#89 少女はゲーマー少年の過去を知る
注意 この話では気分を害しかねない表現を含みます
コン、コン、少しためらいながら、私はドアをノックする。
しばらく待ってみたが、返事はない。呼吸の音にも気をつけてみたが、中から少し電子音がするだけで他は全く聞こえない。
…………って、そうじゃないっ!
『ノックするときは、三回、ね。そうすれば、たぶん私と勘違いするから』
お姉さんからそう言われたのだった。つい数分前のことだったのに、なんで忘れてるんだよ、私。
コン、コン、コン、三回ノックをした。
ゴクリ、と。私はツバを飲み込み、返事を待った。
「…………開いてる」
ぶっきらぼうな声が、懐かしい声が聞こえた。さっきまでは息を殺していたが、意図せず大きく息を吸ってしまう。
とてつもなくはやる気持ちはあったが、ここでミスしてはいけない。さっきすでにノックでミスしてるけど、これ以上するわけにはいかない。ドアノブを握り、ゆっくりとひねる。
『ドアを開けるときは、ゆっくりね』
私は慎重にドアを開いた。だんだんと見えてくる隆俊の部屋。ここに来るのは夏ぶりだろうか。
けれど、中の様子はというとあのときとは雰囲気がガラッと違っていて、薄暗く、ただディフプレイだけは煌々と輝いていて。
「姉ちゃん。昼飯にはまだ早い時間だと思うんだが、何か用事か?」
隆俊がそう言った。カチャカチャと手元のコントローラーを操作しながら、顔は画面に向かったまま。
「……姉ちゃんだよな? さっき一回ノック間違えてたけど。……なあ、姉ちゃん……だよな?」
隆俊の言葉に焦りが見え始めた。
「姉ちゃ――」
「私だよ。隆俊」
「っ!?」
クワッと、とてつもない勢いで隆俊がこちらを向いた。その勢いには、一瞬のけぞってしまう。
「紀香……なんで……」
「会いに来た」
私がそうすっぱりと答えると、隆俊はというと、頭をブンブンと横に振り、小さく「そうじゃない、そうじゃないっ」と行っていた。
「お前、今学校がある時間だろ? それに、姉ちゃんはどうした」
「学校は休んだ。それからお姉さんには、頼まれてここに来た」
「姉ちゃん……」
隆俊は目をつむり、大きくため息をついていた。
「隆俊、聞きたいことがあるの」
「……俺から聞き出すまで、意地でも帰らないつもりだろ?」
「もちろん」
「わかった。いいよ、答えてやる」
隆俊は改めて体ごとこちらを向き、私をその正面に座るように促した。
「質問の内容次第では、気分の悪くなるような話もあるが、それでもいいのか?」
「うん」
私は言われたとおりに座った。隆俊が真剣にこちらを見てくる。私もそれに応えるつもりで隆俊の顔を見つめる。
「はは、前まで毎日あっていたからか、最後にあったのが何年も前に感じるな」
「そうだね……」
「それで、聞きたいことって?」
「まず、なんで学校に来なくなったのかなって。私、なにかした?」
「いや、お前は悪くない。悪いのは俺なんだ」
「なんで隆俊が悪いの?」
「……そうだな。俺がいわゆるゲーム依存症なのは知ってるよな?」
隆俊の質問。私はコクリと頷く。
「もし、そのゲーム依存症ってのが」
「お姉さんによるものだったとしたら……?」
隆俊の目がカッと開かれる。
「……お前、なんでそれを?」
「さっきお姉さんに、そう言われたから」
「……そうか。それじゃあ、それについて詳しくは知ってるのか?」
私は首を横に振る。「それについては、隆俊に直接聞いてって」と、そう伝えると、少し安堵した表情になった。
「なあ、紀香。一度だけ聞いておく。引き返すならここだ。ここから先は本当に気分が悪くなるような話にな――」
「話して」
「……いいのか?」
「いいの。隆俊のことを知らないでいるほうが、今は怖い」
「そうか」
隆俊は、少しの間天井をじっと見ていた。何をしているのだろうとしばらく様子を見ていたら、隆俊は改めてこっちを見た。
「なあ、覚えてるか? 俺がしばらく学校に来なくなったときのこと」
実は、あのとき来なかったのには理由があったんだ。
というのも、あのときは到底学校に行けるような精神状態じゃなかった。
行かなくなる前日。事件が起きた。
普通に公園で遊んでいたら、なんか変なおっさんが来てな。俺のことをずっと見てたんだよ。
変だなあって思いながら、でもそのときの俺はそうとしか思わず、そのまま遊んでたんだ。
そして、夕方になって、帰ろうって思ったら、まだそのおっさんはいて、
でも、関係ないやって。俺は帰ろうとした。そのときだったんだよ。
おっさんが、俺の後ろに回ってきた。正直気持ち悪かった。
早足で歩いていたら、ついてきやがる。どう考えてもおかしい。
逃げよう。そう思って走り出したとき。
おっさんが、俺の腕を掴みやがった。怖かった。怖かったんだけど、いや、怖かったからか。声が全く出なかった。
なんとか必死で逃げようとしたけど、子供の力に大人の力。かなうわけもなく、俺は捕まった。
いったいなにをされるのか。誘拐? それとも殺される? 怖くて怖くて仕方なかった。
そして、ひと目のつかないところに連れて行かれて。
細かいことは省く。簡潔に言うと、おっさんに襲われた。もちろん、性的な意味で。
笑えるよな。そのおっさん、ショタコンだったんだよ。
俺だって、ガキなりにちょっとは性的な知識はあったけど、まさかそんなことされるとは思ってなかったしな、
んでまあ、満足したのかおっさんはそのままどこかへ行って、俺はもう誰もいないところから、逃げるように帰宅した。そのまま、家に閉じこもった。
もう、家族とも顔を合わせたくなかった、怖かった。ひたすら怖かった。他人という存在が。
そんなとき、助けてくれたのが、姉ちゃんだった。
姉ちゃんは俺の部屋に強引に入ると、俺から無理やり訳を問いただした。
信じてもらえるとは思ってなかった。姉ちゃんはそのまま出ていって。ああ、やっぱりだめか、と思っていた。
しばらくすると、姉ちゃんはまた強引に部屋に入ってきた。今度は、パソコンを持って。
そして、パソコンを起動させて、俺に何を見せたと思う? エロゲだよ。
姉ちゃんなりに考えてくれたんだろう。俺にエロゲをプレイさせながら、「襲われるのは女の方」「男が襲うのは女」と、暗示のように何度も繰り返した。もちろん、それはゲームの中の世界の話だし、現実世界じゃありえないことだったけど、それでも、当時の俺を何とかするには事足りたみたいだった。俺は、エロゲをプレイし続けた。
そのうち、ゲームの中の世界なら、と。普通のテレビゲームでも大丈夫になってきて、そして、やっと登校できるようにまでなった。
その変わり、精神安定剤……みたいな立ち位置にゲームが来ちまったが。
それが、俺のゲーム依存症の原因だ。……って、自分で言ったらなにいってんだコイツみたいに思えてくるな。
でも、バカらしいかもしれないけど、それが真実なんだよ。
フッと、隆俊が乾いた笑いを漏らす。でも、彼の目は笑っていなかった。
「ちょっと前までは安定していたんだがな、ちょっとずつまた、おっさんの夢を見るようになって、で、ゲームを忘れた日、ハッキリと、見ちまって。そこから、悪夢の毎日」
どうだ? 笑えるだろう? 隆俊はそう言った。
「…………ごめんなさい」
「なんで、お前が謝るんだよ」
「だって、だって……、今まで隆俊がゲームばっかりしてるのに、そんな理由があったとか知らなくて」
「俺が言ってなかったから、それは仕方ないだろ」
「それなのに、ゲームばっかりしてる隆俊のことバカにして」
「大丈夫だ。俺だってそんな生活してるようなやつのこと見たらバカにしたくなる」
「……ごめんない、ごめんない」
「…………あー、もう。わかったよ」
いつの間にか、グジャグジャになった視界。隆俊の姿も見えないでいると、突然。
暖かな感覚に、包まれた。




