#75 少年と幼女は約束する
二日前、鳴ることなど滅多にないインターホンが鳴った。
◇◇◇
「どっちの客だ?」
「龍弥じゃないんですか? 事前連絡無しに来る人とか、大家さんのとこの娘さんくらいしかいないじゃないですか」
「んー、まあそうか。てことは俺に用事か、それかネコのことか?」
「……え、飼っていいんじゃ?」
「まあ、苦情が来るからやっぱりやめて、なんてことはない話じゃないし、一応誰か引き取ってくれる人を探しておくか」
……だいたい3秒ほど、沈黙。
「引き取ってくれるアテとかあるの?」
「ない、な。あるとしても数研のやつらくらいだ」
みい、みい。先ほど名前を言ったからか、一匹の猫が俺の膝に擦り乗っ寄ってきた。
「ネコ、別に呼んだわけじゃないんだがな」
その頭から背中にかけてを手で撫でる。黒色のふわりとした触り心地が気持ちいい。
ネコ(猫という種名ではなく、ネコが黄乃のつけた名前)は、つい数日前に黄乃が拾ってきた黒猫だった。
最初は驚いたが、飼ってやりたいとせがむので、大家さんに頼んで
ただ、だからといって、いくら気持ちがいい時間が続いていたとしても、それは避けられないことで。
ピンポーン。
ピンポーン。
今度は二度、連続して鳴った。俺はネコをひと撫でしてから立ち上がり、ドアに向かう。
その間に、またもインターホンが鳴る。そんな急かさないでも。
まあ、とりあえずドアを開け……。
(いや、待てよ?)
今日は平日、俺はあくまで学校を休んでいるから家にいるわけで、大家さんところの娘さんは今日は学校。こんな時間にいるわけがない。
じゃあ、誰?
俺は恐る恐るドアスコープに目を近づける。
ピンポーン、ピンポーン。
目を当てて、扉の向こう側に視線を向けると、若干歪んだ世界に、見た覚えのない一人の男。それから、その後ろに控えている白衣の人間が二人ほど。
いや、待て。誰だ? マジで。
ホントにこんな奴ら見たことないんだが。
念のため、ドアチェーンをかけ、黄乃へは静かにしておくように人差し指を立ててみせる。この間にもインターホンが鳴り続けている。ここまで執拗にやっていたら、近所迷惑にならないだろうか? などとそういったことを考えないのだろうか?
ひと通り、やれることをやってから、ドア越しに対話を試みる。
「どちら様でしょうか?」
「こちらに、ヤマナシ キノというものがいらっしゃいますでしょうか? いや、いらっしゃいますよね?」
コイツ、会話する気ないだろ。
しかし、ヤマナシ キノ。偶然ながらに今俺の後ろには同姓同名の人物がいる。少し震えているようだが。
「あなた、表札読みましたか? うちは紫ざ――」
「ああ、ヤマナシの字は少し変わっていて、月見の里と書くんですよ」
やっぱり会話する気ないらしい。これでは一方的に言われているのと何ら変わりはない。
だが、ふむ。つまり月見里と。なるほど、ここまで一致することはまずないだろう。そもそも、ただでさえ月見里は珍しい名字だ。
つまり、この相手は黄乃のことを知り、黄乃を探してここまで来たということになるのだろう。
もう一度少ない知り合いの声を探し直してみたが、やはり聞き覚えはない。顔にも一致例はなかった。
とりあえずここまでの情報を整理してみると、俺が黄乃に出会う前、あるいはコイツが一人で外出しているときに会ったことのある人物、ということになるのだろう。それ以外には考えにくい。
幼女を中心とした誘拐犯のようなもので、一方的につけてきたとしたなら、それならなぜ黄乃の名前を、特に名字の漢字まで正確に知っているのだ、ということになるし。
ただ、俺にはこの相手の「顔」「声」「まともな会話ができない」ということしか、わからない。わからない、はず。
なのに、これだけはなんでかわかった。少なくとも、味方じゃない。根拠はないのに、確信的に。
異様なまでに怯える黄乃を見て。俺は確かにそう感じた。
「とりあえず、お帰りいただけますか?」
「ほう、なぜ?」
本日初めてこの人と会話らしい会話ができた気がする。初めて、俺の質問に答えてくれた。
しかしまあ、ここまでの様子を見て、この人。
「あなた、私と会話する気ありますか? 私としては、いまさっきの受け答えで初めて会話できたと感じたくらいなのですが」
男からの返答はない。相手が相手なだけに少し不安になってくる。
「それに、あまり長時間騒がれますと、近隣の方々にご迷惑なので。まだ長居するようであれば、警察への通報もやむな――」
「警察に通報して、困るのはそちらではないでしょうか?」
なっ、俺は驚きのあまり思わず声に出してしまう。
待て、偶然なのか? それとも、この男、黄乃のことをどこまでしっているんだ。
「そうですね、この状況であれば誘拐事件としては立件できるでしょうね。それくらいは容易でしょう。さらにはそこにあることないこと積み重ねるのも、まあ匙加減でしょうね」
額から、背中から、脇から、気持ちの悪い汗が流れる。コイツ、黄乃が家出中だということを知っているんだ。
「まあ、あくまで警察をここに呼んだときにキノが居れば、という例え話ですが。けれど、私はここにキノがいると確信していますので」
男の口調が調子づいてきた。自身の側が優勢だと把握してるのだ、
ちょうどそのタイミングで、トン、トン、トン。軽い足音が聞こえてきた。そして、横にピッタリとくっつくと、その細い指で、小さな手で、俺の服の裾を掴む。
「どうします? 警察呼びます? 一体どちらに警察は味方するのでしょうか?」
男は、完全に煽ってきているようだった。きっと、黄乃が居てくれなかったら、キレていたことだろう。服にかかるその重みが、爆発しそうな怒りを抑えつけてくれていた。
「龍弥」
小さく、名前を呼ばれた。
「もう、いいよ。大丈夫だから。……だから、だから」
ぐっと服を引っ張る力を強め「だから」と、
「約束して。きっと――――――――――――――――」
「…………ああ、わかった。約束する」
全く大丈夫そうではない、今にも泣き崩れそうな、そんな様子の彼女は、
それでも凛として、俺の前に立って。
「私はここだよ。クソ親父」
少女が、齢6つにして家出する原因となった人間が、木の板一枚挟んだそこにいた。
後ろの方からは、「みい」と鳴くネコの声が聞こえてきたような。
そんな気がした。




