#87 シスコン少年は決意する
隆俊は学校に来なかった。12月になっても来なかった。
私はとても暇で、退屈で、
……ついに、耐えきれなくなった。
***
最近、お姉ちゃんが勉強で忙しい。
まあ、もうすぐ大学受験なんだし、仕方ないって言えば仕方ないことなんだけど。
俺が受験だったときは、お姉ちゃんは割と「氷空! 氷空!」って絡んできてたけど、でも、高校受験と大学受験じゃ話は別か。
「まともに話す機会も少なくなってるよなあ……」
こうやって、家に一人でいると尚更そう感じてしまう。帰宅こそ一緒にできているけど、帰宅したらすぐにお姉ちゃんは塾に向かってしまう。
……本当なら、学校から直接行ったほうが時間も短くて済むのに、お姉ちゃんはわざわざ一度帰ってくれている。
「もしかして、俺って邪魔なのかな……」
ふと、そんなことを呟いてしまった。ああ、ダメだダメだ、変なことばっか考えちゃう。
でも、普通に考えたら、大変だよな、お姉ちゃん。それこそ、本当に俺に構ってる暇なんてないはず……。
「ぐうっ……」
リビングのソファに頭をうずめる。上からクッションで頭を隠す。
お姉ちゃんと、離れたくない。でも、お姉ちゃんの邪魔にもなりたくない。
矛盾した感情に、俺はどんどん悩まされる。
……でも、でもさ。
「……そう、だよな」
よく考えてみれば、そうじゃん。
お姉ちゃんは、今頑張らないと受験に響く。
俺は、今一緒にいなくても、お姉ちゃんの受験が終われば一緒にいられる。
……と、するならば。
「俺は、お姉ちゃんと一緒にいて、迷惑を掛けるべきではないんじゃないか? 少なくとも、今は」
浮かんだ答えに、俺の頭は強く打ち付けられた。
きっと、それがいいのだろう。それがいいということは俺だってわかる。
でも、いざそれをやるとなってみると、俺はなんて弱いんだろうか。
お姉ちゃんと、一緒に過ごせない。その言葉が、その事実が、俺の決意揺らがせようとする。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ」
口を突くように繰り返す「嫌だ」も、果たしてお姉ちゃんと離れるのが嫌なのか、それとも決意が揺らぐのが嫌なのか、お姉ちゃんの邪魔をするのが嫌なのか、ハッキリとしない。
今決めただろうが、お姉ちゃんの邪魔はしたくないって。だから、それなら、そうであるなら……、
ちゃんと覚悟を決めろよ……俺……。
「これでよし」
翌朝、俺は行動に移すことにした。
嫌だけど、辛いけど、でも、今さえ我慢してしまえば、それはお姉ちゃんのためになる。
朝、早起きして、お姉ちゃんが俺と一緒に登校しようとする前に登校する。リビングには、お姉ちゃん宛の手紙を書いて。
それから、その手紙には帰るときのことも書いておいた。俺は一人で帰るからって。
やっぱり嫌なんだけど……でも、これでいいんだ。……これで。
「行こ、早く……」
決意が、揺らぐ前に。やっぱりやめたって、やれないように。
「じゃ……、行ってきます」
誰も、答えてくれなかった。
学校の昇降口に、人影があった。
だんだん近づくにつれてその人影はハッキリしてきて、
「うお、おはよう」
「おはよう。今日は早いんだな、氷空」
「まあね……ってか、葵はこんな時間からいるんだね。俺、結構早い時間に来たと思ってたんだけど」
「ああ、橘が来る時間ってわりとまちまちだったりするから、この時間から来ておいたほうが確実に先に来れるんだよ」
「へえ、そうなんだ。それじゃ、俺も橘さんが来るの、一緒に待っていようかな」
「……? 俺は別に退屈しているわけじゃないぞ?」
「いいのいいの、俺が好きでやるだけだから。葵だって好きで橘さんのこと待ってるんでしょ?」
「ああ」
壁に背を預けていた葵の隣に立って、俺もおんなじような体勢を取る。
「こうやって、二人で話すのっていつぶりだっけ?」
「……いや、そんなことあったか?」
「そうかもしれないね。だって葵の周りには、いつも橘さんがいたし」
「それもそうだな」
もはや、葵のいるところには橘さんがいて、橘さんのいるところには葵がいるんじゃないかってくらいに、いつも一緒にいるイメージだ。
以前、クラスメートの誰かが橘さんを探していたときに、葵に聞いたら居場所を把握していたということがあった、という話を聞いたこともある。
「ねえ、葵」
「なんだ?」
「葵って、橘さんのことが好きなの?」
「……わからんな」
「むう、なんだよーその答え」
「わからないものはわからないんだよ。好きとかそういうの、特にな」
「むー」
なんか、すごいはぐらかされた気がする。よくわからないけど、負けたような感じで終わりたくない。
でも、葵相手に言葉で勝つのは難しい気もするんだよなあ。
だから、俺はただ頬を膨らますばかりだった。
「そういえば、今日はお前、お姉さんと一緒に登校しなかったのな」
「え? ああ、うん」
まさか、気づかれるとは。
「何かあったの?」
「まあ、ほら、お姉ちゃん受験じゃん? ちょっと距離おいたほうがいいかなーなんて」
「そうか。そういえばお姉さんって三年生だったか」
「そうそう。だからね――」
「だからか、なんか氷空が今日はちょっと元気ないの」
…………。
「そ、そう? 俺、元気ない?」
「俺はそんな気がしたが」
「そっか、そっか……あはは」
なんとか取り繕えていた気にはなってたんだけど、やっぱり葵には敵わないなあ。
そっか、元気なさそうだったのか。俺。自分で自分の状況って、やっぱりわからないものなんだな。
「おはよー! 遠野くーん!」
「お、来たな。おはよう、橘」
「あれ? 今日はえーっと、さ……しすせそ……いや、さ、笹野く……。違う違う、氷空くんもいるんだね」
「うん、氷空だよ。正解! で、そうなんだ。さっきまでふたりで話してたんだよ」
「とりあえず橘は下靴をスリッパに履き替えてきな。そこは土足厳禁だ」
「ふわああっ! ごめんなさい!」
橘さんは顔を真っ赤にして下駄箱にかけていった。
「そういえば、みんなが気にしてることだとは思うんだけどさ、葵と橘さんってどういう関係なの? 改めて聞くけど」
「どういう関係って、友達以外にあるのか?」
「うーん、ほら、恋人ーとかありそうじゃん? 少なくともありえそうなほど葵と橘さんは一緒にいるからね?」
「あのな、氷空。さっきも言ったが、俺は好きがよくわかってないんだよ。そんな人間が恋だの何だのやってるとおもうか?」
「うーん、そっかー」
「そうだ」
そんな会話をしていると、タッタッタッとスリッパを履いた橘さんが駆け寄ってきた。
「よし、それじゃあ教室に行くか」
「うん! 今日こそは蓬莱くん来るかな?」
そういえば、隆俊はずっと休んでるだよね。この二人もその理由は知らないって言ってたし。それどころか、灰原さんも知らないって言ってたよね。どうしたんだろう。
「まあ、来てくれたらいいよな。灰原もずっとあの調子だとアレだし」
「そうだね。また四人でご飯食べたいし」
「ねえねえ、もし隆俊が来たらさ、俺も一緒にご飯食べていい?」
「氷空が? 俺は構わんが。むしろ今日も食うか?」
「私もいいよ!」
「やったあ!」
そんな調子でクラスに向かう。
なんでもない会話をしているとホームルームが始まった。
隆俊は来なかった。
灰原さんまでもが、来なかった。




