#80 少年たちは夕飯を食べる
ガチャリ、鍵を開けて。ドアノブに手をかけ、握る。
「どうしたんです?」
「いや……な。すこし色んな気持ちが押し寄せちまってよ」
アパートのドアの前で、鍵が空いているのにもかかわらず入ろうとしない、傍から見ればただの変なやつだろう。
だが、今の俺にとって、今この扉を黄乃と一緒にくぐれるということが、想像以上に嬉しいものであり、誇らしさに近い感覚も覚え、とにかく不思議な気分だった。
「開けるぞ、準備はいいな?」
「…………? 私はいつでもオーケーですよ」
「それじゃあ――」
ノブをひねり、ドアが開かれる。
「ただいま……ただいまだな」
「おかえりなさい。そして、ただいま。本当に、ただいま。龍弥」
「ああ、ああ。おかえり、黄乃」
***
「しっかし、ほんとに大丈夫か?」
「んー、私? 大丈夫よ。全然痛くないし」
俺は疑いの目を向ける。目の前の少女はつい数十分前に鉄パイプによる攻撃を受けたのだ。
腕で頭をかばうようにして受けたので、腕はもちろん、多少頭の方にも衝撃が伝わっている。どちらにせよ、どう考えても大丈夫なわけがない。
「はい、持ってきたわよ」
「明日龍弥に請求したら支払ってくれるらしいから、存分に食えよー」
お盆に山盛りのハンバーガーやらポテトやらナゲットやら、先輩たちが席に戻って来た。
「そんじゃ、食べるとしますか」
テーブル席を四人で囲み、音頭をとったのは鈍川先輩。
俺もみんなに続いて手を合わせる。
「もふまふ、ほふぃしひ」
「飲み込んでから言えっつーの、汚えだろう」
「むう。……んごくっ」
紅花はムスッとしながらもその口の中身を飲み込んだ。ちなみに言いたかったことは、ただ単純に「おいしい」だった。
「部長さんたちは一緒に食べなかったんだね」
「まあ、紫崎くんはこういう店あんまり得意じゃないし、それに今日は黄乃ちゃんとゆっくり過ごしたかったんじゃないかしら? ねえ、鈍川くん」
「そうだな。それにしても、あの二人はいつになったら付き合うんだ?」
ピシャリ。空気が凍る。
「付き……合う?」
女性陣のうち、片方がそう呟いた。
「いや、だってあの二人って相思相愛だろ?」
「……まあ、確かにそうかもしれないけど。少なくとも、私の目にもそう映ってる。二人は?」
「え、私? 私は、私も、そう思いますけど」
「まあ、俺もそうは思いますが、年齢差があるといえばありますしねえ。まだ時間がかかりそうではありますよ。っていうか、むしろまだ黄乃ちゃんだって七つでしょう?」
「それもそうかー」
鈍川先輩はそう言ってハンバーガーにかぶりつく。
「ちーなーみーにー、そんな鈍川先輩は好きな人とかいないんですかー?」
「は? 俺? 俺は特にいないけど」
「またまたー、そんなこと言ってホントはいるんでしょー?」
「いないっつーの。てか、何を根拠にそんなことを」
「む」
根拠、特になく言ったんだよなあ。
「じゃ、じゃあ白石先輩は?」
「いないわよ、私も」
「実際は?」
「だからいないわよ」
むむむ、これは、
「それなら、紅花、お前は…………いないな」
「ちょっとー! なんで私は聞く前から確定してるのよ!」
「なんだ? いるのか?」
「いないにきまってるじゃない!」
いないんじゃん。やっぱり。
「もー、誰も色話ないんですかー。ちょうどいい話の種ななるかなーっとか思ったのに」
「そんなお前はどうなんだよ、黒崎」
「っ! え、俺です?」
ふむ、そうか。この流れだと俺になるのか。
「まー、俺もねえっすよ。興味もないですし」
「……ほんとか?」
「やだなあ、本当っすよ」
向けられる視線が痛い。あれ、鈍川先輩ってこんなに睨みが強い人だっけ?
「ちょっと信用ならないな。結局お前の頭が悪いってのも嘘だったわけだし」
「う、ま、まあホントのホントにいないんで」
俺が結構熱弁すると、まあ一応納得してくれた。
そして一気に空気が重くなる。まずいことをしてしまったなあ。
ハンバーガーを手に取り、かぶりついた。
「…………!」
手が止まる。やっぱり、離れない。
(くっそ、なんでなんだ)
なんで、さっきから碧原が頭にこびりついてんだ。なんで離れないんだ。
***
「何が食いたい?」
「何でも構いませんよ」
そう答えると、苦笑された。
「もっと具体的にならないか?」
「では、とびきりにおいしいものを」
さらに苦笑される。まあ、たしかに意地汚い返し方だったとは思うが。
追加で「より具体的では、ありますよ?」と付け加える。
「ったくしゃーねーな」
龍弥が冷蔵庫の中身を確認する。
コレと、ソレと、アレと。
あとたしか引き出しの中にホールコーンもあったはず。それから外においてあるダンボールの中に、ジャガイモと玉ねぎと。
そんな声が聞こえてきた。
「適当にイロイロ突っ込みまくった、とびきりうまいカレーでも作ってやるか」
カレー、カレー。カレー!
茶色の中に、緑色やら黄色やら橙色。随分とカラフルだった。
龍弥は白飯と一緒にスプーンですくい上げる。ふー、ふー、と、息を吹きかけて立ち上る蒸気を吹き飛ばす。
「ふーっ、ふーっ!」
私も龍弥と同じように一生懸命に冷ます。
口に運ぶと、辛味が非常にご飯と合う。適当に突っ込みまくった具材のおかげでゴロゴロとしている。
……と、最初思った。
「ほぐっ、はふっ……、はむむぐ、か、かりゃっ!」
思わず水へと手を伸ばしてしまう。舌が、喉が、痛い。辛い。
そんな、そんな。カレーが辛いだなんて。さては龍弥、辛口とか大辛とかいれたな?
「んごっ、ふう、はあ」
「どうした? 辛かったか?」
ニヤニヤとこちらを見ていた。やっぱりだ。私が辛く思うだろうと、そうなったら面白いだろうと、辛いやつ入れやがった。
「も、もう。こういうふざけはやめてくださいよ。ま、あ。ちょっとばか――」
「やっぱり、まだ中辛は早かったか」
ん?
「生卵、いるか?」
「あの、今なんて?」
「え? 生卵いるか? って」
「いや、その前です。その前になんと」
……もし、私の耳が腐ってなければ、聞こえたのは辛さは中か――
「まだ中辛は早かったか、と」
こ、れが。これが、中辛? まさか、中辛ってこんなに辛いの?
プルプルとわななく。思い溢れて。
「…………ないです」
「ん? なんて言った?」
「早くなんてないです! 私はちゅ、中辛くらい食べられます!」
「お、う。そ、そうか」
私はそう言ってやり、スプーンですくって口に運ぶ。
熱くて辛くてめっちゃ痛かった。
ぐ、ぬぬ。
「ま、まあ、卵を貰ってやらないでもないですけど」
そう言うと、笑われた。




