#92 少女は知り気付く
「こんな大人数で食べるのは初めてだな」
中庭の日陰、コンクリートの地面の上に腰を下ろした遠野くんはそう言った。その横にはスッと橘さんが座る。
「多くて四人だったしな、それが六人ってなると、たしかに多いか」
「そんなんどーだっていいじゃん、多いほうが楽しいでしょ?」
橘さんの横で、灰原さんが蓬莱くんの手を引き座らせる。
「雨宮は座らないの?」
様子を眺めてばかりでぼおっと立っていた私に、そう言ったのは笹原くんだった。私はぎょっとして「す、座るよ!」と慌てて言った。
若干円形が形勢されつつあるその並び、いま隣が開いているのは……、
はやる鼓動を抑えつつ、私は彼の横に立つ。
「と、なり。座るね……」
「おう、よろしくな」
遠野くんはそう言って迎え入れてくれた。
ああ、恥ずかしい。顔が赤くはなっていないだろうか、もしかしてそれが気付かれてはいないだろうか。そんなことを考え始めてしまい、なお顔が熱くなる。
笹原くんが座ったのをみて、みんながお昼ご飯を取り出し始める。私も取り出そうとしていると、横から声が聞こえてきた。
「はい、これ」
「ありがとう」
弁当箱を片手に顔を上げてみると、橘さんが遠野君から何かを受け取っているようだった。いったい何が起こっているのかが全く分からずに首をかしげていると、蓬莱くんが笑い出した。
「はは、いやまあ、それが正しい反応だよな!」
「まあ、そうなるよね。私たちもそんな感じに思ったし」
蓬莱君くんの言葉に、灰原さんも同意する。
「慣れちゃったせいで最近はあんまり違和感を覚えてなかったけど、やっぱりお前らのソレは普通ではねーよ!」
「え? いや、別に」
蓬莱くんの言葉に、遠野くんは首をかしげる。
そうして、蓬莱くんと灰原さんが勢いよく遠野くんに言葉を投げかけ始めた。
私が全く理解できずに呆然としていると、隣にいた笹原くんが声をかけてくれた。
「あー、うん。ちょっとだけ説明するとね、橘さんのお弁当を葵が作ってきてるんだよ。……僕も昨日それを知ったばっかりで、正直まだびっくりしてるんだけどね」
その言葉に、さっきまでの恥ずかしさとかいろいろなものが丸ごと吹っ飛ぶ。
……え、え? どういうこと?
遠野くんが、橘さんの、お昼ご飯を作ってる?
いやな予想が頭の中を駆け巡る。しばしば噂には聞いていたからもしかしたらとは思っていた。
身体が重い、理性は確認するのを嫌がっている。けれど、頭が、好奇心は、欲望は、知りたいと叫び、その言葉を放つ。
「ふたりは、付き合ってるの?」
言ってしまった。聞いてしまった。……いつかは聞かなければいけないことであるのには違いはないが、
ただ、現状を見るばかりでは、望む回答が返ってくるはずもなく、それはきっと――、
「それが、付き合ってないらしいんだよね」
疑問符が、頭の上を駆け巡る。
なに、なにがどういうことでどれがどうなってるの?
いや、付き合っていないという回答は私が待ち望み、欲して得いたものであるのには町はいないのだけれど、
……え?
「嘘は、たぶんついてないと思うんだよ。葵はそういうやつじゃないし、恥ずかしいから隠すとかするようなタイプでもないし、……妙に納得いくところもあるし」
「そう、なんだ……」
たしかに、利己的な嘘をつくような人ではない気がする。しかし、そうだとすると、目の前で起こったことへの理解が全く追いつかなくなる。
「まあ、なんでも葵のご飯がおいしいらしくて、不登校……ではないけど、橘さんって最初は保健室登校だったじゃん? そんな彼女が気に入ったらしくて、それで作ってきてるんだとかなんとか」
そういえば、そうだった。今となってはクラスのひとりとして私もみんなも思ってるけど、初めのころは来ていなかったっけ。
「葵が言うには、自分の兄弟の分も作ってるから一人分増えたところでさしたる手間ではないらしい」
「そう、なんだ」
「らしいよ。でも、ただの高校生がそこまでやるってのはちょっと違和感あるけどね。本来なら橘さんが教室に来れるようにするのは先生の仕事だと思うし、手間だって、たとえあんまりないって言ってもないわけじゃないんだから」
笹原くんは、ふう、とため息をついて、再び口を開いた。
「葵はね、優しいんだよ。底抜けに」
その言葉に、思い当たる記憶が頭の中をかけめぐる。
「そうだね。遠野くんは優しい。すっごく」
「ちょっとだけ。ときどき、怖いんだけどね」
「えっ?」
ボソッとこぼれた笹原くんの言葉に、思わず聞き返してしまう。
「ああ、悪い意味じゃないよ。葵の優しさが怖いんじゃなくて、葵の優しさの対象に、まるで葵自身が入ってないように感じて」
現在、ふたりに詰められている遠野くんに私たちは目をやりながら、私たちは小さな声で話す。
「自分の扱いが軽いってわけじゃないと思うんだけど。葵の行動原理に、自分が楽しむだとか、自分が嬉しいだとかがあんまりないような気がするんだよね。……僕の気のせい、勘違いならそれでいいんだけど」
気のせい、ではないような気もする。今までは特に何とも思っていなかったが、たしかに言われてみればそんな気もする。
遠野くんが何かをしたいと言っている様子を基本的に見たことがない。もちろん自分の知っている範囲でしかないのはそうなんだけど、遠野くんは基本的に全て受け身だった。
遊園地の時もそうだった。あのときだって、言ってしまえば私が誘って、私がやりたいことを言って、最後、私がわがままを言って。高揚感で満たされていたからか、当日は気付かなかったけれど今振り返ってみればあの日、たった一度だって、遠野くんはやりたいことを言っていなかったような気がする。
「もっと、自分のために何かしてあげてもいいと思うんだけどな……なんて。ごめんね、いきなりしんみりとした話ししちゃったね。せっかく一緒にお昼ご飯食べるってのに」
「ううん、大丈夫。むしろありがとう」
「……しんみりとした空気が好きなの?」
返されたその言葉に、私は思わず笑ってしまう。「も、なんで笑うのさー」と言いながら、しかし、彼もまたつられて笑う。
「というか、お昼ご飯じゃん、お昼ご飯の時間じゃん! 早く食べないと時間なくなちゃう! おーい、隆俊、紀香! 葵への追及はその辺にしないと食べられなくなるぞー?」
笹原くんがそう声をかける。どうやら、今の今までずっと二人で問い詰めていたようだった。
私も、自分の持ってきた弁当箱を開く。
「いただきます」
今日知ったこと、気付いたこと。
彼のことを、今まで通りの目で見ていたら、もしかしたらいつまでたっても気付かなかったかも知れない、彼の優しさとその性質。
忘れないように、胸にしっかりと刻んで。
* * *
放課後、数研の部室。
「変な話もあるもんだねえ」
「変な話、で済ませていいのかそれ」
俺はそう言いながら、ものすごく訝しんだ目でソレを見た。
後ろのほうでは紫崎先輩と黄乃ちゃんがバツの悪そうな顔をしている。
「本当に申し訳ない」
「ごめんなさい」
「そんな。紫崎先輩に黄乃ちゃん。別に謝らなくたっていいよー。私が勝手についていっただけだし、全然痛くないし」
「痛くないのは、それはそれで問題だとは思うが」
牧坂の腕には白い包帯、もとい、固定用のギプスが装着されていた。
数日前、黄乃ちゃんの家へ行ったときに黄乃ちゃんの父親から食らった鉄パイプ、あのとき誰もが――牧坂以外の全員が大丈夫じゃないと思っていたが、案の定大丈夫ではなかった。
しかし当人の牧坂はというと、ここ数日骨折しているのにもかかわらず全くの痛みを訴えず、なにか腕が使いにくいからという理由で病院にかかったところ、骨折が判明した、というくらいに、なぜか大丈夫だと思っていたのである。
「ホント、大丈夫なんで気にしないでください!」
牧坂はそう言った。
しかし、気にしないほうが無理だろ。部室にいた全員がそう思った。




