#77 少年は手紙を説明する
「しかしまあ、先に言っておくと。この暗号、使える場面が限られる」
ホワイトボードの前に移動しながら、俺はそう言った。
そう。この暗号では、一部文字列が表現できない。いや、多少無理に読ませれば絶対に無理というわけでなないが、不必要な文字が混じるので読解失敗と判断されかねない。
しかし、コレ。こうなることを考えて事前に考えていたのだろうか。さすがにこんな暗号を土壇場で作り上げるだなんて。
……黄乃ならやりかねないが。
「よし、それじゃあ解説するが、拍子抜けだからな? 一瞬で終わるからな?」
俺が重ねてそう確認する。4人はコクリと頷いた。
「それじゃ、問題。原子番号42は?」
「……へ?」
気の抜けた声が聞こえてくる。
「原子番号42」
「モリブデン」
重ねて尋ねると、答えを返したのは黒崎だった。
「じゃあ、原子番号31」
「ガリウム」
「原子番号74」
「タングステン」
「原子番号89」
「アクチニウム」
「原子番号67」
「ホルミウム」
俺の質問に、黒崎は淡々と答えた。
「モリブデン……つまり、Mo」
水性ペンを手にとって、キュッキュッと書く。Moと。
「同様に、ガリウムはGa」
タングステン、W。アクチニウム、Ac。ホルミウム、Ho。
並べて書くと、MoGaWAcHo。MoGaWAcHo。
たったこれだけの、これだけのことだったんだ。
気づけなかった自分が情けないほどに。
「ちなみに、使えない場合っていうのが、例えば母音なんだがな」
Iはヨウ素、Uはウラン、Oは酸素があるんだが、AやEには一文字のものがない。
だから、使おうとするならばAlやReのようなものを使う必要があり、必然的に使える場面が限られる。
「子音なんかでも、足りてないのが割とある。正直言って、暗号にするには割と不便だろう。使うなら、事前に対策案を練った相手とでないとやりにくい」
だから、だからこそだろう。黄乃がコレを選んだのは。
これなら、きっと父親に気づかれない。と。
「ありがとうな、お前ら。おかげで解くことができた」
俺はそう言った。
「それから、悪いな」
俺は堂々と扉から出る。「ま、待ってくださいよ」と黒崎が追ってくる。
俺は、あえて黒崎の目の前で扉を閉める。そしてグッと引っ張る。
部員たちのどよめきが、ドアの向こうから聞こえた。
「え、ちょっ、先輩! 紫崎先輩!」
ガッ、ガッ。音はするものの、開く様子はない。
ここは、旧校舎。ドアの開閉時に軋んだ音がする程に、建付けが悪い。
初めの頃、強く閉めた際になかなか開かなかったことがあった。俺は、その再現をした。
どうか、どうか頼む。頼むから、諦めてくれ。
頼むから、これ以上この案件に加担しようとしないでくれ。
……頼むから。
ガチャ、バタン。自宅に入った。
最川町には、すぐには行かなかった。
扉の工作は、アイツらが来ないうちに最川町につくためではなく、あたかもそう思わせて、諦めさせるためだ。
もう俺は行ってしまって、今から行っても間に合わない、と。
しかしまあ、どちらにせよそう時間はかからないうちに出られるとは思うが。
あの扉自体は内側からは引いて開くから開けにくいが、それでも体重をかければ、黒崎や鈍川なら開けられるだろう。
いや、その前に窓に気づくだろうか。一応わざと扉に視線や思考を誘導するように、かなり大げさにやってはみたが。
まあ、一応窓の方も軽くサッシから外しているから、工夫しないと開けにくくなっている。
とりあえず、多分諦めさせるだけの時間は作れるはず。よっぽど早くに脱出できたら、噺は別だが。
「ネコ、ちょっとこっちいてくれ」
みい、みい。そう言いながら、ネコはこちらに来る。
小さな体を俺に擦りつけながら鳴いていた。
「悪いな、せっかく拾ってやったのに」
抱き上げ、俺は家から出た。
みい。鳴いた。
最川町、最川町です。左側の扉が開きます。ご注意ください。
俺は無言で立ち上がる。たった一つ地図代わりのスマホだけを持って。
しばらくして電車は止まり、扉が音を立てて開く。
ホームに降りると、右左と見回した。普段使わない駅だから、どちらに改札があるのだろうかと。
見つけて右へと歩いていく。改札口ではICカードを当てて、外へと出る。
「さて、ここからだな」
黄乃からの手紙には、最川町としか書かれていなかった。つまり、ここから先は近辺を虱潰しに探すしかなくなる。
正直効率がいいかと言われると悪いだろうし、なにより時間がかかる。
それで、なのだろう。「これが限界 ごめんね」の謝罪の意味は。
さて、探――。
「あ、紫崎先輩じゃないですかー」
ピクリ。
「いやあ、奇遇ですねえ、こんなところで会うなんて」
「ほ、ほほう。そういう作戦できたか」
俺は引き攣った顔で振り返った。そこには、黒崎。
「いやあ、脱出には時間かかりましたけど、きっと最川町という情報だけを頼りに探してるとなると、おそらく時間がかかっているだろうな、という算段で……っと、これはオフレコでお願いしますね」
スマホを取り出しながら、彼はそう言った。
というか、言ったら意味がないだろう。オフレコなのなら。
「あ、白石先輩? ちょうど今駅前で紫崎先輩と会ったんですよー、ええ、はい」
彼は耳に当てていたスマホを離し、こちらを向いた。
「ったく、先輩ってば。せっかく頼ってくれたんだったら、最後まで頼り切ってくれたっていいのに」
「……来るなと言っただろう」
「やだなあ、先輩、俺たちはたまたま最川町にいただけですよ?」
ケラリケラリと彼はそう言う。しかし目の焦点が定まらない。相変わらず、読みにくい男だ。
「言ってることが、色々矛盾してるぞ」
「……先輩。わかってるでしょ? あんなこと知ったら」
みんな、力になりたがるって。
俺は黙った。わかっていたから、だ。
だから、最初は一人でなんとか手紙を解こうとした。けれど、解けなくて。致し方なく協力を頼んだ。
まさか、その協力の対価として一番知られたくなかった点を知られるとは思ってなかったから。
そして、結局こうなってしまった。
「ま、こうなったら俺たちも乗りかかった船ですし。しっかり頼っちゃってください……てなわけで」
彼は、俺に手を差し伸ばしてきた。
「犯罪っちゃいましょ。救うこと。一緒に、ね?」




