第一話 人呼んで、仮面セーラー(その①)
サブタイトルが『○○○○○○○○(その○)』という形式なのはジョジョリスペクトですが、本作には異能力要素やそれを用いたバトル要素などは含まれておりませんのでご注意ください。
この私、緑十字那由多は、正義のヒーローである!
何を隠そう私は女子だが、ヒーローに性別は関係ない。
それに、『正義のヒロイン』では格好が付かないではないか。
私の憧れは、物心付く前からテレビで見てきた、日曜朝の国民的ヒーロー。
画面の向こうのヒーローは、素顔を仮面で覆い隠し、首には赤いマフラー巻いて、バイクに跨がり街を駆ける。必殺技は跳び蹴りで、力の秘密は非道な改造。施したのは悪の組織。そんな悲劇の過去を持つ。
だから私もそれを真似る。
ただ、赤いマフラーは家にないので、毛糸編みの冬物を巻き、バイクの免許はまだ取れないので、学校指定のママチャリに乗る。跳び蹴りはパンツが見えるからやらないし、そもそもそれをぶつける悪の組織が見当たらない。生まれてこの方十五年、平穏な人生を送ってきた。
どうも理想とは違っているけど、仮面だけはお気に入りだ。目元にだけ鋭い切れ目が入った、仮面舞踏会用の白い仮面だけど。どこからどうみても、敬愛するヒーローのモチーフであるバッタの要素は皆無だけど、私は虫が苦手なのでそれでオーケイだ。あと、ドンキで安く売ってたからだ。
今日も私は変身する。
学校のトイレで変身する。
ひとたび仮面とマフラー纏えば、私は七色中学校の平和と正義のため日夜邁進するヒーロー『仮面セーラー』であり、七色中学校三年一組女子出席番号十五番の緑十字那由多ではないのだ。
私の変身を察知するなり迫り来る敵(私を異端扱いするにっくき風紀委員会、伝家の宝刀「親呼ぶぞ」を何かにつけ振りかざす生活指導の青垣、私の内申点にマイナスを付けまくってくれやがっている担任の赤瀬先生エトセトラ)を倒すは易いが、無益な争いは好まないので、ニヒルに笑ってクールに立ち去る。追いつかれて生徒指導室とか職員室とかに連行されないよう心持ち急ぎめに。
それが仮面ラ●ダーナユタ、もとい、仮面セーラーなのだ!
□
「などと意味不明な供述をしており、学校は事態の解明に向け調査を進めています、と」
「意味不明っていうなー!」
バン、とアルミの机を叩き、私は向かいに座る男性教師に対し断固抗議した。
ここは職員室の一角に設けられたプチ面談室とでもいうべきスペースで、四方のうち二方が壁、残る二方に高さ二メートルほどの衝立が置かれ、そのうちひとつは若干斜めにされていて、人ひとりが出入りできるようになっている。広さは四平方メートルほどで、机が一つに椅子が二つあるだけだ。
基本的に問題児の指導に使われるため、教師からは『生徒指導ブース』、生徒からは『強制取調室』などと呼ばれている。
のであるが。
「なぜ私が事情聴取されているのか! 私はただ正義のヒーローとしての活動をしていただけだぞ!」
「そういうのが意味不明な供述っていうんだよ、緑十字。お前もう三年なんだからいい加減中二病は卒業しろ。な。下級生に示し付かないだろ」
左手でボリボリと後頭部を掻きながら、右手に持ったバインダー、正確にはそこに挟まれた書類に目を通す、生活指導教諭・青垣。
投げやりな口調と気だるげな雰囲気で、時には完全下校時間ギリギリまで延々と行われる生徒指導は精神にクる。
当然生徒からは忌み嫌われ、『青ガキ』『陰険野郎』『魔法使い』などと陰口を叩かれていた。
私は情熱を持って日々活動を続けているが、残念ながら周囲の理解を得られているとは言い難いのが現状であり、特に教師は私を腫れ物扱いしていた。その結果私は、職員室前に掲示されている『七色中学校指導回数ランキング』の常連となっている。青垣とこうして不毛な論議をするのも、もう何十回目になるか分からない。
だから、青垣に職員室まで連行されたときも、他の教師たちは「ああ、またか」という顔をしていた。もはや日常の風景扱いだ。
しかし、私にはそれが納得いかない!
「示しが付かないだと!? 私は誰かに危害を加えたわけでもなければ、何かを盗んだり壊したりもしていない! 法に触れる行為は何ひとつしていないぞ!」
「オマエの格好が校則に違反してんだよ緑十字。確かに法には触れてないかもしれないけどな、知ってたか? 学校では校則こそが法なんだよ」
青垣は心底面倒臭げに、バインダーを机の上に放った。反射的に書類を見る。『要注意人物』『思春期特有の』『要観察』『カウンセリング』……。
――不愉快だ!
物事の表面しか見ずにレッテルを貼る、その行為!
熱い情動に衝き動かされた私は、片膝を机に乗せ身を乗り出し、青垣を睨んだ。
「ヒーローとコスチュームは切って離せるものではない、ゆえにたとえ校則違反だろうと、仮面とマフラー無しにヒーローになるわけにはいかないのだ! いや一歩譲ってマフラーは外してもいい、付けてないライダーもいるからな。だが仮面だけは絶対に必要だ! 先生にはこのロマンがわからないのか!」
青垣の特徴の乏しい顔がアップになる。
そこに唾の飛沫を散らすことも厭わず私は力説した。
青垣が、それに対しやれやれとばかりに返答する。
「そりゃ俺もライダー好きだよ。むしろお前らよりよっぽど世代だよ。でもさぁ、現実との区別くらい付けようぜ。第一オマエの格好ライダーに見えねえよ。変質者だよ。シリアルキラーだよ。ファンとしてライダーとは認めれねえわ」
「何だと!」
青垣の無粋さを責めたつもりが、その青垣に『わかってねえわオマエ』みたいな顔をされ、私はさらにヒートアップした。どれくらいヒートアップしたかというと、思わず青垣の髪を掴みそうになったくらいだ。いや、ここが職員室でなければ、相手が教師でなければ、そうしていてもおかしくなかった。
実際、青垣の髪を掴んで引き倒して顔と机をゴン! というシミュレートは現在進行形でしている。しかし決して実行には移さない。ヒーローはむやみやたらに力を振るわないのだ。ただし許しがたい悪(この場合は人様の放課後を潰してくれやがっている青垣)に対しては、暴力以外の方法を用い、怯むことなく立ち向かわなければならない。方法としては対話である。言葉の暴力には言葉の武力で応じるべし! その誤った思想を悔い改めさせるべし!
「確かに既存のライダーとは趣が異なるかもしれんが! 一目でライダーとわかるビジュアルではないか! それでもファンか! 風上にも置けんわ!」
「型破りや革新と、原作レイプはまったくの別物だぞ。オマエのは後者な」
「おい青垣! 仮にも教職である人間が、生徒に対してレイプなどと口にしていいのか! 恥を知れ! ……はっ!? まさかお前、外から見えないのをいいことに私を……!?」
「揚げ足を取ろうとして誤魔化そうとしても無駄だぞ。それと俺はロリコンじゃない」
青垣は私とは対照的に、とことん落ち着いていた。
カッとして言い返してくるか、ムキになって否定してくるかと思っていたが、そうされなかったことでこちらが一人で騒いでいるという構図になり、少し恥ずかしくなって、思わず「フン」と鼻を鳴らす。それがなんだか苦し紛れの負け惜しみのようだったので、すぐに後悔した。
私のそんな繊細な内心を不躾に覗いたのか否か、青垣は言う。
「緑十字、なんでも自分の思い通りになると思ってるといつか痛い目に遭うぞ。オマエは実技科目得意だし、基本五科目もまあまあだから、大人しくしてればそれなりの高校に推薦でいけるんだよ。今ならまだ間に合うからこれ以上内申下げんな。な?」
青垣の突然のたしなめるような台詞に、私はさらに興を削がれ、むくれながら椅子に座り直す。そんな私に青垣は、俺はすべてわかってるんだぞと言っているかのような眼差しを向けてきている。
――何が推薦だ。何が高校だ。何が内申だ。
そういう単語を次から次に出されると、現実をこれみよがしに、見せびらかすようにされているようで気分が悪い。
……みんなそうだ。
ある者は遠慮するような苦笑いで、ある者は知ったような悟り顔で、ある者は小馬鹿にした失笑で。
やんわりと、あるいははっきりと、『夢見てんじゃねえよ』と言っている。
私は自他共に認める正義フェチでヒーローフリークだが、幸か不幸か、根っこまで夢を信じ切っているわけではない。
だから、わかってしまっているのだ。本当は、人に言われるまでもなく。
しかし、それを私は、否定する。
自ら『わかっている』その答えを。
そんな私のジレンマに追い討ちをかけるかのように、実際かけているのだろう、青垣はさらに告げた。
先ほどまでの投げやりな感じからは一変、やるせなさげではあるが、まるで憐れむような、諭すような、そんな雰囲気を醸し出しながら。
「バカばっかやってると、いつか絶対後悔するぞ。バカをやるなとは言わないが、オマエのバカはやらなくてもいいほうのバカだ。本当のバカならしゃあないが、オマエはそうじゃないだろう。バカを演じるのはいい加減、やめにしろ」
「――っ」
……やめろよ。
らしくもなくシリアスぶるなよ。
お前そんなキャラじゃないだろ。
それじゃあ、言い返しにくいじゃないか。
言い返したら、もっと、深く踏み込んだようなことを言われそうで――……。
「――バカバカ、うるさい」
私は、プイ、とそっぽを向いた。
壁に貼られたポスターが目に入る。前にここに連れ込まれたときにはなかったものだ。
『たいせつにしよう 一度きりの青春』
白々しいほどの満面の笑みを浮かべた少年少女たちの、夏の日のワンシーンが描かれている、爽やかで晴れやかなポスター。
私へのあてつけかお前、と、私はますます気分を害した。
□
完全下校時刻が迫っていることを告げる『蛍の光』が流れ始めた頃、私はようやく解放された。
薄暗い廊下には人の影がなく、毎度のことではあるが異空間のように感じる。
消火器や消火栓の赤さが際立って不気味だ。
『完全下校、十分前です……完全下校、十分前です……』
放送委員のアナウンスが、微かなノイズと共に響く。日中の賑わいの中では、まず聞き取ることのできないような微細な雑音すら、この静寂においては拾えてしまう。
そういうとき私は決まって、気付いてはいけないものに気付いてしまったような感覚に見舞われるのだ。
優美な絵画に僅かに透けた下書きや、清潔な空間の見えない場所にある汚れや、綺麗な人形の裏に記されたロット番号。
クラスメイトの些細な動作や、インタビューに答える有名人の瞳の奥。両親が会話の合間に見せる一瞬の負の表情。
そういったものに、私は人より気付きやすい。
知らないことは罪だが、幸運でもあると私は思う。
物事の本質は大抵の場合醜かったり、恐ろしかったり、物悲しかったりして、それに気付いてしまうたびやるせなくなるからだ。気付きながらも見過ごしたならなおさらだ。
だから私はヒーローを名乗る。
目に映るすべての歪みを正したい。
耳に入るすべての嘆きをなくしたい。
しかし、この世界は物語のように単純ではなく、倒すべきわかりやすい『敵』を見つけることができない。善と悪は境界線が曖昧で、それも立場や状況次第で変わり、絶対的たりえないのだ。
『妥協が大事よ。妥協って言葉が嫌なら、折り合いでもいいし、線引きでもいい。割り切りとも言うわね。世の中の不条理さを受け入れることよ』
半ば強制的に受けさせられたカウンセリングで、スクールカウンセラーの女性はそんなことを言った。
そんなこと、ずっと前からわかっている。