話 いろんな恋のかたち(その①)
修学旅行を、中学生活三年間の中における重要行事として位置付ける生徒は少なくないだろう。
七色中学校においてもそれは例外ではなく、九月半ばを迎えた今日この頃、七色中学校の三年生フロアはざわざわとしたような、そわそわとしたような、独特の空気に包まれていた。色めきたっている、と言うべきか。
あちこちに作りかけの作品が工具や材料と共に転がっている文化祭の数日前や、分厚い雲に空が覆われ生暖かい風が啼いているように吹くような日にも感じる、非日常感。
実際にはそれも日常に過ぎないのだが、何かが起こりそうな予感を信じさせてくれるひとときである。
そんなお日柄に、私はというと、空き教室に呼び出されていた。呼び出し主は目の前にいるクラスメイトだ。
鈍野純。
背が高く、がっしりと鍛えられた体格。
バスケ部のエースで、勉強もなかなかできる。
顔立ちも整っていて、人脈も広い。
クラスに一人はいる文武両道リア充タイプである。
その鈍野が、私に対し頭を下げていた。
「ずっと前から好きだったんだ。俺と付き合ってくれ」
通りのいい低音が、空き教室に響く。
廊下にはまだ、下校中の生徒たちが多くはないが行き来していることを考慮してか、その声はやや控えめだった。
……久しぶりだな、と私は思う。
バスケ部にいた頃は、こういうことも何度かあったが、ヒーロー活動をするようになってからはご無沙汰だった。
しかし、実際にされて改めて思ったが、別段嬉しいものでもない。断らなければならないからだ。
「すまない。私は、お前の気持ちには応えられない」
ハッキリと告げる。
二年前に繰り返しそうしてきたように。
変に期待を持たせるのは却って残酷だ。
しかし、鈍野はまるで引かない。
「そう言われることはわかってたけど、少しだけでいいから考えてくれ。頼むよ」
台詞とは裏腹に、声や表情には一切の悲哀や動揺がない。静かだが確かな意志に満ちた声音と、落ち着き払った態度。
……ずいぶん変わったものだ、と私は思った。
この男、鈍野純は、二年前にも同じように、自分に告白してきている。その頃は、私もまだバスケ部員だったので、部活終わりの体育館裏でだったが。
あのときはもっと初々しく、感情の起伏も目に見えていた。この時期の二年は、人を変貌させるには十分すぎる。自分のように、変わらない人間のほうが異質なのだ。
「俺は、本当にずっと前から」
「夏頃まで後輩と付き合っていただろう。それに二年の頃には年上の恋人がいた。お前の言う『ずっと』はいつからだ?」
私は目を細め、鈍野を睨む。
七色中でも有数のモテる女子が金木犀まどかであるように、七色中でも有数のモテる男子が鈍野純なのだ。
それが、ずっと一途に自分を想い続けていたかのような口振りなのだから内心呆れずにはいられない。
しかし鈍野は眉ひとつ動かさず、「……もちろん、一年の春からずっとだ」と答えていた。よくもまあ、いけしゃあしゃあと。
「バスケやってた緑十字も、今の緑十字も、変わらず好きだ」
「だとしたらお前は、私に想いを寄せていながら他の異性と交際していたということになるが」
「何度も諦めようとしたんだよ。でも、誰と付き合っても駄目だった。俺には緑十字しかありえないんだ」
ここでようやく、鈍野は感情を僅かに覗かせる。
その胸に押し留められた強い感情。
しかし、その質が二年前とは違ったものになっていることを、私は見逃さなかった。
……厄介なことになったな。
修学旅行を一緒に過ごすために告白が増えカップルが増える時期ではあるが、まさか未だに自分に告白してくる酔狂な奴がいたとは。
そしてそれが、よりにもよってこの男とは。
「悪いが諦めてくれ。私は誰と付き合う気もない。恋愛には興味がないんだ。それに、お前はお前を好いてくれた人間に対し失礼なことをしていた。妥協で付き合うならまだしも、妥協『しようとして』付き合い、それにすら失敗し破局している」
「……っ。確かに、そうだ。俺がひどいことをしたのは認める。クズだと思う。でも、緑十字は本命だ。こんな俺でも、いや、こんな俺だからこそ、お前だけは大事にできる」
鈍野は、その自前の論理に手応えがあったのか、口元を僅かに吊り上げたが。
私からすれば、失笑ものだった。
「私は私だけしか大事にしない男なんて願い下げだよ」
「!」
「私とお前では価値観が違いすぎる。まずうまくいかないだろう。私以外の誰かを探せ。それがお前のためだ。私に拘泥して青春を棒に振る必要はない」
私はそう言い切って、鈍野に背を向け退室した。
その背に突き刺さった感情が何か、私でなくともわかるほどに露骨だ。
……早まったことはしないだろうが、安心はできない。
もっと『穏便』に済ませることはできただろうが、そのために気休めのような嘘は使いたくなかったし、使うべきではなかったはずだ。
ただ、しばらくは注意しておいたほうがいいかもしれない。
後ろ手に扉を閉めたとき、鈍野が小さく舌打ちする音が聞こえたが、私はそれを無視した。
□
七色中学校の生徒会と各委員会に所属する三年生は、十一月の文化祭を最後の仕事として解任される。
忍の風紀委員長としての仕事もあと二ヶ月を切っているというわけで、彼女は今まで以上に張り切って校内の風紀を守り続けていた。
そして私のほうは、基本的には今まで通りに活動していたのだが、少しばかり困ったことになった。
生徒の評価なんていい加減なもので、私がまどかや忍と付き合いだすようになってから、手のひらを返したように、私に対し好意的な評価をする者が増えてきたのである。どころか、あたかも『私は最初からわかってましたよ』的な雰囲気を醸し出そうとする理解者気取りまでこの頃は見受けられ、さすがに辟易していた。
基本的には引き続き変わり者扱いされているのだが、釈然としないものを感じるのは事実だ。
どうせならもっと劇的な、ヒロイックな大立ち回りを経て評価を改められたかったなどと思ってしまう。私の立ち位置は多少改善されたが、それは人気者であるまどかや忍と親しくしているからに過ぎない。それでも、疎まれ続けるよりは喜ばしいことであるはずなのだが、何かが違う。贅沢な悩みなのは百も承知だが。
そしてこんな気分のときは、自然と足が保健室に向くのだった。
すると大変珍しいことに黒嶋がおらず、これまた珍しいことに桃井先生だけではなく白木先生もいた。
「あら、那由多さん。久し振りね」
「那由多さん、こんにちは」
「こんにちは。黒嶋がいないのは珍しいですね」
私は定位置のソファーに座り、改めてからっぽのベッドをチラリと見ながら言う。
桃井先生も、「そうね。今日は来てないわ」と、不思議に思っている様子だった。
「黒嶋君のこと、やっぱり気になる?」
白木先生がニヤリと笑いながら尋ねてきた。
そういう関係だと思われているのだろうか。
いやまあ、冗談だろう。……冗談だろうな?
そんな疑念を抱きながらも、私は白木先生に対して率直な感想を伝えた。
「そこでゴロゴロしている姿しか思い浮かばないもので。そういう意味では気にはなります」
「ふーん……ほんとにそれだけ?」
「それだけですよ」
「そうかな? 那由多さん、黒嶋君に逢いに保健室に通ってるって職員室では専らの噂なんだけど」
「誰ですかそんな噂流したのは!?」
私は割と本気で抗議した。
だとしたらアレか、赤瀬先生も青垣も、私を見るたび『こんな態度取ってるけどコイツも黒嶋と二人のときは女の子らしく甘えたりしてるんだろうなあ、そう考えたら可愛いもんだ、ははっ』とか思ってたのか!? 屈辱だ!
……などと一瞬で考えてしまう、自分の想像力の豊かさが憎い。
「あはは、冗談だよ。でも、話を聞く限り仲良さげには思えるんだけどね」
「……桃井先生、白木先生にどんな風に話したんですか?」
「ふふ。見たまま聞いたまま、ありのままよ」
桃井先生は、妖艶さすら漂う笑みでそう答えた。白木先生の、まだ少女らしさを微かに残す笑みとはまるで違う。年齢の差……と言ったら、温厚な桃井先生でもいい気分はしないだろうから自重しておこう。桃井先生は、もうすぐ三十歳の独身女性なのだ。
しかし、その笑みにごまかされはしない。
私は唇を尖らせて言った。
「ありのまま話していたのなら、仲良さげだなんて誤解は生じませんよ」
「憎まれ口を叩き合えるのは、ある程度気心の知れた相手同士だけよ」
「そんな微笑ましいものじゃないと思いますけどね。日中からベッドでゴロゴロしながらアダルト動画を見てるような奴は最初から恋愛対象外です」
「えっ、黒嶋君、そんなもの見てたの。やだ……」
桃井先生が眉をひそめる。
悪く思うな黒嶋、自業自得だ。
「――でも確かに、なんで今日はいないんだろうね」
白木先生が何気なく呟いたその直後。
保健室に、ドタバタと全力疾走する誰かの足音が近づいてきた。
「!」
私はすぐさま反応し立ち上がったが、白木先生のほうが先に動いていた。
扉に駆け寄り、開け放つ。
程なくして、足音の主である女子生徒(付き合いはないが同級生だ)が、息を切らし、狼狽した姿を見せていた。
彼女は呼吸を整える間も惜しみ、叫ぶ。
「先生、大変です!」
続く台詞は、私が密かに抱いていた悪い予感が的中したことを示すものであり。
同時に、私の日常が決して好ましくない形で変化し始めたことを意味するものであった。
「鈍野君と二年生の子が、大喧嘩になってます!!」