第十話 私たちは劇的になれない(その③)
『那由多先輩、明日で夏休みも終わりですし、明日はパーッと遊びましょう!』
八月三十日。
要は夏休みセミファイナルであるその日の昼頃、突然電話をかけてきたまどかは、そう言って私を誘ってきた。
今年の夏ももう終わりか、また何の劇的な場面もなく終わったな、と、中学最後の夏休みを鬱々とした心地でネットサーフィンをしながら過ごしていた矢先の連絡だ。
しかし、私はその誘いを手放しで喜べるほどおめでたい女ではない、なんせほんの数日前に、彼氏と仲睦まじく歩いているまどかを見ているのだから。さらに言えば、夏休みの間、まどかは部活が忙しいと言って自分と距離を取っていた。それは嘘ではないだろうがすべてではない、部活以上に恋愛に忙しかったはずだ。
そのまどかがここに来て思い出したかのようにそんな誘いをしてきたのは、大方デートの予定が組めなかったか中止になったか、あるいは『夏休みは彼氏とばかり遊んでたから、一度くらいは先輩とも遊んでおかないと心証悪いし今後の付き合いに影響するよね』的な心理が働いたからに違いない、疑り深い私はそう踏んでいた。
まあ、OKしたのだが。
……勘違いしてはならない、決して私が孤独に堪えかねて、目の前にちらつかされたふれあいを求めたというわけではない。
可愛い後輩が夏休みの最後の最後という大事なひとときを、自分と共に過ごしたいと願い出てきたのだ、それを無下にするのはあまりにも薄情というか、先輩失格ではないだろうか。そう考えた結果にすぎない。
だから、まどかが遊び場所として提示した市内の遊園地、七色レインボーパークの公式サイトを画面に穴が開きそうなほど閲覧したのも、あくまでもせっかく自分を誘ってくれた愛しの後輩により楽しんでもらうためであり、決して久し振りに校外で誰かと遊ぶということに対してはしゃいでいるわけではないのだ。決して!
□
七色レインボーパーク。
小さい頃は何度か親に連れていってもらったのを覚えている。後は、小学生の頃に遠足でも行った。実は怖がりの忍がジェットコースターに乗った後、パンツをびしょ濡れにしていたのを他のみんな、特に男子たちにバレないように苦心したのを覚えている。ジュース作戦からの噴水作戦は我ながら妙案だった。
……と、一見微笑ましいエピソードのようだが、実はこのとき私たちは十二才。忍は小学六年生にしてお漏らしをしてしまったのである。
「……? 人の顔見てニヤニヤしないでよ」
「ん? ああ、悪い」
……八月三十一日午前、私と忍は七色レインボーパークの敷地内にいた。なぜ、忍がいるのか? それには深……くもないが、まあわけがある。
まどかの電話には続きがあり、まどかは七色レインボーパークの運営会社の株を買っている親戚から株主特典のチケットを譲り受けたらしいのだが、そのチケットが四枚だったのだ。
そこで、私とまどかが一人ずつ友人を誘うことになり、私は迷った末に忍を誘ったという話である。
……登校日の一件がなければ、私が忍を誘うことはまずなかっただろう。迷子を見つけたことでうやむやな別れ際になってしまったということもあるし、私自身、思ったのだ。
私ももう一度、歩み寄る努力をしよう、と。
家族を除けば最も長い付き合いの幼馴染すら愛せないのはヒーローとしてどうなのか、と、あれからずっと考えた末にそう思った、というのもあるが。
……それよりも、忍と話してから。
今まで平気だったはずの孤独が、苦しくなった。
思い知らされたのは、自分で思っていた以上に、自分の中における忍の存在というものは大きかったということ。
かつて自分が離れゆく忍を追わなかった本当の理由は、それによってより傷つくのが怖かったからなのだと。
自分は卑怯なことに、自分の中での忍の価値を下げることで、自分の心を守っていたのだ。
だから、たとえ忍の中にどんな意図が隠れていたのだとしても、恐れることをやめよう。
自分だって、こんなにも浅ましいエゴを抱えていたのだから、と、私は誓ったのだった。
「それにしても遅いわね……トイレ、混んでるのかしら」
私の心情を知るよしもなく、忍は時計台をチラリと見上げて呟く。
私と忍が待っている相手は、言うまでもなく金木犀まどかと。
まどかが呼んだ相手である、まどかの交際相手・銀城雪人である。
□
まさか彼氏を連れてくるとは、というのが、まず最初の感想だった。
私は、忍という幼馴染の存在をまどかに伝え(風紀委員長と言ったらすぐにわかったようだった)、彼女を誘う旨を表明したのだが、まどかは自分が誘う相手を内緒にした。
『大丈夫です、いい子ですから。明日を楽しみにしていてください』
……というのがまどかの言い分だったが、一時間前、集合場所に現れたのは、健康的で爽やかな男子だった。登校日にチラリとだけ見たまどかの彼氏だと、すぐにわかった。
わかったと同時に思った、いやいやいや、と。いやいやいやいやいや、と。
これ、むしろ私たちは邪魔者なんじゃなかろうか。そう思わずにはいられなかった。
しかし、さすがは不特定多数からチヤホヤされることを喜びとしていたまどかが、ともすれば周囲の嫉妬や反感や失望を買うかもしれないリスクを犯してまで付き合うことを決めた男。
男子中学生離れした、なかなかの好青年だった。どこかの引きこもり野郎とは大違いだ。
……それにしても、遅い。
私は不穏な想像をした。
もしや、何らかのトラブルに巻き込まれているのではないだろうか。
遊園地に来てまで他人に因縁を付ける輩はそうはいないだろうが、皆無とは言い切れない。
「忍、あの二人だが、いくらなんでもこんなにも遅いのは不自然だと思わないか?」
「ええ、私もそう思うわ。……那由多、こんなこと言って、飛躍してるとか思わないでほしいんだけど……」
どうやら、忍も同じことを考えていたらしい。二年間もの長きに亘って疎遠だったといっても、十年以上共に笑い共に泣き共に過ごした幼馴染。その間柄から生じるシンパシーは馬鹿にできないということか。
顎に指を添え、真剣味を帯びた表情を浮かべる忍を見ながら、私は少し嬉しく思った。
が。
「その、あの、……金木犀さんと銀城君、は、二人でトイレに行ってるじゃない? それで、二人は付き合ってるんでしょう? それって、つまり、……その……い、いやらしいことを」
耳の先まで真っ赤に染まり、消え入るような声でそんなことをのたまう幼馴染の姿に。
私は、深い深いため息をついた。
「……忍。私はとても悲しいよ」
「そうよね……私たちより年下なのに。若者の性の乱れって、すぐ近くで起きていることだったのね……」
「いや、そういうことじゃない……」
忍の発想に呆れながらも、私はどこか安堵している自分に気付いていた。
忍と普通に(?)会話していることに対しての安堵。思った以上にあっさりと訪れた機会に戸惑いながらも、思った以上に昔通りの会話と空気に、その戸惑いも薄れていく。
……こんなものなのかもしれない。
出会いも別れも再会も、物語のように劇的なものたりえないのが、現実の世界というものなのかも、しれない。
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なお、まどかと雪人が遅かったのは、トイレの帰りに行列に並んでポップコーンを買っていたというだけの話だった。
タチの悪い輩に絡まれたわけでもなければ、もちろん二人で愛を確かめあっていたわけでもない。ごくごく普通の理由である。
二人が買ってきたポップコーンをかじりながら、私は改めて、自らの日常の平和さを痛感した。