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#79 少年は紅茶を飲む

「とりあえずお茶でも淹れるわね。紅茶で大丈夫かしら?」


「え、あ、はい。大丈夫です」


 応接間に通され、なんかすごいフカフカのソファに座っていた。

 反射的にそう答えてしまったが、横にいた黒崎や白石たちの顔を見た。みんな頷いてくれていた。

 牧坂だけ、砂糖があれば……と言っていた。


 バタン、扉が閉められる。シンとした空気があたりを包む。


 黄乃はすっかり泣き止んでいたが、俺の腕にくっついて離れようとしたない。


「……ありがと。こんなに早く見つけてくれて」


「礼ならあいつらに言ってやってくれ。特に暗号を解くヒントをくれたのは牧坂なんだ」


 そう言うと、ニヘヘという笑い声が聞こえてきた。


「黄乃ちゃん、後で抱っこさせてね、それからギューって」


「…………ちょっとだけですからね」


 顔をボウっと赤らめてそう言う黄乃。普段とずいぶんと態度は違うが、そんな黄乃に俺たちは思わずニヤけてしまう。


「なんですか、龍弥。私に抱きつかれながら気持ち悪い顔をして。もしかして興奮してるんですか?」


「ちげえよ。ただ、なんか懐かしいような新鮮なような、奇妙な感覚なんだよ」


「……そうですか」


 バーン! ドアが勢いよく開かれる。蝶番が限界を迎え、反作用で跳ね返る。


「あら、危ない」


 ゲシッ。女性はドアを右足で蹴り、止める。

 カチャカチャ。お盆に載せられた食器が音を立てていた。


「はい、どうぞ」


 ティーソーサーに載せられたカップ。濃い茶色の液体から白い湯気が登っている。

 一緒に机に置かれた皿から薄切りのレモンを紅茶に浮かべる。サーッと紅茶茶色が赤みを帯びる。


 レモンを取り出して、もとの皿に戻す。レモンを食べようとしたのだろうか。横の方で牧坂をたしなめる黒崎の声が聞こえた。


「今アッサムしかなくてね。好みと違ってたらごめんなさいね」


「いえ、お構いなく」


 正直違いとか全くわからないので。名前は聞いたことあるけども。


 女性が腰を下ろす。先程から依然として変わらないふんわりとした笑顔の女性だった。

 若干不気味なまでに。


「さて、とりあえず、あなたが龍弥さんよね?」


「はい、そうです」


「そうなのね。本当にありがとうね」


「……ど、どういうことですか?」


「黄乃のこと、助けてくれて」






 女性の話を聞いていて、わかったこと。

 まず、彼女は黄乃の母親だということ。まあ、これに関しては大体の予想はついていたけど。

 そして、彼女こそが、黄乃に家でのチャンスを与えた人物なのだという。


「うちの旦那はね、まあ、有り体に言うと研究者みたいな感じなのよね。で、問題なく日々が過ぎていたんだけど、あるときそれは起こったの」


 黄乃が生まれ、育ったのだ。


「普通なら、何も問題ないはずだったの。でも、わかるでしょ? とっても賢いじゃない? この子」


 一歳の頃だったらしい。

 黄乃は、たまたま観戦していたオセロを見て、ルールを完全に理解したのだった。

 そこでは収まらない。その後、大人とやった初戦。大人が完膚なきまでに惨敗。その後、三連敗、五連敗。

 人を変えてやっても、コンピューターに戦わせても、一度として黄乃は負けなかった。


 賢かったのだ。


「旦那はね、喜んだわ。これはすごい、天才だ! って」


 でも、それでは終わらなかった。


「そこから、旦那の様子がおかしくなったのよ。この子にいろんな実験をやったのよね。あんまり言いたくはないのだけど、まあ、簡単なのなら思考ゲームだとか」


 ギュッと袖を握る力が加わる。黄乃の中で、嫌なことがフラッシュバックしたのかもしれない。

 震えている。


「私は止めたの。いくらなんでも、そういうことを強制するのはどうか? って。結果、この子は人間不信になって、旦那はもちろん、私にすらまともに口を利いてくれなくなって」


 それでもなお、黄乃への実験は引くことはなく。むしろエスカレートしてしまっていた。


「そんな中で、私は独り言を言ったの。まあ、正しくは独り言じゃないんだけど」


 女性の独り言とは、例えば「ここにお金を入れておかないとー」だとか「明日はあの人と何時から何時まで出かけなきゃ」だとか。

 そう。まるで「逃げるならここから金を取り出して、この時間帯に逃げなさい」と。


「翌日、帰ってきたとき家の中がもぬけの殻だった。私はとても嬉しかったわ。旦那にはめちゃくちゃに怒られたけど」


 あの頃は痛かったわー、と。冗談めかして言っているが、それはそれでかなり問題なのではないだろうか。

 というか、痛かったということはそこに暴力が介入しているということでは。考えないでおこう。わざと、冗談めかしているということは、そういうことなのだろう。


「まあ、心配じゃないわけじゃなかったのよ。いくら頭がいいとはいえ、仮にも六歳の子供だもの。でも、きっと大丈夫なんじゃないかなって、そんな、確信のない自信があったの」


「……だから、偶然であったにせよ、俺と黄乃が出会ったことが、お母さんからすれば嬉しかった、と」


 コクリ。頷かれた。


「でも、それだけじゃないのよ」


「えっ?」


「たぶん、あなたも知ってるでしょう? この子、この一年とちょっとで、すごい変わったの」


 そういえば、と。俺は思い出した。

 はじめの頃と今とを比べると、随分と距離に違いがある。


「あなたなのよ。龍弥さん。黄乃の心をひらいてくれたのは。この家に連れ戻されてからも、妄言のようにずっと名前をつぶやいてたしね」


「ちょ、ちょっとお母さん! 何言って……!」


 唐突に訪れる暴露。黄乃は顔を真っ赤に赤らめた。


「帰ってきた黄乃は、出ていく前と比べて、随分と人間らしくなったと私は思うの。これは、あなたのおかげ」


 そして、と。女性は言葉を繋いだ。


「この子には、これからもあなたのことが必要なんだと思うの。ここから先は私の勝手なお願いなんだけどね」


 ――黄乃のこと、これからも頼んでもいいかしら?


 答えは決まっていた。






「それじゃあ、よろしくおねがいします」


「こちらこそ、よろしくおねがいします」


 下げられた頭に、俺も頭を下げた。


「先輩、それじゃあ早く帰りましょ! 私お腹すきました。先輩のおごりでハンバーガーお願いします!」


「おいおい、何勝手に決めてんだよ」


「いいじゃないっすか、先輩」


「いいじゃないのよ、紫崎センパイ」


「俺もおごって欲しいなー、紫崎センパイ」


「鈍川、白石。お前らの分は無しな」


 えー、という声がする中、牧坂が玄関のドアに手をかける。


 ぐっと押し込むと、


「でぇやあああああああああああ!」


 誰もが驚いた。誰もが反応できなかった。


 例の男が、立っていた。大きく腕を振りかぶって。

 いや、違う。その手には、パイプが握られている。


 ガキンッ! 鈍い音がした。


「牧坂っ!」


「紅花ちゃん!」


 なんとか、咄嗟に腕で守ったようで幸い頭には直撃しなかったようだった。が、左腕はモロにパイプを受けていた。


「え? 先輩。どうかしました?」


「どうかしましたかもなにもあるか! おい、腕見せてみろ、痛くないか?」


「ええ、はい。痛くないですけど……それがどうかしました?」


 ……え? と。一瞬その場にいた誰もが凍りついた。

 その言葉は、誰がどう聞いても、おかしかった。男が握っていたのは、パイプ。暗くてよく見えないが、おそらく金属製。

 その攻撃をモロに食らったにもかかわらず、痛くないはずがない。


 なのに、


 紅花の声は、まるで強がりでもなんでもなく。

 ただ、本当に、痛くないように聞こえた。

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