#8 ゲーマー少年と忘却少女は困惑する
「じゃ、俺はここで」
隆俊はそう言ってこちらを向いた。いつの間にか画面は別のゲームに変わっていて、音ゲーが始まっていた。
俺、あんまりゲームについては詳しくないけど、画面も見ず、音も聞かずに音ゲーって出来るものなのか? それに、雨が降っているせいで脇に傘を挟んだままで。
「というか、2人って家の方向一緒なんだな」
「いや、違うぞ? むしろ逆」
彼の問にそう答えると、隆俊は急に目を見開いて、訳がわからなさそうな顔をしている。
「は……は? じゃあ、なんで一緒に帰ろうとしてるの?」
「駅まで送り届けるだけ」
そう言うと、納得したのか、表情を元に戻した。
「家の方向は違うけど、駅までは一緒とかそんな感じか?」
いや、いったいなに言ってるんだ? 隆俊は。
さっき言っただろ? 逆って。
「全然違うぞ? そもそも俺は駅使わないし、駅の方向自体逆だし」
そう答えると、彼は顔芸でもしてるのかと思うような顔をした。面白くはない。
***
「全然違うぞ? そもそも俺は駅使わないし、駅の方向自体逆だし」
さあて、遂に耳がおかしくなったのだろうか。目の前のこいつは一体なにを言っているのだろうか。
仮に俺の耳が正常だとしたら、駅の方向が違うというのに駅まで送り届けると……うん、きっとそんなことないだろう。だって、それだとこいつらリア充みたいじゃないか。でも、
「リア充?」
「いいや。違うぞ」
こう返ってくる。やっぱり耳がおかしくなったのだろうか。
もう、こいつらいったいなんなんだよ。
うおっと……危ない危ない。操作間違えるところだった。
さすがに音ゲーを音無し画面見ずでプレイするのはキツいな……こいつらの話に気を取られてフルコンボし損ねるところだった。
それにしても、ゲーム依存症……か。
さっき葵に言われたその言葉を思って少し複雑な気持ちになる。
自覚はあったけれど、改めてそう言われるとなかなか刺さるものがあるんだなあと思う。
「ねえ、別に私。1人で帰れるよ?」
ふとそんな声が聞こえた。明らかに葵の声よりも高い声。橘さんの声。
「別に、逆なんだし送ってくれなくてもいいよ?」
橘さんはそう断っている。しかし、
「いや、送る。危なっかしいし。うん」
なんだろう、こいつら。もう、
「勝手にやってろ……じゃあな」
俺は退散することにする。
後ろからはバイバイという声が聞こえてきたので、リザルト画面を放置して、俺は片手をブラブラと振って返した。
にしても、傘を脇で挟んだままだとプレイしにくいな。ったく、雨め。
***
最近思う。とても思う。非常に思う。
私って、遠野くんに子供扱いされているのではないだろうか。
朝、登校してきたら昇降口にて待たれ、昼ご飯は用意して貰い、挙げ句の果てに帰りは駅まで送られる。
あ、これ。子供扱いだ。
まあ、こんなことを思えるようになったのは、きっと記憶が少しなりとも消えずに残っているからなんだろうけど。
「遠野くん、もしかして私のことを子供扱いしてない?」
思い切って聞いてみる。すると隣で歩いていた彼は「ん?」といいながらこちらを向いた。
「別に? 子供扱いなんてしてないけど」
彼はなんの躊躇いもなくサラッとそう言う。
嘘だぁ。
いやいやいやいや、嘘でしょ?
「ほんとに?」
「うん。急にどうしたの?」
いやいやいやいやいやいやいやいや。えっ、えっ! じゃあ、昇降口とか弁当とか駅まで送るのとか、これら全部当たり前だと? え、そういうことなの?
やっぱり、遠野くんって変わってる?
「いや、なんでもない。ちょっと気になっただけ」
少し笑ってそう言うと、「そっか」と言うと彼は前を向いて再び歩き出した。
うーん、やっぱり変わっているようには少し見えない。
それか、遠野くんって変わってるというか、なんというか、どちらかというと無意識のうちにいろいろやっちゃってるのかな? 他人より気が回る人?
そういえば、他人の人の仕事もいつの間にかしているって灰原さんや蓬莱くんも言っていたような。
遠野くんって、世話焼きなだけ?
うん。そういうことにしておこう。じゃないと、私がただ単に子供扱いを知らず知らずのうちにされていることになる。いや、世話焼きなだけでもそうなるのだろうか?
もう、どうでもいいや。
「じゃ、また明日」
改札の中に入って、外にいる彼に私はそう言った。
「おう。また明日な」
そう応えてくれた遠野くんは、クルッと反対を向いて手を振りながら離れていった。屋根がなくなるところになると、傘を手にして開いていた。
私はそこまで見て、ホームへ向かうことにした。電車はまだ来ていないようだった。
「ただいま」
私は玄関の戸を開いてそう言った。中からは「おかえりー!」という、謎にテンションの高いお母さんの声が聞こえてくる。
「今日も楽しかった?」
「またそれ?」
毎度号令の、もはやお母さんの日課である。
お母さんは私が学校から帰ってくると、真っ先にそう聞いてくる。たまに忘れているけれど。
「うん。楽しかったよ」
そう告げると、お母さんはとても嬉しそうな表情を浮かべる。もし、嘘で楽しかったと告げても、お母さんは喜ぶのだろうか?
遠野くんと出会う前。少し昔の私がどう告げていたのか気になりはしたが、お母さんの詮索か始まりそうだからやめておく。
「今日も、お弁当おいしかった?」
「うん」
私がそう答えると、やはり嬉しそうな顔をする。しかし、この反応はどうなのだろうか。母として、自らの作った弁当以外をおいしいと言われることになにか思ったりしないのだろうか。
そんなことを考えながら、私はリビングへと向かった。夕食の時間にはまだ早い。支度はまだなにも行われていなさそうだった。
「今日の晩ご飯はなに? あと、手伝う」
そう言うと、お母さんは嬉々として答えてきた。
「えっとね、今日の晩ご飯は――」
お母さんが嬉しがるようなこと、なにか言ったかな? 私。
風呂から上がり、寝間着に着替えると私はベッドの上にボフッと体を預ける。柔らかい。
「今日も何回か思ったけど、本当に覚えられることが多くなってきたな……」
遠野くんと出会って、まず始めに遠野くんのことを覚えて。それから朝の約束のことを覚えて、お昼ご飯のことを覚えて。灰原さんや蓬莱くんなんかのことも覚えたり。
そういえば、最近では夕方の駅まで着いてきてくれるということも覚えている。それから、クラスの中でも、あまり関わらない人でも印象強い人なら何人かは覚えられている。たとえば黒崎くんとか。
それから、いつだったかは忘れちゃったけど、あの女の子の存在も。いったい、あの子はなんなのだろうか。
そんなことをいろいろ思い出しながら、私はだんだんと楽しくなってきた。そして、楽しくなってきた反面、もちろん。
「怖い……」
怖れ。その感情も対照的に増えていく。もしも忘れてしまったら。この楽しい今がなくなってしまったら。
そう思うと、やはり怖さはある。けれども、
「明日も覚えていられますように」
だって、眠いもん。仕方ないじゃん。
私は覚えていられるように願うことしかできない。
なんとも滑稽で、醜い、私の私による記憶障害への小さな抵抗。
そういえば、今日の朝先生が何か言っていたような気がするけど、明日からなにかあるって……ダメだ。聞き流しちゃって覚えてない。
まあ、なんとかなる……よね?
あまりにも眠かった私は、そんな安直な考えに任せて布団を被った。
最後に生まれた疑問を、記憶の彼方へと残して。
朝、目が覚める。
いつもの通り、記憶の整理。メモ帳や書き置きなどを使って、忘れた記憶がないか、記憶の混濁がないかを確かめる。
大丈夫。ある程度は覚えている。
昨日の寝る直前、なにか疑問があった気がするんだけど思い出せない。
いや、待てよ? そんな疑問があったという些細な出来事を覚えていられているということは、これは進歩なんじゃないだろうか?
そう考えると少し嬉しくなってきた。
わたしは気分よく自室のドアを開け、廊下を歩き出す。
そしてお母さんを見つけて、第一声。とても機嫌のいい声で私は言った。
「おはよう!」
お母さんは少し不思議そうな顔をしていたけれど、すぐに笑顔になって応えてくれた。