第十二話 ヒーロー進路に思い悩む
中学最後の夏休みが終わり、三年生はいよいよ本格的に受験を見据えた学校生活を送らざるを得なくなる。私にとっては興味の無い事柄なのだが、むしろ私に関わる周囲の人間が、私の進路に関して世話を焼いているのが現状だった。
例えばそれは、両親だったり、忍だったり、生活指導の青垣だったり、今、向かいに座り、机に置いた私に関する資料を爪の先でコツコツ叩いている担任・赤瀬先生だったりする。
ここは、三年生フロアの端にある空き教室。
登校日の時点で予告されていた二者面談が、終礼直後から出席番号順に行われていた。私は一組の出席番号ラストなので、出席番号ブービーの子に呼ばれたときには外はやや薄暗くなっていた。夏休みの間は、まだ明るかったような時間帯だ。こんなところからも、夏から秋への季節の移り変わりを感じ取ることができる。
「夏休みに体調を崩したり怪我したり……してるわけないわな! 無駄に丈夫だもんなお前。ははは!」
「その通りだが、少しは心配してほしいものだな」
「じゃあヒーローやめろ、色んな意味で危ないから。な?」
「断る」
そんな会話から始まった二者面談ではあるが、まあ滞りなく話は進んだ。
宿題は全部提出したし、夏休みに何か問題を起こしたわけでもないからだ。
ヒーローの件については普段から散々話して(揉めて)いるので、当然、話題の中心は進路のことになるというわけである。
「しっかし本当に推薦はいいのか? 確かにお前の内申書は色々書かれてるってか俺が書いたけど、お前がその気ならフォロー入れるくらいはするぞ? お前のキャラ的に自立性とか積極性とか推していけるし」
「必要無いな。私は一般入試で七色高校の普通科を受ける」
「はー……。いや、お前がそれでいいならいいんだけどな。一般入試なら、せめてもう少しレベル上げたところにしないか? 私立の陽光が丘高校とかどうだ。お前の実力なら問題ないだろうし、言っちゃなんだがお前は公立より私立向きだと思うぞ? これは割と真面目に」
「しかし私立は金がかかるだろう。家に経済的負担がかかる」
「そういうところは真面目だよなー、お前。まあ、パンフくらいは見とけ。お前向きの、一人ひとりの個性を尊重する自由な校風の学校だから」
赤瀬先生は癖毛をかきあげ、重なった資料の中から一枚のポスターを取り出し、私ほうに向きを合わせて置いた。
話題に挙げられた私立陽光が丘高校の入学生募集ポスターだ。
太陽に照らされた校舎、笑顔でどこかを指差す、ブレザーを着た生徒。校内の様々な場所に貼られているので、見覚えはあった。
その横に、赤瀬先生は同校のパンフレットを置く。白地の中心に、陽光が丘の校章と思われる太陽の形をしたシンボルマークが大きく描かれている。こちらは見覚えがなかった。進路相談や学校調べを一切していないので無理からぬことだが。
赤瀬先生がパンフレットを一枚めくる。
パンフレットの最初のページにふさわしく、そこには校訓や理事長の言葉が書かれていた。
「お前が世話になった白木先生もここの出身だからな。お前、確か校外で格闘技習ってるんだろ? お前体育の成績は抜群に良いし、ここは格闘技系の部が充実してるから、悪くはないと思うぞ?」
「……考えておこう」
行けたら行くに匹敵するほど信憑性の薄い台詞と共に、私はポスターとパンフレットを受け取った。
白木先生が陽光が丘高校出身だというのは初耳だったが、どちらにせよ高校は七色高校と決めている。なんせ家から近いし学費も安い。
それに、格闘技系の部が充実しているなどと言われても、高校に上がっても部活には入らないつもりなので興味が沸かない。確かに私はヒーローとしてのたしなみで校外のジムに通ってはいるが、部活動としてやりたいわけではないのだ。それが目的なのではなく、手段のひとつに過ぎないのだから。
ただ。
忍は成績優秀なので、七色高校のような月並みな高校には進学しないだろう。あるいは、陽光が丘高校に行くかもしれない。
そこだけが気がかりではあったが、忍と離ればなれになるからというだけの理由で志望校を変えるほど、私は子供ではなかった。
しかし、私が微かに滲ませた迷いを敏感に見て取ったらしい赤瀬先生が、しみじみと語った言葉は、そんな私の胸に少なからず留まることとなる。
「七色高校は良くも悪くも普通の高校だからなぁ、そういう場所じゃ、お前はまた浮いて問題児扱いされるだけだと思うぞ? お前はそれでもいいのかもしれないけどな、俺はそれじゃ勿体無いと思う。そのままのお前を受け入れてくれるところに行くべきだと思うけどな。あ、もちろんお前も少しは周囲に合わせるというか、自分を変える努力は必要だぞ?」
□
赤瀬先生の話に少々胸を打たれた私だったが、その後熱を帯びてきた彼は昔語りから自前の教育論の披露から果ては昨今の政治問題までもを語りだして止まらなくなり、しかもそのトークがことごとくつまらなかった。
完全下校十分前の放送が流れ出してようやく、私は二者面談から解放された。
悠長に資料の整理をする赤瀬先生には構わず、私はもらったポスターとパンフレットをスカートのポケットに押し込み、廊下に飛び出す。薄暗い廊下の向こう、三年三組の教室の前辺りで、忍が手持ち無沙汰にしているのが見えた。
私は二者面談、忍は風紀委員会が終わり次第三年生フロアでもう一方を待つという約束をしていたのだ。
「悪い、待たせた」
小走りで近づき、声をかける。
忍は呆れと安堵の混ざりあった表情を浮かべた。
わざわざ一組に行って私の通学カバンを取ってきてくれていたらしく、二つ持っていた通学カバンのうち一つを手渡される。
見た目や持った感じで自分のものとわかるが、一応中身も確認する。仮面よし、マフラーよし、全部よし。
そうして二人並んで歩き始めてすぐ、忍が呟いた。
「やっぱり三十分じゃ終わらなかったわね」
「ああ、学校側から見た自分の問題児度合いと、赤瀬先生のトークの冗長さを過小評価していたようだ」
「それは那由多らしからぬミスね」
忍はそこで、私の腰の辺りに視線を向けた。一瞬何かと思ったが、ただ単にスカートのポケットからパンフの端がはみ出していただけだった。
急いでいたので半端な仕舞い方になってしまっていたようだ。私がそれをポケットの奥に押し込もうとしたところで、忍は指を差してきた。
「那由多、それ……」
「ああ、さっき赤瀬先生に渡されたパンフレットだ。お前に合った学校だって言われたよ」
「……そう。でも、那由多は七色高校に行くんでしょう?」
「ああ、それは変わらないな。赤瀬先生の情熱に免じて学校見学くらいは行ってもいいんだが」
後半は、自分でも言いながら驚かされた。
赤瀬先生の話が少なからず胸に留まったことは事実だが、まさか知らないうちにそんな気持が生じていたとは。
……あるいは、理解を得られず活動を続けることの限界を、無意識で感じ始めているとでもいうことだろうか。
忍と和解し、まどかという理解ある(?)後輩もでき、自分の日常は日常のまま、しかし確かに変化してきている。そのためだろうか。
……なんて迷いをさらに一押しするような台詞が、忍から飛び出してきた。
「それなら学校見学、私と一緒に行かない? 私、陽光が丘を受けようかなと思ってるから」
□
秋というのは学校行事が多い季節である。
まるで受験勉強が本格化する前に最後の思い出作りをさせるかのごとく、一つの行事が終わったらすぐ次の行事の準備に取りかかるような多忙な時期だ。
七色中学校も例外ではなく、九月に修学旅行、十月に体育祭、十一月に文化祭と、大きな行事が立て続けに行われることになっていた。
このうち体育祭と文化祭は練習や準備で約一ヶ月を費やすことから、体育祭の練習開始から文化祭の片付け終了までの約二ヶ月間は『学祭シーズン』と呼ばれ、そのうち特に文化祭準備期間は誰もが学祭に専念せざるを得なくなる。
以上のことから、高校見学は九月の間に済ませる生徒がほとんどのようだった。
忍もその一人のようで、彼女の場合は風紀委員長という役職のため、学祭シーズンは一般生徒とは比べ物にならないくらい忙しいので、なおさら九月中に高校見学を済ませる必要があるというわけである。
つまり私は忍のためにも、早いところ答えを出さなければならないのだ。
□
新学期を迎えても相変わらず、黒嶋は部活をサボって保健室のベッドに寝転がり、スマートフォンをいじっていた。今日はそれだけではなく、枕に寄りかからせるようにして大型本を置き、ニヤニヤしながら眺めてもいる。カバーで隠してもいないそれは、国民的マルチアーティストの写真集だ。
私が来訪し、定位置のソファーに座るのを一瞥すらせず、黒嶋はページをめくりながらルーズに挨拶してきた。
「あ、リョナ先輩お久し振りーっす」
「私が言うのもなんだが……さすがに写真集は、少々度が越してはいないか?」
「越してないっすよ。そもそもスマホで見てるのも七割方エロいやつですし」
「はあ……忍が知ったら卒倒しそうだ」
知りたくなかった新事実発覚の瞬間だった。
私はそこに、在学中の過ごし方に関係無く自動的に卒業できる公立中学制度の闇を垣間見た。
「忍って誰ですか?」
「ん? ……ああ、そうかお前は知らないか。私の幼馴染だ。風紀委員長だから見たことはあるだろう」
「あー、あのおかっぱのクールそうな人ですか!?」
「露骨に目を輝かせるな。金木犀のことはもういいのか?」
私の言葉に、黒嶋は一瞬にして死んだ目になった。
「いいですよ、もう……」
教室でも仲睦まじい様子を見せているというまどかと雪人に気付いた瞬間の黒嶋の絶望は想像するに余りある。恋愛事への関心が薄い私ではあるが、失恋の痛みを想像するくらいはできた。
まどかの名前を挙げたことで黒嶋の中の変なスイッチを入れてしまったのか、彼は意気消沈したまま愚痴りだした。
「どうせ俺みたいなヘタレのチキンが金木犀と付き合えるわけなかったんですから……。夏の間少し喋れただけでもありえないことだったんですよ……」
「黒嶋、すまない。あまり否定できない」
「いやそこは『そんなことないぞ』ってフォローするところでしょうよ。なんのためのヒーローですか」
「なんだ余裕じゃないか。ヒーローは弱い人間の味方であって甘い人間の味方ではないぞ」
私は厳しめにそう言った。
黒嶋とて完全に本気で言ったわけではないだろうが、それでも少々目に余ったからだ。
先輩には弱い人間の気持ちがわからない、と、スクール水着事件の際、黒嶋は叫んだ。その思いを否定はしない。彼は部活内での人間関係のもつれに耐えかね、逃げた。その痛みや苦しみを、私は確かに、想像することしかできない。『強さ』は似たようなものだが、『弱さ』の形は人それぞれ違うからだ。
だが、今の黒嶋は自らの弱さをことさらにひけらかしているように見える。
「……そんなこと、わかってますよ」
黒嶋はふてくされたようにそう言うと、写真集を閉じ、枕ごと布団を被ってしまった。
彼の境遇に同情はするが、だからといって必要以上に甘やかすことは誰のためにもならない。時には灸をすえることも必要だ。
被害者は何をしても許されるわけではないし、加害者は何をされても仕方ないわけではない。それが私の持論だ。
そのとき、保健室の扉が開き、書類片手に桃井先生が現れた。
「あ、那由多さん。ここで会うのは久し振りね」
「そうですね。廊下では何度かすれ違いましたが」
実際、新学期に入って初の保健室だった。
忍と和解してからは、保健室に寄らずに彼女と一緒に下校することが増えたからだ。もともと、気分が乗らないときにだけ来ていた場所である。まどかと知り合ってからまどかに彼氏ができるまでのあの期間が状況としては特殊だったのだ。
「あら、黒嶋君、寝てるの?」
「ただのふて寝ですよ」
小声になった桃井先生に対し、私は声量を変えずそう返した。黒嶋が不満を表しているのか布団を少し揺らしたが、好きにさせておく。
「あらあら、あまりケンカしちゃダメよ」
「そんな大層なものではないですよ」
私はチラリと腕時計を見る。
今日は風紀委員長の会議があり、私はそれに出席している忍を待っていた。しかし、保健室に来たのはそれだけが理由ではない。
「それより、桃井先生。先生は今まで、どのように進路を決めてきましたか?」
「進路? そうねぇ……高校は、仲良かった友達と同じところにしたわ」
友達と同じところ。
自分に置き換えて考えると、忍が受けるつもりだという、私立の陽光が丘高校。
……忍と高校でも一緒にいれたら、とは思う。
さらに赤瀬先生に言われ、実際に自分でも調べてみたところ、確かに陽光が丘高校はなかなかに自由な校風のようだった。ネットの情報を鵜呑みにするわけにはいかないが、生徒の自主性を尊重し、独自の取り組みも多く行われているらしい。
しかし、学費は私立相応に高いし、電車の定期代も必要になる。
それに、ヒーロー活動を『個性』として受け入れてくれるかもしれない、言い換えれば『保護』しようとするような学校で何かをしたところで、それは本当にヒーローと呼べるのだろうか。
「……大学は、どう決めたんですか?」
「高校の頃には、この道に進みたいって決めてたから、養護教諭の免許が取れるところ。あと、両親が心配性だったから、実家から通えるところ。その二つの条件から絞っていったわ」
「そうですか……ありがとうございました」
「那由多さんも自分の進路について考えるようになったのね」
桃井先生が嬉しそうに微笑む。
……将来の夢に応じた学校選び、か。
高校受験の時点でそこまで見据える生徒は多くないかもしれないが、もしやりたいことがあるなら、それは決して早すぎるということにはならないだろう。
だが。
私には、明確な未来へのビジョンというものがなかった。
「考えれば考えるほど、わからなくなりそうです」
それは、らしくもなく、弱音に近い言葉だった。
ヒーロー活動をしているだけで生きていけるわけがない。それくらいはわかる。
しかし、それを抜いてしまったら、自分に何が残る?
今まで考えないようにしてきたことと、向き合わなければならない時期がやって来て、私はらしくもなく、葛藤しているのだった。
今回は幕間のエピソードです。
次回から新エピソード開始となります。